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今月15日に西岡利晃選手とタイのナパーポンが世界王座を争う。
私がナパーポンと闘ったあの日からすでに7年の月日が過ぎた。
日本の秋晴れの様な雲一つ無い爽やかな青空の下、当時世界ランキングの7位か8位ぐらいだったナパーポンと殴り合い、6ラウンドに立ったままレフリーにストップされた。
ナパーポンとの力の差は認めるが、試合の日にちを一週間前に二度も変更され、ウェイトも事前に言われていたのと違い1ポンドの汗を出すため計量の時、炎天下の中を走ったりとベストコンディションで試合に臨めなかった悔しさが後日湧き上がって来て、もう一度ナパーポンと闘いたいと、部屋にナパーポンのピンナップ写真を貼り付け毎日睨みつけていた。
その願いが変に叶ったのか、普段乗らない違うバスに乗った時驚くほど偶然にナパーポンと居合わせた。
試合中は兄弟子のウィラポン譲りの無表情を通したナパーポンだが、その時のナパーポンはあの時とは別人の様な無邪気な笑顔を私に向けて来た。つたないタイ語を駆使して短い会話を交わすうち、私の中にあったナパーポンへの復讐心は霧が晴れるように無くなって行った・・・・・。
一緒にいた妻が「ナパーポンって弟みたいだね」と言う。
確かに風貌は私によく似ており、だからか兄弟の様な不思議な親近感をナパーポンに対して持った。
それから数ヵ月後、一年間居たタイを去る事となり、それまでにどうしても会っておきたい男が二人いた。
ソムサックとナパーポン。私を打ちのめしたこの二人の男に会って、どうしても直接伝えたい一言があった。
「世界チャンピオンに成ってくれ」
ボクサーは自分の夢を潰したかつての敵に、自分の果たせなかった夢を託す。
この二人なら私の果たせなかった夢を叶えてくれる。そんな気がした。
ソムサックの居場所を探していた時、ラジャダムナン・スタジアムで偶然にもソムサックの事をよく知っているというジムの会長と知り合いになった。その気さくな会長が言うには、ソムサックはバンコクから遠く離れたチェンマイに住んでおり、タイのボクサーには珍しく現役の大学生で、練習も大学の校内のジムでやってるとの事。大学の住所も教えてもらい準備は整ったが、当時身重だった妻を一人置いて遠出をする訳にもいかず、ソムサックに会う事は渋々断念した。
PABAタイトルの計量の時、最初にハカリに乗ったソムサックは、次乗ろうとする私の腕を両手でそっと掴むと、静かに引き上げてハカリに乗せてくれた。
強いだけではなく、端正なマスクに細やかな心配りを持ち、文武両道を極めるソムサックは、まったく非の打ち所の無い完璧な男だった。
私と争って獲得したPABAタイトルをなんと5年の長きに渡り、21度も防衛しながら世界戦のチャンスを待ち続けた。
そして世界ランキング1位の座をキープし続け、ついに世界戦のチャンスをその手に掴む。
2006年3月、相手は日本の仲里選手を撃退したタフなマヤール・モンシプール。その敵地フランスに乗り込んだ。
試合は凄まじい激闘で、ソムサックが10ラウンドにモンシプールをストップした。
かつてマイナー団体のWBF王者だったソムサックに挑戦した事のある河合晴彦さんから「ソムサックが世界チャンピオンに成りましたよ!」と連絡が入った時は、子供が産まれた時と同じぐらい嬉しかった・・・・・。
悲願の世界王座を獲得したソムサックの防衛戦の相手に西岡選手も噂された。
ソムサックと西岡。この二人のボクシングスタイルはよく似ている。もしこの二人が対戦したら、スピーディーで非常にスキルフルな試合が観れると期待していたが、残念ながらこの二人の端正なスピード・スター同士の闘いは実現しなかった・・・・・・。
残るもう一人の男ナパーポンには、タイを去る数日前に幸運にも会う事が出来た。ナパーポンの兄弟子ウィラポンが奇しくも今回の対戦相手西岡選手との二度目の対決に向けてそのスパーリングパートナーにチュワタナジムの現東洋スーパーバンタム級チャンピオンのウェートを選んだので、そのスパーリングに付いて行く事にしたのだ。
約一年ぶりのウィラポンジム。ウィラポンは笑顔で私達を迎えてくれ、私の顔を見ると「またナパーポンと試合をするか?」と笑いながら話しかけてくれた。
ナパーポンも試合を控えているらしくジムメイトのシリモンコンと激しいスパーリングを繰り広げ、二階級上のシリモンコンにパワーで勝っていた。その鬼神の様な闘いぶりを目の当たりにして、やはりもう一度やっても勝てないと諦めがついた。
練習が終わり柔らかな夕陽が差し込むジムの中で、ウィラポンやシリモンコンとあぐらをかいて輪になり和やかに談笑したあの時間は、タイでの最高にいい思い出となった。
そんな時でもナパーポンは輪に加わらず離れた所で黙々と筋トレをしていた。その闘い方と同じであくまでも無骨な男なのだ。
私はナパーポンに近づき日本に帰る事を告げると「タイにはいつ帰ってくるんだ?」と聞かれた。
「もう帰って来ない」そう言うとナパーポンは淋しげな表情を見せてくれた。
そして「体に気をつけて・・・・・」と、私が言うべき言葉を先に言われた。
同じ言葉をナパーポンに返しそして「世界チャンピオンに成ってくれ」と言った。
しかし私のつたないタイ語ではその意味がなかなか伝わらず何度目かのやり取りの後、ナパーポンは笑顔で大きくうなずいてくれた。
あれから7年、一度はメキシコの名王者オスカー・ラリオスの前に屈したが、臥薪嘗胆の日々を送りついに二度目のそして最後のチャンスをその手に掴んだ。全盛期はとうに過ぎたが、逆に全盛期を過ぎたからこそこのチャンスが廻って来た、とも言える。
あの時託した私のはかない夢と、最後に激しく燃え上がろうとするナパーポンの狂おしい夢は、果たして叶うのだろうか・・・・・。
私の中で西岡選手は、普通の世界チャンピオンより遥かに上に位置する存在だ。
全盛期のウィラポンと二度に渡って引き分け、特に第二戦目はここ10年ぐらいの間で私が見た日本人がらみの世界戦では間違いなくベストバウトだった。
スピード、スリル、スキル、全てが世界一強い男を決める場に相応しい物だった。
しかしその実力に相応しい評価は西岡選手には下されていない。
日本人ボクサーの中で最も世界チャンピオンになるべき男だと、私が昔から思っているのが西岡選手だ。
全盛期を過ぎ、この試合が最後のチャンスなのはナパーポンと同じだ。
しかし今月のボクシングマガジンの西岡選手のインタビュー記事を読んでみると、もうすでに世界チャンピオンに成ったような発言が多々見られた。
夢を達成した時の自分の姿を思い浮かべ、そしてその様に振舞うのは願望達成のツールの一つだ。
西岡選手がそのツールを駆使してあえてあのような発言をしているのなら別にかまわないが、そうじゃないとしたら油断が心配だ。
今回の試合を日本人対タイ人の図式で眺めてみると、参考になる世界戦が二つある。
一つは今から35年前に行われた奇しくも西岡選手と同じ帝拳ジムの故大場政夫対チャチャイ・チオノイ戦だ。
激闘続きの大場に楽をさせようと5度目の防衛戦に帝拳ジムはロートルの域に達していた老雄チャチャイを選んだ。
しかしチャチャイは1ラウンド、大場の左のガードが下がった所に右のロングフックを叩きつけ、歴史的な痛烈なダウンを奪った。
後年チャチャイが語ったところによると、この試合に向けて右のロングフックだけを練習して磨きに磨いて来たとの事。
最後のチャンスに賭けるしたたかなタイのボクサーは何を狙って来るかわからない。
あと一つはシリモンコンと長嶋健吾選手の試合だ。
あの試合シリモンコンは1ラウンドにわざとスローモーなパンチを放ち続け長嶋選手の目をそのスピードに慣れさせた後、2ラウンドに西岡選手と同じサウスポーの長嶋選手に強烈な右を打ち抜きマットに沈めた。
かつてのスパーリングパートナーでありジムメイトでもあったシリモンコンと同じ手を、ナパーポンが使わないとは誰も言い切れない。
二年程前、後楽園ホールの控え室の外の長椅子に座っていたら、偶然西岡選手が隣りの長椅子に腰掛けて来た。
帝拳ジムの後輩の試合を観戦に来てその激励に来た様だ。
当時帝拳ジムの若手ボクサー達が次々と日本王座を獲得していた時期で、無冠の西岡選手は半ば忘れかけられた存在だった。
そんな自分の存在が許せないのか、西岡選手はうなだれる様にして足元に視線を落としていた。
なんとも声をかけづらい雰囲気だった。
声をかけようか、かけまいか散々悩んだあげく結局声をかけず仕舞いでその邂逅は終わってしまった・・・・・。
あの時私は西岡選手にこう伝えたかった。
「世界チャンピオンになるまで応援してるから、あきらめないで頑張ってよ」と。
ステップを刻む為に必要かつ重要なアキレス腱を断裂するという大ケガを克服し、5度目の挑戦で悲願の世界王座を獲得して、肩車され、男泣きする西岡選手の姿を見て感動の涙を流したいと、ずっと思って来た・・・・・・。
2008年9月15日、この日におのれのボクシング人生を全て賭けてリングに上がって来る二人の男のうち、どの男に勝利の女神が微笑もうとも、その勝利は私にとって嬉しく、そして、悲しい・・・・・・。
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