|
二ヶ月程前のボクシングマガジンに私の先輩であり元日本ライトフライ級チャンピオンの早山進(さやましん)さんの懐かしい写真が出ていた。
記事によると早山さんは話題の「ザ・おやじファイト」に出場し見事勝利を納めたらしい。
「おやじファイト」に関しては、いくらヘッドギアーを着けているからと言っても血管が切れやすくなっている40代や50代の人達が真剣に殴り合う事に危険性を感じてはいたが、彼らのやり場の無い情熱のはけ口として見てみれば、唯一の救済の場とも言える。
しかし照れ隠しもあるのだろうが、ウケ狙いのふざけたリングネームでリングに上がり、内に秘め続けた情熱を自ら貶めるおやじ達が多い中、早山さんが現役時代のリングネームでリングに上がった事を知りホッとした。
早山さんは試合後「神の声を聞いた。ジョージ・フォアマンの気持ちがわかった」等と発言したとの記事を読み「早山さん、変わってないなぁ〜」と一人苦笑しながらも久々の早山節を聞いて嬉しくなった。
私が19才で金子ジムに入門した1988年12月、早山さんは一ヵ月後に悲願の日本タイトル挑戦を控えていた。
早山さんは後の世界チャンピオン、大橋秀行、レパード玉熊と言った強豪相手の過酷なマッチメークによりなんと7連敗を喫し引退、その後ジムでトレーナーを一年間やった後突如カンバックし2連続KOを記録、そしてその勢いで喜友名朝博(きゆなともひろ)の持つ日本タイトルに挑戦する事になった。
早山さんは喜友名選手に二度も負けておりその内の一敗は1ラウンドKO負けだ。二度目の世界挑戦を狙う喜友名陣営は早山さんを安全パイと思っていたはずだ。
早山さんの当時の戦績は8勝11敗と負け越してはいたが、8勝の内6つがKO勝ちと、このクラスでは破格のハードパンチャーだった。
スパーリングでウェルター級の選手を倒したと言う逸話を持ち、まじかで見るそのパンチは脅威的だった。
ジムに入門して合宿所に住み2週間程が過ぎた正月、ガラーンとしたジムで試合前の早山さんが一人で練習している時、会長に「これからお前のテストをやる。不合格だったら田舎に帰れよ」と言われ私は緊張した。
そして早山さんに「おい早山、こいつとスパーリングをやってくれ」と言った。
早山さんは「えっ?」と言った後、私をギロッと見た。
その顔には「なんで大事な試合前の俺がこいつの相手をしなければならないんだ?」と書いてあった。
緊張の極みに達しながらリングに上がり早山さんとのスパーリングが始まった。
早山さんは極端な半身で腰を落とした構えでまったく動かない。
どこにも打ち込める隙がない。その姿は居合い抜きの達人を想わせた。
そして左のジャブがスーッと伸びて来たかと思うと私のアゴが跳ね上がった。
どうしてもそのジャブがよけられず何度も何度もジャブをもらい続けた。
野球でどんな凄いピッチャーでも初速より終速が速い球を投げる事は物理的に言っても不可能だが、ボクシングのパンチにおいてはそれが可能だ。
しかしそれには高度な筋肉の柔軟性とたゆまない修練を必要とする。
私が25才の時東洋王者のクリス・サギドと対戦し、1ラウンド、目の前で伸びて来るジャブをよけられず焦ったが、「このジャブはあの時の早山さんのジャブと同じだ」そう思うと不思議と落ち着いてサギドのジャブをブロックする事が出来た・・・・・。
当時26才だった早山さんは19才の子供の私に自信をつけさせる為かわざとロープにつまりパンチを打たせてくれた。
あの時のスパーリングの経験は東洋タイトルの舞台で私を助ける貴重な物となった。
2ラウンドのスパーリングが終わり会長の所に行く。まさか不合格はないだろうと思いながらも「合格だ」と言われた時は思わず笑みがこぼれた。
そして1989年1月23日、早山さんのボクシングの集大成の時が来た。
その日マネージャーに「セコンドに連れて行ってやるよ」とジムで言われた私は喜び半分緊張半分で後楽園ホールへと向かった。
数多くの合宿生がいる中、入門一ヶ月程の私が日本タイトルマッチのセコンドに付けた事は、今思えばとてつもない幸運だった。
試合前の控え室での早山さんは孤高な修行僧の様に人を寄せ付けない、静かだが熱い気を出していた。
その場にいるだけで緊張してトイレに行きたくなった私は控え室を出る。途中チャンピオンの控え室の前を通ったが扉が開けっ放しだった。これじゃ集中出来ないだろうと思いながら少し中を覗く。チャンピオンは驚く程顔色が悪く、心なしかスタッフ達も暗く沈んでいる様に思えた。
「勝てるぞ!」私は一人でそう思い嬉しくなった。
この試合のパンフレットにスポーツ新聞記者の予想が書かれてあったが、喜友名選手の勝ちは当たり前でありその勝ち方が問われる。そんな風に書かれていた。
いよいよリングへと向かう。私はバケツを持ち最後尾を歩いた。
リングサイドに陣取るとリングを見上げる。熱を帯びた光に照らされた早山さんが神々しく見えた。
試合が始まる。喜友名選手の動きが変幻自在で素速い。早山さんは例の構えで落ち着いてじっと見すえる。
その二人の姿はまるで忍者と侍の対決を思わせた。
世界レベルの技術を持つ喜友名選手が早山さんのジャブをよけられない。「あのパンチは誰にもよけられない」私は一人ごちる。
残り10秒を過ぎるとマネージャーが「イスを用意しろ!」と言った。すっかりイスの事を忘れていた。重く低いゴングが鳴らされたと同時にサッとイスを出す。こんなに緊張してイスを持ち上げたのは生まれて初めてだ。
コーナーでの早山さんは実に落ち着いてマネージャーの指示にうなずく。その大きくて丸い目が爛々と輝いていた。
そして2ラウンド開始早々早山さんは右のロングフックでダウンを奪った。耳をつんざく様な歓声が起こる。
ダウンを奪ったこのパンチには伏線があった。先ず強烈な左のボディーを放つ。そのイメージを喜友名選手に植え付けた後、先程と全く同じ体勢でパンチを放とうと構える。すると強烈な左ボディーの残像が残っている喜友名選手はレバーをブロックしようと視線を右下に落とした瞬間、死角となった左のテンプルに右のロングフックを放つ、用意周到な計算があったのだ。
早山さんは鬼の形相になって喜友名選手を追い詰めた。
リングサイドにいる私の背中に早山さんを応援する歓声が大波の様に絶え間なく押し寄せる。早山さんの苦労と人柄を知る全員が叫んだ。
喜友名選手の目尻から出血が始まった。かなりの量だ。偶然のバッティングにされたら引き分けになってしまう。私は「倒せ倒せ!」と心で念じた。
そして3ラウンド、追い詰められた喜友名選手の反撃が始まる。ねじれた口と真っ赤な目をまじかで見て、まるで泣きながら「負けてたまるか!」そう叫んでいる様に見えチャンピオンとしての意地を感じ圧倒された。
早山さんも応戦する。更に出血が激しくなりレフリーが試合を中断し喜友名選手の傷口をドクターに見せる。場内が固唾を飲んでレフリーを注視する。レフリーは早山さんの腕を掴んで高く持ち上げた。早山さんのTKO勝ちだ。祝福の歓声に包まれた早山さんの笑顔は実に晴れやかだった・・・・・・。
見事日本チャンピオンとなった早山さんだが、試合後右の拳を骨折していた事が判明し、当分は治療に専念する事となりジムにはほとんど顔を出さなくなった。
拳も完治し来る初防衛戦まで後一ヶ月と迫った頃、私はプロデビューした。そして運良く1ラウンドKO勝ちを納め、オール4回戦で行われたその興行で「がんばれ元気賞」というウィニングの2万円分の商品券をもらった私は、試合翌日意気揚々とジムに向かった。
ジムの扉を開けいつもより大きな声で「チワー!」と挨拶した。しかしジムの雰囲気がおかしい。シーンと静まり返りリングの近くに人の輪が出来ている。よく見るとその中心には早山さんがいた。「どうしたんですか?」近くにいる人に聞いた。
初防衛戦に向けて満を持してスパーリングを開始した今日たった今、再び拳を骨折したらしい、との事。
「えー!」驚いて早山さんの方を見る。人の輪が崩れ早山さんが出て来た。これから病院に直行らしい。折れた拳に氷嚢を乗せ苦痛に顔が歪んでいる。
みんな道をサッと開ける。入り口の所にいた私もはじによる。何も言えずうつむいて下を向いている私に早山さんは気が付いた。
そして私に「おいお前、デビュー戦勝ったんだってな。おめでとう!」目を大きくした笑顔で祝福してくれた。
私は今でもあの時の驚きと感動を忘れる事が出来ない。
19才の子供の私に、本当の男とは強さだけではなく優しさも兼ね備えていると言う事を、早山さんは身を持って教えてくれた。
話は変わるが、作家の故城山三郎氏が少年兵だった頃、尊敬する先輩が特攻隊として出撃する為見送りに行くが、機上の人となった先輩を見ていたたまれなくなり、その場を離れ兵舎の裏をトボトボと歩いていると、後ろから走って来る足音が聞こえ「おい!」と呼び止められ振り返ると、なんと出撃前のあの先輩だった。
先輩は城山少年兵に「そんなに悲しい顔をするなよ。じゃあ行って来るからな!」笑顔でそう言うと再び走って戻り機上の人となり、二度と帰る事の出来ない戦場へと飛び立って行った・・・・・・。
この話しを読みながらあの時の早山さんの笑顔を思い出した。
今の軽薄で陰湿な時代にはほとんどいなくなった本物の男が、あの時代にはたくさんいた・・・・・・。
再び拳の治療を終え練習を再開した早山さんだが、どうもおかしい。パンチを放つタイミングがわずかにずれる。拳を二度も折った影響は想像以上に大きいようだ。スパーリングの相手をしながら以前とは違う早山さんの動きに一抹の不安を感じた。
そして初防衛戦は無残なKO負けに終わった。
更に韓国に渡り東洋タイトルに挑戦するがこれもKO負けを喫し、そして二度目の引退となった。
私がタイで一年間に渡る闘いを終え日本に帰国後、驚く程偶然に街中で数年ぶりに早山さんと再会した。
早山さんは私がタイでやっていた事を知っていて「お前よくやったなぁ。お前ほどとことんやった奴はいないよ」と私にとって最大級の賛辞を贈ってくれた。
誰に褒められるよりも早山さんに褒められる事が、私にとって一番嬉しい事だったかもしれない。
そして早山さんは最後に「燃え尽きたか?」と聞いて来た。
私は「はい。燃え尽きました」と答えると、早山さんは「そうか燃え尽きたかぁ。良かったなぁ〜」とあの目を大きくした笑顔でうなずいてくれた。
燃え尽きる事無くして引退した男の苦しさと哀しさを、早山さんは人一倍知っていた。
会う度に「俺はもう一度やるぞ!」そう熱く語っていた早山さんのくすぶり続ける闘かう魂は、今回の「ザ・おやじファイト」の舞台に立った事で少しは鎮められただろうか・・・・・。
いや、早山さんはきっとまだまだ闘い続けるはずだ。
本名の田中正人に帰らず、早山進を、名乗り続ける限りは・・・・・・。
|