断ち切れぬもの

 遅ればせながら私の先輩である新田ジム会長の新田渉世氏の著書「リングが教室」を拝読した。

 中でも新田ジムのチーフトレーナーを務める孫創基(ソン・チャンギ)と新田会長自身の事を書かれた章は懐かしい思いでページをめくった。

 新田さんと初めて出会ったのは、私が19才の時金子ジムに入門し合宿所に入ったばかりの頃だった。

 朝ロードワークを終えシャワーを浴び、数多くのボクサー達の闘いの歴史を感じさせる古いポスターを眺めていると、ガラッと扉を開けて人が入って来た。紺のウィンドブレーカーを着て頭からフードをかぶり目だけがキラッと光っている。

 その姿は子供の頃から私がイメージしていたプロボクサーそのものだった。

 自己紹介をすると新田さんは無表情のまま「合宿所の人達はあんまり走らないけど、君はちゃんと走った方がいいよ」とアドバイスをくれた。

 この時からすでに新田さんは指導者としての片鱗をうかがわせていた。

 今でも私の中でのプロボクサーのイメージはあの時の新田さんの姿しかない。

 練習生の頃、新田渉世というボクサーに憧れの様な物を持ってその練習を眺め続けたものだ。

 
 年末年始はジムは休みになるが試合が決まっているボクサーの為に一応ジムは開けてある。そこに毎日練習に来る一人の少年がいた。

 しかしその少年の為に他の合宿生達とジムにいなければならず、みんなで「なんだよあいつまた来たのかよ」等と悪態をついていた。その少年はロープだけをずっとやっている。しかも初めて縄跳びをやるかのようにぎこちなく何回やってもうまく飛べない。ひっかかりひっかかりしながらバタバタと飛ぶその少年の縄跳びを他に誰もいない底冷えのするジムで見るとも無く眺め続けた・・・・・。

 春になった頃ロープ飛びもさまになって来たその少年はパタリとジムに来なくなった。

 その頃私はアルバイトをやめてずっと仕事を探して困っていたのだが、ある日新田さんが「俺が働いているカレー屋で働く?」と誘ってくれた。

 前回書いた袴田さんの事でもそうだが、この頃からすでに困っている人間を見ると助けようとする新田さんの人柄が表れていた。

 私は密かな憧れを抱いていた新田さんと一緒に仕事が出来る事に喜びを感じて仕事場に向かった。

 仕事場での新田さんは私が言うのもなんだが、ジムとは別人の様にまったく覇気が無く実にけだるそうに仕事をする。

 後で知った事で「リングが教室」にも詳しく書かれているが、この頃から新田さんは原因不明の微熱が続きどうしようもない倦怠感に襲われていたのだ。

 ところでやっと仕事にありつけた私だが、カレー屋の店長とケンカをしてしまいその店を2日でやめてしまった。

 ジムで新田さんに「せっかく紹介してもらったのにすみません・・・・・」と謝ると「いいんだよ気にするなよ。俺もあそこは辞めようと思っていたから」と言ってかばってくれた。

 余談だがそれから5年程たった頃、街中で偶然あの時のカレー屋の店長とバッタリ会い「お前の試合この前テレビで観たぞ。頑張れよ!」と背中を叩かれて激励された。

 
 そして私も晴れてプロボクサーになり2年程が過ぎた頃、朝鮮高校の生徒達がスパーリングに来た。

 練習の準備をしていると後ろから「こんにちは」と声をかけられ振り向くと、恥ずかしそうにしながらも満面の笑みを浮かべている若者がいる。

 「どこかで見た顔だ・・・・・・」そう思いながらその顔を見る。

 「あ〜」あの時下手くそな縄跳びを飽きずに繰り返していた少年ではないか。

 背の高さも私と同じぐらいになり実に堂々としている。少年から青年へと変貌を遂げた孫創基を私はしげしげと眺め続けた・・・・・。
 

 すでに学生結婚をしていた新田さんに子供が出来たらしい。どうやら男の子のようだ。新田さんはジムで私に「息子に池田高雄の雄の字を付けたいけどいい?」と聞いて来た。

 私に異存等あるはずが無い。

 しかし残念ながら字数が合わないとかで雄ではなく勇になった。

 孫は私が引退後金子ジムからプロになり堂々と本名を名乗り、リングに上がった事をスポーツ新聞の試合結果の欄を見て知った。

 通称名ではなく本名を名乗ってリングに上がった在日のボクサーはおそらく孫が初めてではないだろうか・・・・・。

 孫の男気を知り、あの下手くそなロープを飛んでいた少年が・・・・・と、昔を思い胸が熱くなった。

 新田さんの東洋タイトルマッチの日が来た。その頃ボクシング関係の知り合いとはあえて絶縁状態にしていた私は専門学校から帰宅後深夜テレビでその試合を観た。

 「今度こそ獲ってくれよ・・・・・・」祈る思いで試合を見つめる。

 新田さんがタイトルを獲った瞬間、言いようの無い感動に襲われた。人の試合でこんなに嬉しい事は初めてだ。安いファイトマネーで二人の子供を育てながら新田さんをずっと支え続けた奥さんの顔が浮かぶ。

 奥さんの苦労が報われて「本当に良かった・・・・・・」私はテレビに向かい何度もそうつぶやいた・・・・・・。

 引退後新田さんがジムを開設するまでの道のりは「リングが教室」に詳しく書かれているが、平坦な道のりではなく大変な苦労をされたようだがおもしろおかしく書かれてあり、さすがマイペースのB型だと感心した。

 孫が再び新田さんと巡り合い新田ジムのチーフトレーナーに就任するまでのくだりは、何か運命の様な物を感じさせた。

 孫は高校時代のボクシング部の監督であり人生の師である故李成樹先生の教えである「教師というのは生徒に裏切られて当たり前だが、決して生徒を裏切ってはならない」と言う遺志を体現するかのようにボクサー達に惜しみなく愛情を降り注いで行く。

 痛烈なダウンを喫しなんとか立ち上がろうとする教え子の名を叫びながら、会長である新田さんの許可を取る事無くタオルを投げ込み、教え子を抱きかかえるようにしてコーナーに連れて帰ると「ゴメンな。タオル投げちゃったよ。ゴメンな・・・・・」と泣きながら謝る孫。

 教え子が不幸にも網膜剥離になってしまいその見舞いに行った病室で「ゴメン、俺が力不足だったせいで・・・・・」泣きながら謝る孫にその教え子が「孫さん、そんな、泣かないでくださいよ・・・・・。俺また何かやりたい事を見つけて頑張りますから」そう言われ「お前はホント前向きで強い人間だよ。俺だったらダメだな・・・・・。お前、ホント、前向きで偉いな・・・・・」そう言って泣き続ける孫。

 
 こんな熱い愛すべき男は滅多にいない。

 愛情溢れるトレーナーと理解ある会長の下でボクシングが出来る新田ジムのボクサー達は幸せ者だな・・・・・そう思った。

 
 「リングが教室」を読み終え本を閉じると、私は遥か15年程前まだ若かりし頃の新田さんと孫のスパーリングのシーンを思い出した。

 格下相手には必ず手を抜く新田さんに対し、そんな事はかまわずにひたすらパンチを出し続ける孫。

 時折り切れた新田さんが本気で殴ると、ガクンと来ながらも決して後ろには下がらなかった孫。

 そんなスパーリングをこの二人は何度繰り返しただろうか・・・・・。

 ケンカと同じ様に自分を全てさらけ出して殴りあった後には、一生の親友になれるぐらいの絆が残るのがボクシングだ。

 
 数限りなく殴りあった新田さんと孫には、常人には計り知れない程の断ち切れない固い固い絆があるに、違いない。




■ 池田高雄拳跡集 ■ Back Number

最新の「池田高雄拳跡集」
07.12
07.11
07.10
07.07
07.06
07.05
07.04
07.03
07.02
07.01
06.12-2
06.12
06.11
06.10
06.09
06.07-2
06.07
06.06
06.05
06.04
06.03-2
06.03
06.02
06.01
05.12
05.11-3
05.11-2
05.11-1
05.10
05.07
05.06
断ち切れぬもの
やり残した仕事
責任
受け継がれしもの
負の連鎖
パンドラの箱
殴られた男の誇り
老兵と野武士と
遥かなる旅路
守るべきもの
無 題
悲しき墓標
握り締められた拳
修羅の時
遠く熱い記憶
真実の瞬間
宿命
酒と泪と拳と友と・・・・・
罪と罰
闘いの終わり
十字架を背負った闘牛士
OUT BOX
再起

鎮魂歌
血の系譜
戦士の誇り
44歳の勝利
10年目の和解
鳥海VSクマントン
名古屋城、落城す。

●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を後のWBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

「ビバ!メヒコ!!」へ



TOP PAGE

Copyright (c) Talk is Cheap all rights reserved