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遅ればせながら私が敬愛するJBスポーツジムの高橋直人会長の著書「殴られた犬の誇り」を拝読した。
内容は高橋会長の激白と言うか独白と言うかまさに正論あり、はたまた高橋会長らしい極論ありで、まるで目の前で高橋会長が熱く語っている様な錯覚におちいった・・・・・・。
今からちょうど20年前、私が17才の冬弱冠19才だった高橋直人が歴戦の日本チャンピオン今里光男選手を倒した試合を見た時、衝撃が走った。
矢継ぎばやに飛んで来るパンチをヒョイヒョイとかわし、左ジャブで相手をコントロールしながら一瞬の隙に狙いすましたカウンター一発で切って落とす。
そこには私が理想とするボクシングがあった。
カウンターの名手として名高い元世界チャンピオンの小林弘氏が「これは若さとかそんな物じゃない・・・・・」と心底驚嘆していたのが印象深い。
私はそのビデオを何度も観た。そして高橋会長のピンナップ写真を部屋に貼り飽きずに眺め続けた・・・・・。
上京し晴れて念願のプロボクサーに成った私は高橋直人のボクシングを体現しようとするが現実は厳しい。3連敗も経験しうだつの上がらない4回戦ボーイだった私に、高校時代の恩師薗田哲朗氏から「名前でも変えて出直せ!」との叱咤の手紙が届いた。
そこで私は当時高橋ナオトとリングネームをカタカナにしていた高橋会長にあやかり池田タカオとした。
私が泣かず飛ばずの4回戦ボーイだった頃、高橋ナオトはボクシングの歴史に残る激闘マーク堀越戦に続きこれまた逆転KOのノリ・ジョッキージム戦を経てその人気は絶頂を迎える。そして無敗の日本1位打越秀樹選手と対戦する。そして私はその前座に出る事になった。
あの時の後楽園ホールの混み具合は凄まじく確か3500人ぐらい入って後楽園ホールの入場者数記録になったはずだ。前座の4回戦の私がリングに向かうのでさえ人を掻き分け掻き分けしてやっとリングにたどり着いた。あの時気分だけは世界戦を味わった。
憧れの高橋ナオトと同じ日にリングに上がれて嬉しい限りだったが、試合の方はあえなく判定で負けた。失意の私は楽しみにしていたメインイベントを見る事もなく後輩と連れ立ってトボトボと家路に着いた。
テレビ観戦になった高橋ナオトと打越秀樹の試合は壮絶だった。2ラウンドにアゴの骨を砕かれた打越選手はそれ以降口の中から噴出してくる血を飲み込み続けながら闘った。そして6ラウンド、強烈なカウンターをもらいマットに沈んだ。
その後打越選手は砕かれたアゴを針金で固定しての長期入院生活を送る。病室で朝起きると高橋ナオトへの雪辱に燃え日中はその火を燃やし続けるが、夕日が沈む頃になると「やっぱり再起は無理かもしれない・・・・・」と弱気になる。
そんな日々を幾日も送り、そして打越秀樹はついに再起のリングに立つ。
タフで粘りが身上の花形ジムの高倉選手を苦闘の末ストップした瞬間、グローブを握り締めて喜びをかみ締めている打越選手の姿は感動的だった・・・・・・。
国内無敵を証明し世界ランクも2位まで来た高橋ナオトの次の試合は世界戦こそが相応しいはずだったが、完璧主義者の阿部会長は大苦戦したノリ・ジョッキージムとの再戦を組む。
なんで今さら再戦する必要があるのか?そんな疑問を持ちながら東京ドームへと向かった。その日のメインイベントは世紀の番狂わせと言われたマイク・タイソンとジェームス・バスター・ダグラスの試合で、高橋ナオトとノリ・ジョッキージムとの再戦はそのセミファイナルに組まれていた。
そしてその前座でデビュー2戦目の辰吉丈一郎の試合を見た時、高橋直人が今里光男を倒した時と同じ様な衝撃を受けた。
時代は確実に高橋ナオトから辰吉丈一郎へと移り行こうとしていた・・・・・。
余談だが進退問題で騒がれている辰吉選手に関しては、とやかく言う権利があるのは奥さんのるみ夫人だけであり、ボクシング関係者はもとよりボクシングファンにもあろうはずがない。
もし辰吉選手が重度の障害を持つ事になったとしてもその面倒を一生見るのはるみ夫人であり、ボクシング関係者やボクシングファンではないからだ。
更に自分の事を自分でカリスマと呼ぶ亀田選手の様な勘違いのカリスマではなく、真のカリスマゆえにでもある。
5万人の大観衆が見つめる中、高橋ナオトとノリの因縁の再戦が始まる。しかしどうもリズムがいつもより速い気がする。リズムが狂うとタイミングも狂う。高橋ナオトのボクシングはカウンターが命だ。そのカウンターを取るために最も重要なファクターであるタイミングを失った高橋ナオトは、都合6度にも及ぶダウンを喫っす。後楽園ホールでは大音量になるナオトコールがここ東京ドームでは重く響かない。最上段にいた私はむなしく「ナ・オ・ト!」と叫んだ・・・・・・・。
ノリとの再戦に負け世界ランキングも失った高橋ナオトは、階級をフェザーに上げ再起に成功したが再起二戦目、運命の試合を迎える。相手は韓国チャンピオン。かつての高橋ナオトの様な活きのいいボクサーだった。
私は高橋ナオトの動きに注目する。ディフェンスが悪いと専門誌に叩かれていたが、私はそうは思わなかった。相手の左フックを頭を右に倒してヒョイっとよける。この技が出来るのは日本のボクサーで高橋ナオトだけだ。私は少し安心した。しかし2ラウンドにダウンを奪われると徐々に雲行きが怪しくなる。終幕は突如訪れた。二度目のダウンを奪われた高橋ナオトが逆転の望みを賭けて放った右に逆に右を合わされドサッとマットに沈んだ・・・・・・。
一目で、もうダメだ・・・・・と思わせる様な強烈なダウンシーンだった。試合は終わった。そして、高橋ナオトも終わった・・・・・・。
満員の場内が水を打った様に静まる中、全員がイスを立ち上がり担架で運ばれる高橋ナオトを見送る。それはまるで我らが為に闘いそして散って行った英雄を見送る葬送の儀のようだった・・・・・・・。
高橋ナオト引退後、始めての6回戦に上がった私は前年の東日本新人王に輝いた伊藤比呂志と対戦した。その時試合前の控え室にアベジムの後輩の応援に高橋ナオトが来ていたが恐れ多くて声はかけずじまいだった。
そして私の試合の番となり日本テレビのダイナミックブローブ恒例試合前の選手の決意の様な物をアナウンスされたが、その時私のリングネームの由来も場内に放送された。
試合は結局引き分けに終わった。勝ったと思った試合を引き分けにされガックリと肩を落として控え室に戻ると控え室の前の長イスに高橋ナオトが腕を組んで座っていた。
ペコリと頭を下げて通り過ぎようとした私になんと高橋ナオトが話しかけて来た。
「キミ俺のファンなの?」
「はい・・・・・」
「試合勝ってたよ」
「ありがとうございます・・・・・」
そんな短い言葉を交わし終わるとさっきまでの脱力感が嘘の様に気持ちが高揚していた。
17才の頃から憧れ続けてきたあの高橋ナオトと会話を交わした。それだけで試合に勝った様な充足感が体中を満たした。
その後A級トーナメントの決勝戦の時にも控え室を訪れてくれて「優勝したら賞金で飯でもおごってよ」と言って緊張を解いてくれた。
それから約7年の月日がたち、タイから帰って来た私はJBスポーツジムがある綾瀬と同じ沿線にある柏に住む事になり、ある日JBスポーツジムを訪れた。
久々の再会に高橋会長は目を細めてじっと私の顔を見た後「オ〜池田君か〜」と言った後「わかってるようちに来た理由は。移籍したいんだろ?」と言う。「いえいえもう完全に引退しましたから」と返すが「わかってるよ。まだやりたいんだろ?」と笑顔で取り合ってくれなかった。
23才で引退を余儀なくされた高橋会長のリングへの渇く様な想いが感じられ少し切なくなった。
その後毎週土曜日私はJBスポーツジムで汗を流す事にした。ジムに顔を出すと決まって高橋会長が「うちの福島とスパーリングやってよ」と声をかけてくる。引退したら二度とスパーリングはしないと決めていた私は毎回断り続けた。あの緊張感をもう一度味わうとまたリングに上がりたくなりそうだったからだ。
JBスポーツジムの看板選手の福島君は念願の世界挑戦を控えていた。しかし相手が悪かった。オスカー・ラリオス。メキシコの後楽園ホール、アレナコリセオで当時世界の3位ぐらいだったラリオスの試合を二度程見て、この選手に勝てる日本人はいないだろうと思ったものだ。
しかし福島君の練習を見てると世界戦をまじかに控えているはずなのにどうも緊張感が足りない様な気がした。私は老婆心で「ラリオスは強いよ〜」と言うと「そうですねぇ」と爽やかな笑顔を返された。
そんなある日、打越秀樹氏がJBスポーツジムに遊びに来た。約10年前に激闘を交わした二人は今では親友同士だ。私もその会話に加わらせてもらう。そして高橋会長がミットを持ってくれる事になった。打越氏が腕を組んで見つめる中、高橋会長が持つミットにパンチを打ち込む。「JBに来て良かったな〜」と心底思った。
その後埼玉に引っ越す事になりJBスポーツジムには通わなくなったが、たまには高橋会長に挨拶に行かなくては・・・・・等と思っていた矢先、高橋会長から電話があった。
「いつ俺の事を書いてくれるんだよ」と笑いながら言う。
「いつか・・・・」
「ビバメヒコでメキシコで偶然高橋ナオトに会った!でいいから書いてよ」
「そんな嘘書けませんよ」
そんなとりとめの無い会話を交わしながら嬉しさが満ち溢れて来るのを感じた。
そしてかなりの月日がたち、亀田選手とランダエダ選手の再戦が行われた翌日のスポーツ新聞で元世界チャンピオンや記者達の亀田選手賞賛の記事ばかりを目にしながら、俺の目とこの人達の目はどっちがふし穴なんだ?と疑問に思っていたら高橋会長から電話があった。
「ランダエダが本気でやったかどうかなんてあのグローブの握り方でわかるよ」とあっさりと言う。
「えっ!そんなのでわかるんですか?」
「リングの上でやるかやられるかの真剣勝負をやった人間にはわかるんだよ。まぁ池田君はボクシングをやった事がないからわからないだろうけどさぁハハハ・・・・あっ!ゴメン。池田君は元東洋1位だっけ。ハハハ・・・・・」
「・・・・・・・」
17才の頃部屋にピンナップ写真を貼り眺め続けたあの憧れの高橋ナオトとそんな会話が交わせる様になった。
それだけでも、ボクシングをやって来て良かった・・・・・・。
そう思えるのだ。
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