老兵と野武士と

写心 山口裕朗

 2月10日戦友のムアンファーレックこと通称バーンの応援に久々に後楽園ホールへ向かった。

 水道橋の駅を降り長い陸橋を渡る。

 試合前この陸橋を渡りながら、帰りは勝ってこの陸橋を渡るんだ!と心に誓い迫り来る緊張感を抑えたものだ。

 あの緊張感は二度と味わいたくないが、この陸橋を渡るたびにあの緊張感が無性に懐かしくなる。

 控え室に入るとバーンの懐かしい顔が見えた。顔がかなり腫れぼったくなり歴戦の疲れがそこには刻まれていた。それはそうだもうバーンも36才になる。日本なら来年には強制的に引退させられる年齢だ。バーンは一体いつまで闘い続けるのだろうか・・・・・

 そんな事を考えていたらバーンの12才になる息子が今度ムエタイの試合に出ると言う。私がタイにいた時はひ弱でとてもじゃないがムエタイなんか出来ないだろうと思っていたが、やはり血は争えない。

 バーンはかつて無敵を誇ったムエタイチャンピオンで長らくその王座を守っていたが、年齢には勝てずその座を奪われるとボクシングに転向して来た。そのデビュー戦は凄まじく、敵地インドネシアに飛び二階級も上の東洋ランカーを倒した。しかしあれからもう7年以上が過ぎている。相手はアマチュア4冠の実績を持つハードパンチャーの内山高志選手だ。バーンの体が心配になる。長い待ち時間の間控え室の空気が弛緩して来たので私はパンフレットの内山選手の顔を指差し「アンタラーイ(危険だ)」と言った。するとバーンは一瞬真剣な顔になったが「オ〜アブナイネ。ダイジョウブ、マイペンライマイペンライ」と笑顔で答えた。歴戦のつわものであるバーンにとって私の心配事等取るに足らない物に違いない。

 
 セミファイナルが迫りメインに登場するバーンが控え室を出た。薄暗い階段を登り廊下でその出番を待つ。

 セミファイナルが始まったのでパンフレットに書かれていた「天才ボクサー」と「なにくそ魂」の二人の闘いを観戦する事にした。

 「天才ボクサー」と称される中森宏選手がロープを飛び越えてリングに入場する。見るからに身体能力が高そうだ。しかし、リングの上でやたらニヤニヤしている。自信の表れを誇示したいのだろうが、真剣勝負の場であるリング上でのニヤニヤとした顔は、過剰なリングパフォーマンスと同じぐらい私に嫌悪感をもたらす。

 戦場でニヤニヤ笑っている兵士がいたら、それは恐怖で頭がおかしくなったのか、もしくはただのピエロでしかない。

 中森選手の師である元世界チャンピオンの平仲明信氏はかつてリングに上がる時はリングに額ずき長い祈りを捧げ、リングを降りる時はリングに一礼をして静かに去って行くというボクシング道を極める求道者のようだったが、惚れ込んだ愛弟子にはやはり甘くなってしまうのだろうか。

 試合は白熱した。中森選手が小野寺選手を倒す。しかし、片膝を着き後ろに倒れかかろうとする小野寺選手に更にパンチを打ち込み、当たらなかったが膝も振り上げた。しかしレフリーは注意すらしない。こういった卑劣な行為こそ減点すべきだろう。

 小野寺選手も立ち上がり試合は更に白熱する。後半ダメージの溜まった小野寺選手の勢いが落ちる。そこに中森選手が例のニヤついた顔で舌を出す。しかもその下劣な行為は執拗に繰り返された。お互い相手のパンチを警戒し手が出ない場合カウンターを取る為相手に先に手を出させる挑発行為は立派な戦術だ。しかし、すでに反撃する力を失った相手に対する執拗な挑発行為は卑怯者のなせる技でしかない。ボクシングの品位を落とすこのような行為こそレフリーは注意すべきだ。

 「リングの上では反則以外何をやっても自由じゃないか」そんな意見もあるだろう。しかし、「人に迷惑をかけなければ何をやっても自由・・・・・」まったく自由の意味を履き違えた人間が主流になった結果、学級は崩壊し公共道徳は失われた。

 モラル無き自由は無秩序を意味する。

  観客の熱狂とは裏腹に実に後味の悪い試合だった。

 いよいよバーンの試合が始まった。対する内山選手の試合はデビュー戦と二戦目を見たが、ロイ・ジョーンズばりのロケットの様なパンチには驚嘆した。しかしいかんせん相手が弱すぎた。だがバーンは違う。

 のらりくらりと内山選手の強打をかわす。そしてコーナーに誘い込み無造作に踏み込んできた内山選手に得意の右を合わせた。内山選手が後退する。この一発で相手に恐怖心と警戒心を植え込む。バーンが10ラウンドの長丁場を生き残る為には最初にガツンと食らわせて相手の勢いを止める必要があった。

 コーナーに戻って来たバーンはイスには座らない。子供の頃から闘い続けて来た生まれながらの戦士としてのプライドだろうか。

 ゴングが鳴り闘いが再開される度にバーンは満面の笑みで内山選手に両方のグローブを差し出し挨拶をする。これで人の良さそうな内山選手の戦意を削ぐ。日本人には真似の出来ない実に老獪な技だ。そうやってのらりくらりとラウンドを消化して行く。そんなバーンの老いた姿を見つめながら、6年前にタイでまだ強かりしバーンと人知れず激闘を繰り広げた一人の男を想った。

 
 元日本ランカー五月女利晴だ。

 ジムのマッチメークに不満を募らせた五月女君は日本を捨て、残りのボクシング人生を全て賭けてタイへと渡って来た。

 そんな五月女君と驚く程偶然に街で再会した。私が日本での最後の試合となった今岡武雄戦に備えてスパーリングパートナーを務めてくれたのが五月女君だった。しかし久々の再会に不可欠な笑顔が五月女君には見られない。そして思いつめた顔で「とにかく強い奴と闘って燃え尽きたいんです」と繰り返すだけだった・・・・・。

 その後五月女君は現WBAライト級1位のPABA王者プラウェートに挑戦させてくれと、チュワタナジムのアモウ会長に直訴した。

 アモウ会長は五月女君の熱い想いを受け止め了承した。しかし、アモウ会長はそこに一つ条件を付けた。

 それは、バーンに勝つ事。

 
 すでに引退を決め後は日本に帰るだけだった私は、どうしても五月女君のボクシング人生を賭けたこの一戦を見届けなければならないと思い、早く帰国したがる身重の妻を説得しこの試合の翌日発の片道チケットを買った。

 そして2001年7月13日、この日のメインはプラウェートのPABAタイトルマッチ。その前座にバーンと五月女君の一戦は組まれた。プラウェート挑戦を観客にアピールするには最高の舞台をアモウ会長は五月女君に用意してくれた。後は強靭な肉体と精神を持つ鉄の男バーンに五月女君が打ち勝つだけだ・・・・・・。

 そしてついに生まれながらの戦士バーンと背水の陣で望む五月女君がリングの上で対峙した。

 バーンのセコンドに付きながら対する青コーナー側にいる五月女君を見ると余分な物を一切排したその表情はまるで野武士のようだった。 

 目の前のバーンは控え室にいる時から終始リラックスムードだったが、リングに上がった途端体中をグローブで叩き出し一気に戦闘態勢へと入って行った。



 ゴングが鳴る。五月女君はいきなり殴りかかって来た。バーンもひるまずその先制攻撃を受けて立つ。試合開始5秒程でお互い全力での殴り合いが始まった。

 そして五月女君の気迫に押されたバーンが下がりだしロープへつまる。ここぞとばかりに五月女君がラッシュをかけた。何発かいいのを当てたがバーンも的確な強打を放つ。まさに飽くなき一進一退の攻防が続く。中盤バーンの右強打を受けた五月女君の左目は塞がりかかって来た。時折りその潰れた目をしばたたかせる。のちにわかった事だがその目は眼底骨折の為完全に視力を失っていた。

 五月女君は目の周りの骨を砕かれながらも、前へ出た。



 バーンの強打が容赦なくその目を襲う。その度に五月女君の膝がガクンと折れ「あっ!」と思ったが五月女君は踏みとどまった。それどころか鼻と口から血を噴き出しながら反撃を繰り返す。戦前私に語ったように、自らの命を燃やし尽くす様なその姿は実に痛ましくも勇壮であり、リング下の私は武者震いが止まらなかった・・・・・・。

 試合終了のゴングが打ち鳴らされた瞬間、万雷の拍手が沸き起こる。鳴り止まない拍手と言う物を私はこの時初めて聞いた・・・・・。

    

 あれから6年後、試合は7ラウンドへと進む。そして終了ゴング間際、老いたバーンは元アマチュア全日本王者の大型ホープを狙いすました右一発で倒した。

 私は背中に電流が走ったように飛び上がった。老兵はまだ死んではいなかったのだ。

 しかしバーンはこの一発で満足したかのように淡々と残りのラウンドを消化して行った・・・・・。

 
 無事に仕事をやり終えたバーンに付き添い医務室へ向かう。検診を終えたバーンがドクター達に「アリガトウゴザイマシタ」と言うと固い愛想笑いが帰って来た。私がかつてインドネシアで試合をした時、検診をしてくれたドクターに「テレマカシー」と小声で言ったら満面の笑みを外国人の私に返してくれた。そんな事を一瞬思い出していると肩を落としたようにして内山選手が入って来た。

 バーンは内山選手に気が付くと私に「スワイね」と言った。「美しい、いいボクサーだ」そんな意味だが内山選手に通訳し損ねてしまった。

 老兵はシャワーも浴びず、手早く着替えを済ませると知り合い達に笑顔を振りまき静かに去って行った・・・・・・。

 バーンと五月女君の激闘の後、他の選手のセコンドをやり終えた私は急いで五月女君の控え室へ向かった。

 ガラーンとした控え室の机に五月女君はぐったりと横たわっていた。

 五月女君の顔を覗き込むとしかめた様にしてその両目は閉じられていた。なんと声をかけていいかわからずそのまましばらくその顔を見つめていた。

 するとその両目にみるみると涙があふれて来た。一杯にたまったその涙がツーっと目じりを流れ落ちて行った・・・・・。

 五月女君はその涙を拭こうとして私に気が付いた。

 「いい試合だったよ」そう告げると「ありがとうございます。でも、負けたから、もう終わりです・・・・・」そう搾り出すようにして言うと、震えるような深いため息をついて再び目を閉じた。

 そしてまたその両目は、愛し続けたボクシングへ別れを告げる決別の涙で、一杯になった・・・・・・。

 
 翌日、タイから帰国する機内で前日の激闘を思い出し、私は五月女利晴という男の名を、心に刻んだ。




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●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を現WBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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