因縁の再戦が行われた12月20日、この日どうしても仕事を早退する事が出来ず、その上一杯やってしまい午前様になってしまった。 
 
 その間ボクシング関係の知り合いからはなんの連絡も無かった。その事は暗に亀田選手が勝利した事を意味していた。半ば試合結果に興味を失いながらビデオの電源を入れる。

 初めから結果のわかりきっている弟の試合は飛ばし、芸能人の歌うふざけたアレンジの国歌斉唱を飛ばしやっと試合にたどり着いた。

 中南米のテクニシャン相手に付け焼刃のアウトボクシングが通じるはずがない。そう思っていた私は亀田選手の動きを注視する。

 そしてその左ストレートの速さに思わず「うそだろ・・・・・」とつぶやく。

 「う〜ん・・・・・・」と唸りながらこのラウンドを亀田選手に付ける。7ラウンドまで亀田選手のラウンドが続き12ラウンドの半分以上を制した時点で採点するのをやめて、悪い酔いが回るのを感じながら亀田選手の今までとは別人の様な動きをぼんやりと眺め続けた。

 亀田選手の完勝だった。

 
 そして酔いが覚めた翌朝、今度はランダエタ選手を中心にもう一度ビデオを見る。

 昨夜も気になったがランダエタ選手のこの追い足の無さは一体なんだ?いくらカウンターパンチャーとは言えまるで相手を追いつめる気配が感じられない。

 1,2ラウンドの動きと中盤以降は動きがまったく違う。リングアナウンサーに名前をコールされ歓声を背に受ければイヤでも気合が入る。だから前回も1ラウンドはつい本気を出してしまった。

 今回も最初のうちは気合が入っていたが途中からは何かを思い出したかのように失速してしまった。

 ランダエタ選手得意の左アッパーと右フックはほとんどがボディーに放たれる。決して亀田選手のその細いアゴは狙わなかった。

 決定的なシーンが7ラウンドの最初に訪れる。ランダエタ選手が右フックから左ストレートを返すが、右フックを両手でブロックした亀田選手の顔面の右側面ががら空きになった。しかしランダエタ選手の左グローブはわざと当たらないようにがら空きの顔面の隣りにポーンと置かれた。

 パンチを打ったのではなく「置いた」のだ。

 そのグローブには相手を倒すという意志が全く感じられなかった。

 途中何度かがら空きになったテンプルに得意の右フックを放つチャンスがあったが、女性の平手打ち以下のパンチしか打たなかった。

 後半亀田選手が単調な連打を繰り返す。ロープに詰まったランダエタ選手にとっては絶好のカウンターチャンスだったがまともなパンチを一発も返さない。

 最終ラウンドを迎える。どう見てもランダエタ選手は圧倒的にポイントを取られている。ポイントを取られて劣勢の選手は逆転KOを狙って相手に向かって行くのが普通だ。しかし行かない。そしてランダエタ選手が始めて自分からコンビネーションブローを放ったのが最終ラウンド残り10秒を切ってからだった。

 もう亀田選手のKO負けは無いと確信したからなのか、それとも最後ぐらいは思うように手を出してスッキリしたかったのか・・・・・・。

 
 戦前、これだけ世間が注目すればランダエタ選手は本気を出さざるを得ない。そう予想した私は所詮平和ボケした日本人の一員だと言う事を今回思い知らされた。

 生活費を稼ぐためにリングに上がっている世界中のほとんどの職業ボクサーにとって喉から手が出る程欲しい物が破格のファイトマネーだ。

 前回と今回の試合でランダエタ選手には家族を十分養えるだけの大金が入って来ただろう。自分が味わってきた苦労を子供達に味あわせなくて済む。そして子供達に十分な教育も受けさせる事が出来る。これだけで子供達の輝く将来は約束されたようなものだ。

 ランダエタ選手にとって世界チャンピオンのベルトよりも大切な家族に、とてつもない幸福をもたらしてくれた亀田選手と協栄ジムには感謝こそすれ、敵意などどうやっても湧き出ては来ないだろう・・・・・・。

 ランダエタ選手は試合後「もう一度やりたい」と抜けしゃあしゃあとコメントしたが、そんな思いを抱きながらリングに上がって、どうして亀田選手にダメージを与えるような危険なパンチを打てようか? 

 もし私の意見に亀田選手側が反論するのなら、勝った方が両者のファイトマネーを全てもらえるウイナーテイクイットオール方式でやればいい。

 そうすれば自分達が井の中の蛙だったことを思い知るだろう。

 しかしそんな危険な賭けを亀田陣営がやるとは到底思えないが・・・・・・。

 

 「八百長」と言う言葉は私は大嫌いだ。

 リングの上で散って行った今は亡き戦友達を想う時、この言葉は彼らの死を冒涜するような気がしてならないからだ。

 この唾棄すべき言葉は前回と今回の試合には当てはまらない。

 ランダエタ選手が「手心を加えた」ただそれだけの、事だった。

 私の目には、そう写った。




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●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を現WBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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