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前々回のコラムで具志堅用高氏の事をほんの少しだけ書いたがその時ふと、遠い記憶が蘇って来た。
それは今から20年近く前私がまだ17才高校二年生の時の事だ。
当時私は薗田哲朗氏が主宰するアマチュア専門のボクシングジムに通っていた。薗田氏は市役所に勤めるかたわら無料でジムを開放しており都城市内にある五つ程の高校から私のように将来プロを目指す者から腕に自信のあるケンカ自慢の者やただ強くなりたい一心だけの者までさまざまな高校生が各々勝手に集まり勝手にスパーリングをしたりとおよそボクシングジムらしくないそのジムで私は高校時代を過ごした。
忘れもしないあの時は暑い夏休みの最中だった。ジムで練習をしていると「おい!今日具志堅が都城に来るぞ!」と友人が興奮気味にジムに入って来た。
「えっ!具志堅って、あの具志堅用高か!」私も興奮して叫んだ。
何やら具志堅氏がチェーン展開しているラーメン店の宣伝の為に都城市内にあるラーメン店でサイン会を行うとの事らしい。
早々と練習を切り上げた4,5人程の一団は途中で色紙を買い具志堅氏が来るラーメン店に向かった。
店の前に着くとこの暑い中、田舎では珍しい人だかりが出来ていた。私達も色紙片手に列に並ぶ。
待つ事数分、ついに具志堅氏が出て来た。始めてみる雲上人の元世界チャンピオンだ。具志堅氏はにこやかな営業スマイルで流れ作業の様にサインをして行く。その姿がまたカッコ良かった。
そうこうしているうちにあっという間に私の番になった。色紙を差し出すとサラサラとペンを走らす。私は列に並んでいる間に言おうと決めていた事を口にした。「具志堅さん、僕は今ボクシングをやっていて将来プロボクサーになりたいんです」そう言うと具志堅氏の手がピタリと止まり私の顔をじっと見た。
緊張しながら私は「それで僕のシャドーを見て下さい!」と言ってしまった。
すると具志堅氏は黙ってうなずくと色紙を付き添いの人に渡し「やってごらん」と言った。営業スマイルはすっかりなくなっていて心なしか少し怒っている様にも見えた。後ろにはサインをもらうのを待っている人達もいる。
しかしそんな事はもうどうでもいい。私は覚悟を決めて偉大な元世界チャンピオンの前で下手クソなシャドーを始めた。
私は一心不乱にパンチを放ち続けた。騒々しかった店内でなんの音も聞こえなかった。
息が切れ始めた頃「よし、もういいよ」との声がかかった。汗だくになりながら具志堅氏から色紙をもらう。何かアドバイスをもらったが興奮してすっかりうわの空でまったく耳に入らなかった。
私達一団は色紙片手にテーブル席に行くと興奮覚めやらぬまま熱いラーメンをすすった。途中友人が「おい!具志堅がこっち見てるぞ!」とささやく。後ろを振り返ると具志堅氏がこっちを見ながら関係者と何やら真剣な顔で話している。緊張してラーメンがのどを通らなかった。
帰り際入り口の所にいる具志堅氏の側に行き図々しいと思いながらも色紙のサインの横に具志堅氏の好きな言葉を書いて下さいと頼んでしまった。
具志堅氏はまたもやじっと私の顔を見ると「努力」と書いた。
もっと勇ましい言葉を期待していた私は少し拍子抜けをした。がしかし偉大な人物が書くと「努力」という平凡な言葉にも何やら重い意味が込められているような気がして来た。
そして具志堅氏は私に「プロになりたいなら東京に出て来なさい」と言ってポケットから名刺を取り出し私に渡すと「もし東京に出て来た時はここに連絡しなさい」と言ってくれた。
天にも昇る思いとはこの事だろう。私は自転車をすっ飛ばし急いで家に帰ると母親に事のてん末を興奮しながら話した。しかし子供にボクシングをやらせたい母親なんかいるはずもなく「良かったわね」とそっけない一言だけだった。
それからというもの、暇があれば机の引き出しにしまった色紙と名刺を取り出し飽きずに眺め続けるのが私の日課となった。
その後訳あってその名刺を使う事なく東京でのプロボクサー生活を送る事となったが、一度だけ私の試合を具志堅氏が解説を務めてくれた事があった。
まさか目の前で試合をしているボクサーが7年前に九州の片田舎でシャドーを見てくれと頼んだ少年だとは具志堅氏も気が付かなかっただろう。
しかしよりによってその試合は私の30数戦のキャリアにおいて最も思い出したくない試合となった。
当時日本ランキングの1位だった私は故平仲信敏選手へ挑戦する為に指名試合の日が来るまでフィリピン人ボクサーとの消化試合の様な物をこなしていた。
そしてその試合私はダウンをしながらも2対1の地元判定で勝利するという先日の亀田選手ばりの試合をしてしまった。
その後地元判定で勝ってしまった事で相手のフィリピン人ボクサーに対して罪悪感のような物を心の片隅にずっと残していたが、それから6年後タイで同じ様な地元判定で負けにされた時、あの時の借りを返したような気がしてなぜか心がスッキリと晴れ渡り刑期を終えた囚人のような心境になった。
話しは戻り具志堅氏の前で無様な試合をした私は控え室でひどい頭痛に襲われ倒れてしまった。目を開けようとするがどうしても開けられない。周りの声が時々聞こえるが目の前は真っ暗でゆらゆらと揺れている様だった。そのうち救急車のサイレンが聞こえたのを境に完全に眠ってしまった。
こらえ様の無い頭痛と喉の渇きで目が覚めるとそこは真っ暗な病室だった。ちょうど見回りにきた看護婦さんに「水を下さい」と頼むとなぜかその人は暫く悩んだ後氷を二かけら持って来た。口に入れた瞬間消えてなくなったような気がした。7月の暑さと試合中も試合後もほとんど水分を取っていない私の喉はカラカラに渇いていたが身動きも取れずひたすら頭痛と渇きに耐えた。
翌朝目が覚めるとマネージャーに付き添われて妻がドアを開けて入って来た。私はすかさず何か飲み物を買って来るように言う。イライラしながら待っていると妻が小さなパックのジュースを一つ持って病室に入って来た。
私は思わず「なんで一個しか買って来ないんだ!」と怒鳴ってしまった。
それからという物事あるごとに「あの時こっちは心配で夜も眠れなかったのにジュース一本ぐらいで怒鳴ってなによ!」となじられる事となった。
あの試合で「油断大敵」と「口は災いの元」を身を持って知った。
最近の亀田兄弟ブームにおいて具志堅氏の発言が思わぬ騒動にまで発展してしまったが、具志堅氏が私とまったく同じ思いを持つ男だという事を知り20年前のあの時の熱い夏の記憶がより一層貴重で価値ある物となった。
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