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もうすぐメキシコで闘牛士の異名を持つヘスス・マタドール・チャベスとマルコ・アントニオ・バレラの一戦が行われる。
チャベスとはプエブラでの倫太郎君の試合の日に一度会っただけだが、どうしても忘れられない男だ。
当時北米チャンピオンだったチャベスに自己紹介をすると、今度スパーリングをやってくれと執拗に頼まれた。キラキラ光るその目はやけに真剣だった。北米チャンピオンを鼻にかけることなく飽くなき探究心を見せるその姿に恐れ入った。
そのプエブラでの倫太郎君の試合が終わりいろいろと寄り道をしたお陰でだだっぴろいプエブラのバスターミナルに着いたのは深夜だった。
メキシコシティー行きのバス乗り場に向かう途中、喉の渇きを覚えた私は隊列を離れ飲み物を買うことにした。すぐ買えると思っていたが、店じまいに取り掛かっている店員がなかなかとりあってくれない。あせって話したせいか言葉もうまく通じずいかにも甘そうなジュースを渡してくる。何度かやりとりをしてやっと欲しい飲み物が手に入り急いでジムの連中がいた所に戻るともうそこには誰もいなかった。
周りを慌てて見渡すが最終バスに乗り遅れないようにと慌しく動き回る人の波に飲まれてジムの連中の姿をどうしても見つけられない。
いい年をして迷子になってしまった。焦った。よく迷子になっていた子供の頃の感覚を思い出す。
その場で呆然と立ち尽くしていると人の視線のような物を感じた。視線が感じられる方向を目を凝らして見てみると、そこにヘスス・チャベスが立っていた。嬉しくなって走って駆け寄ると話しもそこそこに早足で歩き出した。チャベスは私の事を待っていてくれたのだ。
人の波をかきわけるようにして歩き続けてやっとジムの連中と合流出来た。チャベスに礼を言うと別にいいよといった感じで軽くうなずいていた。
その後ジムでの練習する時間帯が合わず顔を会わす機会はなかったが、日本に帰国後もチャベスの試合はいつも気にしていた。
北米タイトルを守り続けてついにWBCのスーパーフェザー級の1位にまで駆け上がった。しかしここからチャベスの苦しい闘いが始まる。 当時のチャンピオンは無敵フロイド・メイウエザーだったが、メイウエザーが主戦場にしているアメリカにチャベスが入国を禁止されていたのだ。
チャベスはご他聞にもれず不良少年だったらしく、アメリカで過ごしたその少年時代に犯した窃盗の前科がある為に、世界の1位になってもアメリカに入る事すら出来ないという。
あまりにも殺生な話しだった。
しかしチャベスは諦めず黙々と北米タイトルを守り続けた。そして一年以上の年月を経て周囲の尽力によりついにメイウエザー挑戦が決まった時は実に嬉しかった。
待ちに待った世界初挑戦は9ラウンドTKO負けに終わってしまったが、それから苦節2年を経てシリモンコンに勝ちついに念願の世界制覇を果たした。
やっと手にした虎の子のベルトを同国人のエリック・モラレスとの激闘で手放してしまったが、それに屈せず階級を上げて運命のリーバンダー・ジョンソン戦に辿り着いた。
この試合で見事二階級制覇を成し遂げ歓喜の絶頂にいたチャベスだったが、その直後に人生最悪の出来事が襲った。
ジョンソンが帰らぬ人となってしまったのだ・・・・・・・・。
心優しきあの男にとってこの悲しき出来事のダメージは計り知れない。
数日後、チャベスは「ジョンソンのために祈り続けたい・・・・・・・」との痛々しいコメントを出した。
チャベスのあのキラキラとした瞳が涙に暮れているかと思うと、胸が締め付けられるようだった・・・・・・・・。
魔のジョンソン戦からバレラ戦までの6ヶ月というこの期間は、チャベスの心の傷を癒すのに充分な時間だったと言えるだろうか?
しかし、世界チャンピオンとはいえ一ボクサーの心の変遷を見守ってくれるほどこの世界は甘くはない。
アメリカの巨大な法律の壁にも屈しなかった不屈の男にとって、対戦相手の死は間違いなく人生最大の壁になるだろう・・・・・・・。
以前ロスのLAジムに行った時、偶然元世界チャンピオンのガブリエル・ルエラスを見かけた時は言葉では言い表せない程のショックを受けた。
ルエラスは持ち前の強打とエネルギッシュなファイトで保持する世界タイトルを防衛し続けていたが、KOで下した相手が死亡するという悲劇に見舞われ、その事故以来急激に光を失い、そしてタイトルを奪われると人知れず表舞台から消えて行った。
その忘れ去られたルエラスが私の目の前に現れたのだ。
しかしその姿はあまりにも変わり果てていた。
まるで着ぐるみを着ているかの様にあの筋肉質の体が膨張していた。
獲物を狙う獣のようだった目がどろんとよどんでいた。
リング上でいつも不敵な笑みをもらしていたあの精悍な顔がまるで蝋人形のように表情がなかった・・・・・・・。
私は思わず近くにいる人に聞いた。「本当にあれはガブリエル・ルエラスか?」と。
するとその人は悲しそうな顔をして「そうだ」と答えた。
ルエラスは2倍ぐらいに膨れ上がったその体でパンチングボールを緩慢なリズムで叩き続けていた・・・・・・・。
自分と同じ様な境遇に育ち、自分と同じ様な夢を見て闘い続けて来た同志を、自分の拳で死に至らしめてしまったその苦しみは、一体どれだけの重い十字架を背負えば許されるのだろうか・・・・・・・。
あのリングに再び上がる事は到底不可能に思えるようなその体を引きずりながらも、ルエラスはまだボクシングを諦め切れないでいる・・・・・・・。
あまりにも哀しすぎるそのルエラスの後ろ姿を、私はただ見つめ続ける事しか出来なかった・・・・・・・。
チャベスにはルエラスのようにはなってもらいたくない。
重い十字架を一人で背負い込もうとはしないでもらいたい。
苦しみから逃れるためにリングに上がったはずなのに、リングを降りてからも苦しみ続けるなんて、あまりにも、哀しすぎる・・・・・・・・。
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