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今月15日に後輩の横尾真樹が後楽園ホールのリングに立つ。
元ボクサーを父親に持つ横尾は子供の頃からジムに出入りしていたらしく文字通り金子ジム期待の星だった。
まだプロになる前に元世界チャンピオンの井岡弘樹氏とスパーリングをする機会があったが、まったく臆せず打ち合い大物の片鱗を見せていた。
その横尾が満を持してプロデビューし順調にKO勝ちを続けて行く。一度不覚のKO負けを喫するが、そこで腐る事無く再びKO勝ちを続けて行った。
そして1992年、私と二人でB級トーナメントに出場。普段の体重はお互い同じぐらいだったが横尾は私より三階級下のスーパーフライ級を主戦場にしていた。横尾はすべてKOで私はすべて判定で勝ち上がり二人そろって決勝に進む事になった。
当時のB級トーナメントは優勝すると無条件に日本ランクに入る事が出来た。この日5階級で行われた決勝戦はメインイベント格が横尾と後の日本チャンピオン松島二郎との一戦だった。
6勝(6KO)1敗とこのクラスでは脅威的なKO率を誇る横尾が戦前は有利と見られていたがなかなか松島選手を捕まえきれず、結果はドローで規定により横尾が勝者扱いというスッキリしない幕切れとなった。
控え室に戻って来た横尾は「あれじゃ松島君に申し訳ないですよ。ジャッジがおかしいですよ!」と記者の人達に息巻いていた。
勝者が全てのこの世界で運良く生き残れたにもかかわらず、それでも横尾には不満らしい。4回戦時代に6敗し4年がかりで日本ランク入りを決めた私から見たら横尾の発言はとても青クサイ物に思えた。
そして結局横尾はその一戦をもって引退してしまった。
その行動は当時の私にはまったく理解出来なかった。
そのままボクシングを続けていれば間違いなく日本チャンピオンには成ってたであろう横尾は、自分でバーを開き若きマスターとして第二の人生を歩み出して行った・・・・・・・・。
それから約7年後、メキシコに旅立つ前に横尾の店に行く機会があった。その店の名前は「OUT BOX」。
アウトボクシングを身上にしていた横尾の思いが詰まっていた。
そして店の中のテレビには絶えずボクシングの映像が流れていた。
店の名前を知り、そしてその映像を見ながら思った。
「この男もまだ、ボクシングを想い続けている・・・・・・・」
それから2年後、タイから帰って来た私は横尾と再会した。
「タイには本当に強い奴らがいた」と話す私に「僕もそんな強い奴と闘いたいんです!」とその目に力を込めて言った。
横尾はあのリングにもう一度立とうとしている・・・・・・・。
私は別れ際に言った。「ボクシングは死ぬかもしれないんだぞ。それでもいいならリングに上がれよ。」
そして2年の月日が過ぎ、横尾はリングに帰って来た。
12年ぶりの試合は相手の手数に押されながらも右のカウンター一発でダウンを奪い判定での劇的な勝利を納めた。
そして5ヵ月後の再起2戦目、ダウンを奪われた末に判定で敗れ去ってしまった・・・・・・。
その試合を見終えた私は控え室へ向かった。
控え室での横尾は饒舌で笑顔だった。私は思わず「相手を見過ぎだよ!」と文句を言ってしまった。横尾から笑顔が消えた。ムッと来ているのがわかったがそのまま控え室を後にした。
その夜酒を飲みながら静かに横尾の闘いぶりを思い出す。
頭からフードをかぶり決意に満ちた目でリングに上がって行った横尾。
かつてのクラスから4階級も上の相手に臆する事無く正面切って向かって行った横尾。
マットに這わされながらもなんとか立ち上がり、最後まで勝負を捨てなかった横尾。
昔の横尾なら難なく切り抜けたであろうそのシーンを反芻しながら、ひどく遅れてやって来た感動に襲われた。
12年間の空白がありながらも、そしてかつてのクラスから4階級も上げたうえでのあの闘いぶりは、横尾にしか出来ない見事なアウトボクシングだった・・・・・・・・。
私は数日後横尾に連絡した。控え室での失言を詫びると「そんな事いいですよ〜」と言って笑っていた。
あの日から1年以上が過ぎた。
そして33才になった横尾はもう一度あのリングに上がる。
12年間想い続けて来たリングへの熱い情熱が、たった一度の敗北で消え去るはずはない。
ボクシングへの熱き想いを添い遂げるその日まで、横尾はリングに上がり続けるのだろう。
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