再起

 二年程前に見ず知らずのボクサーから連絡が来た。なにやら近いうちにタイで試合をする事になり、それにそなえて現地の話しを聞きたいらしい。

 後日、私の与太話を聞きに横浜から埼玉の私の仕事場までわざわざ来たのが横浜さくらジムに所属する清水嵩之君だった。

 2002年に東日本の新人王に輝いた彼は現役の大学生であり、友人が新田ジムに所属している関係で私の先輩の新田会長から連絡先を聞いたらしい。以前から海外で試合をしたかったらしく、念願のタイでの試合を控えかなり気合が感じられた。私の話す言葉をいちいちノートにメモする。その表情は驚くほど真剣だった。

 しかし試合まであと10日程しかなく、しかもジムに一週間ほど寝泊りして試合に臨むらしい。もうすぐ四月になるその時期はタイで一番暑い季節だ。連日40度を記録する猛暑の中のジムワークは荒行に近い。しかも清水君はここ最近風邪を引いててずっと熱が下がらないらしい。その状態で言葉の通じない灼熱のタイで慣れない合宿所生活を送りながら減量して試合に臨む。考えれば考えるほど危険な行為に思えた。

 今回は試合をキャンセルして、万全な態勢で時期を選んで臨むべきだと話した。まだ若いんだからチャンスはいつでもあるとも話した。

 最初はかたくなに拒否していた清水君もしつこい私の説得に折れて、渋々私の願いを受け入れてくれた。 

 
 数週間後、今度後楽園ホールで初めての8回戦に臨むのでチケットを送るとの連絡があった。しかし仕事をどうしても休めず観に行けなかった。

 そしてその後正月に清水君から連絡があった。今年こそはタイで試合をしたい事。ボクシングは学生時代だけやると決めていた事。来年卒業なのであと一年悔いを残すことなく頑張りたい。との事だった。

 それから数ヶ月が過ぎた頃、清水君から連絡があった。

 
 前回の試合で眼底骨折をした事・・・・・・・。

 手術を三回したが、しかし視力は元に戻らなかった事・・・・・・。

 それでもタイで試合がしたくて会長に何度も頼んだが結局認めてもらえなかった事・・・・・・・。

 携帯電話のその小さな一つ一つの全ての文字がとてつもなく重かった。

 こんなことがあっていいのか・・・・・・・。

 目に涙をためながら「タイで試合をやらせてください!」と訴える清水君の姿が目に浮かんだ。

 
 こんなことになるんならあの時試合をやらせてあげればよかった・・・・・・・。

 ひどい後悔の念に襲われた。

 
 そしてその重いメールの最後に、私に渡したい物があるから会いたい。とあった。

 あれほどやりたがっていたタイでの試合を私の忠告を聞いたばかりに、夢を叶える事なく引退する事になった彼に、一体なんて言葉をかければいいのか・・・・・・。

 沈む気持ちのまま彼に会った。

 しかし清水君はそんな私の気持ちを察しているのか悔しさを微塵も見せずニコニコと笑顔を絶やさない。

 その優しい気持ちが心にしみた。

 そして私にどうしても渡したい物とは一枚の写真だった。

 
 そこには懐かしいチュワタナジムの仲間達の笑顔があり、一番前にいるウエンペットがなにやら手に写真を持ってこちらへ向けている。

 ウエンペットが手に持っているその写真は私が初めて清水君に会った時に、チュワタナジムに行く事があったらトレーナーのジンチョーデンに渡して欲しいと頼んだ私の家族の写真だった。

 ジンチョーデンは小さな男の子と奥さん共々ジムに住んでおり、妻を連れてチュワタナジムに来た私と家族ぐるみで仲が良かった。

 私がタイを去る時、「日本に帰らずに俺の田舎で一緒にジムをやろう」と言ってくれたジンチョーデンに娘の顔を見せたかったのだ。

 親バカな軽い気持ちで頼みすっかり忘れていたのに、清水君はその写真を持って、上がる事が出来なかったラジャダムナンスタジアムのリングを見る為にわざわざタイに行って来たと言う。

 唖然とするとはこの事だろう。

 清水君はニコニコしながら話す。

 あいにくジンチョーデンはジムにいなかった事。

 その写真を代わりにウエンペットに渡して来た事。

 タイのリングは想像以上に熱かった事。

 それらの言葉を聞きながらなんて大した男なんだ・・・・・と思った。

 そして彼は努めて明るく今は就職活動中だと話す。

 体育会系的な雰囲気のある証券業界で働き、世界を駆け巡りたいと熱く語ってくれた。

 タイでの試合をキャンセルさせた事を謝ろうと思ってたが、心の奥に隠した傷口が痛々しく現れそうで結局それに関する会話は一言も交わせなかった。

 
 それから数週間後清水君から連絡があった。なんと野村證券に就職が決まったそうだ。やはり優秀な男だったのだ。

 喜びと希望がにじみ出てるその文面の最後にこう書いてあった。

 「今度はこの世界でチャンピオンを目指します。まともに目の見える人たちには絶対負けません!」

 
 泣けた・・・・・・

 絶望のどん底から再び力強く起ちあがろうとするその姿に泣けた・・・・・・・。

 
 それから再び数週間が過ぎた頃、清水君から「大阪支社勤務になりました。頑張ってきます」とのメールが届いた。

 大阪と聞いてとっさにエディージムが浮かんだ。江藤なら清水君の良き相談相手になってくれそうな気がした。

 しかしボクシングの事を忘れようとしているかもしれない清水君に、ボクシングジムに行かせるのは残酷な仕打ちになってしまうのでは・・・・・・・そう思った。

 
 しかし、ボクシングで負った傷はボクシングでしか癒せない。

 私は清水君にエディージムに行くように連絡した。「江藤という凄くいい男がいるから」と。

 そして早速江藤に「清水君という素晴らしい男がそっちに行くかもしれないから、その時はよろしく頼む。お前とは絶対気が会うはずだから」とメールを送った。

 気を揉むこと数日、清水君から連絡があった。

 「江藤さんは本当にいい人です。これから仕事が休みの日にエディージムに行く事にしました」

 それと前後するように江藤からも連絡が来た。

 「清水君は本当にいい男です。昨日一緒に飲みに行って来ました」

 お互い同じような事を言ってるのがおもしろかった。

 これで少しは清水君に罪滅ぼしが出来ただろうか・・・・・・・。

 
 あれから半年以上が過ぎた今でも、週一回清水君はエディージムに元気な顔を出しているそうだ。



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最新の「池田高雄拳跡集」
06.02 再起
06.01
05.12 鎮魂歌
05.11-3 血の系譜
05.11-2 戦士の誇り
05.11-1 44歳の勝利
05.10 10年目の和解
05.07 鳥海VSクマントン
05.06 名古屋城、落城す。

●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を現WBAスーパーバンタム級1位のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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