先日エディージムのチーフトレーナーを務める金子ジム時代の後輩から連絡があった。「教え子が今度後楽園ホールで試合をするからぜひ観に来て欲しい」との事だった。

 後輩の江藤は元6回戦のボクサーで年齢は私より一つ下だが、変に大人びたとこがありながらも少年の純粋さも持つ愛すべき男だ。会話の途中で時折り飛び出す博多弁が江藤からにじみ出る男っぽさを更に際立たせている。

 江藤は引退後横浜の方に引っ越した関係で茅ヶ崎にあるピストン堀口ジムでトレーナーを務めていたが、奥さんの実家がある大阪に引っ越す事になり、それならばと折りよく東京に来ていたエディージム会長の村田英次郎氏を紹介した。

 それから3年の月日が過ぎ江藤はその腕と人柄でエディージムのチーフトレーナーという村田会長の右腕的な存在になった。

 関西弁と博多弁がごちゃ混ぜになった江藤のしゃべり方は聞いてておもしろい。ただ関西に住む人間のサガか時折り放つギャグはまったくおもしろくない。

 今回試合をする橘悟朗君は元々ピストン堀口ジムの選手だった。しかしトレーナーの江藤が大阪に引っ越す事を知るとジムをやめ仕事もやめて江藤について来たそうだ。

 しかも橘君は公務員だったらしい。安定したその職を捨ててまでもただの無名トレーナーでしかない江藤に全てを託して見ず知らずの遠い土地に来たという。

 軽薄で何もかもが不確実な今の日本で特筆に価する話しではないのか・・・・・・そんな事を考えながら橘君は今どんな仕事をしているのか江藤に聞いてみた。
 かたわらにいる橘君を見やりながら「今コイツはモスバーガーでバイトしてるんスょ。だからあだなはモスゴロウです。ハハハハハ」

 まったく笑えなかった。

 
 橘君は試合前の極度な緊張状態にありながらそんな下らない会話にはにかんだ様な笑顔を持って答えていた。

 エディージムの同僚で先日、東洋チャンピオンに返り咲いた小松則幸選手が橘君のセコンドに付く為にわざわざ大阪から一人で来ていた。江藤同様男っぽさを滲み出す小松選手に「東洋チャンピオンおめでとう」と告げると一転して人なつっこい笑顔を見せてくれた。

 しばらくするとピストン堀口ジム時代の橘君の先輩である元日本ランカーの折田実氏が控え室を訪れて来た。それにしても折田氏の癒しを与えるかのような笑顔はまったくもって素晴らしい。橘君の周りはいい笑顔の持ち主で固められているようだ。

 そのうち「よし、体を動かせ」と江藤が指示すると橘君は「ハイ!」と返事をすると同時にはじけ飛ぶ様に控え室を出て青コーナー側の薄暗い階段の下でシャドーを始めた。
 江藤は大きなバスタオルを右肩にかけて素手で橘君のパンチを受ける。すっかりその姿が板に付いていた。

 「よし、いいぞ」「絶対自分は勝つと信じろ」「最後まであきらめるなよ」江藤の放つそれぞれの言葉に「ハイ!」と律儀に返事をする。

 その光景は二人の間に今だに色あせないトレーナーとボクサーを結びつける確実な繋がりがある事を教えてくれる。

 村田会長は腕を組んだまま黙ってその光景を見つめ続けている。ここにも会長とトレーナーをつなぐ確固とした信頼関係がうかがえた。

 
 対戦相手の池原選手はライトフライ級の6位でありこの試合に勝てば一気にランク入りが果たせる。試合前の江藤の激にも自然と力が入る。

 そして、固い絆で結ばれた二人がリングへと向かって行った・・・・・・。

 
 試合はまさに一進一退だった。橘君への関西弁の熱狂的な応援が後ろから聞こえる。橘君は大阪でも熱い友人を持ったようだ。

 手数では橘君が押していたが時折り放つ池原選手の的確な強打も捨てがたい。お互いの持てる力を全て出し切って最終ラウンドを終えた時には場内から大きな拍手が沸き起こった。

 橘君は日本ランク入りを果たす事は出来なかった・・・・・・。

 
 控え室では自分の着替えもそこそこに応援してくれた人たちに笑顔でお礼を言っている。江藤や村田会長も負けた悔しさを表面的には微塵も見せずに淡々と帰り支度を始めている。

 一段落した江藤が「何かアドバイスありますか?」と聞いて来た。
 気になる点もあるにはあったが今はどんな言葉も空しい。
 「別にないよ」と答えると「あれ?いつもの辛口はないんですか?」と挑発的な笑みを漏らす。

 そして昔スパーリングで私に肋骨を折られた時の話しをし始めた。

 肋骨を折った翌日、ジムで私に「病院で調べてもらったら折れてましたよ」と報告する江藤に一言言ったそうだ。

 「にぼし食えよ」

 
 「そんな事言ったっけな〜」と答えると「やられた方はちゃんと覚えてるんスよ!」と、ここぞとばかりに攻められた。

 そう言えばメキシコでグティ・エスパダスJrとファン・マヌエル・マルケスに肋骨を折られた事は一生忘れられない痛恨の出来事だった。
 二人とも無事に世界チャンピオンに成った今となっては苦々しい思い出からほろ苦い思い出へと変わってしまったが・・・・・・・。

 
 セコンドを務めた小松選手が大阪へと一人帰って行く。その後姿に村田会長が「小松ありがとな。気をつけて帰れよ」と声をかける。

 エディージムには誰の目にも見える程の太くて固い絆があるようだ。

 
 後楽園ホールの控え室では時々負けた選手を人前で怒鳴りつけるトレーナーや会長を見かける事がある。
 村田会長に「負けた選手を怒らないんですか?」と愚問を投げかけてみた。

 すると即座に「なんで負けた選手を怒らないかんねん」と解答が帰って来た。

 村田会長の師であった故エディー・タウンゼントさんの教えである「ハートのラブ」は愛弟子にしっかりと受け継がれていた。

 
 エディー賞・・・・・・・日本にいる数多のトレーナーの中からその年に最も活躍した名参謀に贈られる最高の栄誉勲章。

 
 エディーさんの名前を拝したエディージムからこの賞を貰う男が現れるとしたら・・・・・・・・それは江藤日出典。この男しかいない。



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05.06 名古屋城、落城す。

●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を現WBAスーパーバンタム級1位のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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