血の系譜

 コウジ有沢選手の最後の闘いが迫って来た。
 
 私が勤めていた整骨院が草加市内にあった関係でコウジ選手が何度かマッサージを受けに来てくれた。

 シンプルなスポーツウェアーに相まってその笑顔は実に爽やかだった。
 しかし耳にピアスをしていた。私個人の好き嫌いの問題以前に耳には数多くの重要なツボがある。そこに無造作に穴を開けるという事は長い目で見て体に悪影響を及ぼさない訳が無い。
 その事を説明するとこの日以降からコウジ選手の耳にピアスは見当たらなくなった。

 コウジ選手の体を触って驚いた。首、肩、腰・・・あらゆる部分がボロボロだった。こんな体でリングに上がれるものなのか・・・・・。

 どこまで体を酷使すればこうなるのか・・・・・・。

 筋肉、腱、関節、その全てが健康な老人より硬い。しかし私の目の前に横たわる人物は老人なんかではない。
 彼のこれまでの激闘の日々をその体は何よりも雄弁に物語っていた・・・・・・。

 
 ライト級に上げてだいぶ楽になったと彼は言うが試合前のその体は筋肉の着いたミイラに等しかった。

 こんな体で大丈夫なのか?何度もそう思った。しかしその言葉を私より試合経験の多い彼に問うのは失礼だと思い口には出さなかった。

 ある日彼に、なぜ子供もいるのにまだリングに上がり続けるのか?と聞いてみた。

 彼は一呼吸置いて答えた。「リングに上がると不安げな顔で僕を見上げる息子と目が合うんですよ。その時、ちゃんと目を離さず見とけよって思うんです」

 言葉が出なかった・・・・・・。 

 
 試合の度に仕事で観に行けないと断る私にチケットを置いていく。そして試合後にはわざわざ試合のビデオまで持って来てくれた。 

 しかし何度マッサージをしても老人のような彼の体がその年齢に相応しい張りを取り戻す事はなかった。

 そして敗戦・・・・・。翌日新聞で彼の敗北を知る。沈む気持ちのまま仕事をしていると彼から電話があった。

 「残念だったねぇ・・・・・・」

 「はい・・・・・でももう結果が出たんで・・・・・」

 そこから言葉はなかった。泣いてるようにも感じた・・・・・。

 あれから半年以上が過ぎた。勝敗にかかわらず次の試合で引退すると決めてリングに上がるボクサーの気持ちは私にはわかる。
 負けたら終わりという切迫感が無い代わりに確実にモチベーションは下がる。しかし応援してくれる人達に恥ずかしくない試合を見せよう。自分の持てる技を全て出そう。そう思う事で試合までの自分を支えた。

 勝ち続ける事でしか自分の存在価値を見出せないボクサーにとって、勝っても負けてもこれが最後と決めてかかる試合は最初で最後の経験であり、自分を納得させる為の自分との対話が必要不可欠だ。
 しかもその対話は試合当日まで飽く事無く繰り返される。
 気の遠くなるようなこの精神的作業を乗り越えた先に勝敗を超えたものが待っている。

 全ての観客がこの試合が彼の最後の試合と知っている。真に彼を愛し続けた人達が見守る中、最後のリングに上がる。

 これほどボクサーにとって劇的な終わり方があるだろうか?

 この終わり方はコウジ有沢にしか出来ず、コウジ有沢にこそふさわしい。

 彼が最後のリングに上がったその時、その視線の先には父の熱い血を引き継ぐ息子がいるはずだ。

 たとえどんな試合に終わろうとも、父が命を削って伝えようとしたその熱き想いは、愛すべき息子の心に刻み込まれるだろう。



■ 池田高雄拳跡集 ■ Back Number

最新の「池田高雄拳跡集」
06.01
05.12 鎮魂歌
05.11-3 血の系譜
05.11-2 戦士の誇り
05.11-1 44歳の勝利
05.10 10年目の和解
05.07 鳥海VSクマントン
05.06 名古屋城、落城す。

●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を現WBAスーパーバンタム級1位のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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