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クマントンは先日、名古屋で菅原選手から東洋タイトルを奪ったウェートの実の兄であり、私とはチュワタナジムで一緒に汗を流した仲だ。
私がタイにいた頃はまだムエタイ戦士だったクマントンが試合の翌日子供へのおみやげに買った三輪車を抱えてにこやかに田舎に帰って行く姿が目に焼き付いている。
私と妻は密かにその筋骨隆々とした体を持つクマントンをヘラクレスと名づけていた。
どうしてもヘラクレスの試合を見たいと言う妻を約10年ぶりに後楽園ホールに連れて行った。
水道橋に着くと妻が「この暑さタイみたいだね」と言う。なぜかいい予感がした。
前座試合が始まる前に鳥海選手がリングに上がり観客にシャドーを披露する。知り合いににこやかに手を振る姿を見て、この試合勝てる!と思った。
勝負の世界では油断が一番の敵だと誰でも知っている事だが、えてして当の本人が気が付かないものだ。
クマントンはこの千載一遇のチャンスに全てを賭けていた。
試合前の控え室。クマントンが「子供は何才?」と聞いてきた。
「3才」と答え、同じ質問を返した。
「7才と4才」子煩悩丸出しの笑顔でそう答えると再び戦士の顔に戻って行く。そんな大きな子供がいながら生活の為に闘い続けなければならないクマントン・・・・・。
「ヘラクレス、勝てよ!」そう念じた。
セミファイナルが終わり予備カードが始まる。グロービングが終わるとクマントンは顔の前で両グローブを合わせ心を鎮めて祈りを始めた。
直接話しかけるように呟く。闘いの神に、そして愛すべき家族に。
その姿は何度見ても神々しく、厳かで、そしてせつない。
青コーナー側の薄暗い階段を上り異様な静寂を持つ通路で闘いの番を待つ。“写心家”の山口が切るシャッターの音だけがその空間を支配する。
扉が開かれた。歓声と無数のライトが渦巻くリングへこの試合に全てを賭けるクマントンが向かっていった。
3Rダウンを奪う。コーナー下で見ていた全員が立ち上がり叫ぶ。
鳥海選手も踏ん張った。そして中盤には盛り返して来た。
判定になったらわからない・・・・・。祈りを捧げるクマントンの
姿が目に浮かんだ。「クマントーン!!」声を張り上げて叫んだ。
判定まで行った。ジャッジペーパーの集計が長い。固唾を飲んで見守る。
「114−114」「頼む!」
「115−114、115−112、新チャンピオン・・・・」
飛び跳ねた。神様はいた。
何年も寝食を共にして来たトレーナーのデンさんとクマントンが固く抱き合う。
胸に熱い物がこみ上げて来る。
リング上でチャンピオンベルトを付けたクマントンはギリシャ神話の闘いの神そのものだった。
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