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ドンムアン空港を飛び立った私とタイのスーパーバンタム級チャンピオンのビチット・チュワタナと他のジムのボクサー二人、計四人は夕刻成田に着いた。
3月の下旬はタイで一番暑い時期で連日40度にもなり昼間外に出ると暑さでめまいがするが、6時間のフライトで一転春とは名ばかりの日本の寒さに身震いがする。
冬の日本で試合をする中南米や東南アジアのボクサー達の大変さを身を持って知った。
空港のイミグレーションで手間取る。外国人と日本人は出口が違うので遠くから彼らの手続きがうまく行くか心配しながら見ていると、古びた上下のジャージ姿で緊張して更に目つきの悪くなったビチットがしつこく係官に質問されている。
ビチットは下を向いて何も答えない。
いよいよ係官の質問が厳しくなる。
私は列を離れビチットの係官にボクシングの試合をする事を告げいろんな書類を見せ納得してもらった。
日本の係官達はアメリカ、メキシコ、タイ、インドネシアと私が見た係官達に比べ実に親切で日本人はやっぱりいいなぁと思わせたが、ひ弱な感じがしてこれで外国人犯罪者達の入国をちゃんと阻止出来るのか?と心配にもなった。
だだっ広い空港をさまよい京成スカイライナーに1時間乗り上野に着く。タクシーに乗り神保町に向かいホテルを探すがなかなか見つからない。やっと「さくらホテル」という小さなホテルを見つけた時は心底ホッとし疲れがドッと出る。
朝灼熱のタイを出て夜冷え込みの厳しい日本に着く。試合前の緊張と疲労の溜まった体にこの負担は大きい。彼ら出稼ぎボクサー達の悲哀を感じる。
ホテルでは当時レパード玉熊ジムでトレーナーを務めていた有吉さんが世話をしてくれた。
有吉さんはタイで試合をした事もあり、シンヨック(白いライオン)の異名を持ち日本に来るタイのボクサーでシンヨックの名前を知らない者はいないぐらいの有名人だ。
有吉さんは実に親身にタイのボクサー達に接し彼らの緊張を解いて行く。
有吉さんに接した彼らは日本人に対していい印象を持ってくれるだろう、そう思った。
翌日全員計量を無事終えホッとする。
いよいよ試合当日の朝を迎える。タイトルはかかっていないが、ビチットも緊張気味だ。コーヒーを飲みながら有吉さんとボクシング談義を交わしている時、「あっ!」と思わず声を出しそうになった。
私がタイに行くきっかけになった「幇(パン)という生き方」の作者の宮崎学さんが編集者らしき人達と近くのテーブルに座ったのだ。
グリコ森永事件で犯人のキツネ目の男だと警察に疑われただけあって目つきが鋭い。
しかしもし人違いだったらどうしようかと思い、念の為にホテルの人に聞くが「似てるけど、どうかな・・・・・」と確信が持てない。
しかも私は昨日宮崎学さんの新作の単行本を買ったばかりだった。急いで部屋に戻りその本を手に意を決して宮崎さんらしき人物に話しかけた。
「宮崎学さんですか?」
すると「そうだ」と短く答えた。
やっぱりそうか!私は興奮しながら「僕は宮崎さんの幇という生き方を読んでタイに行ってボクシングをやってるです!」勢い込んで話した。
宮崎さんは黙ってうなずく。
私は新刊本を差し出し「サインを下さい」と頼んだ。
宮崎さんは快くサラサラと書いてくれた。
夢の様な邂逅を終えた後、有吉さんとレパード玉熊ジムに向かう。途中靖国神社に寄る。
私の大叔父の霊が眠る靖国神社にはいつか行きたいと思っていたが、期せずして今回その願いも叶った。
大叔父に子供の無事を願う。
帰りに小さな木箱に入った「安産祈願」のお守りを買った。
夕方になり全員で歩いて後楽園ホールに向かう。
まるで自分が試合をするように緊張する。
大きな陸橋を渡り懐かしい緊張感を味わう。
私にとって聖地である後楽園ホールの控え室に入るといやでも神妙な面持ちになる。
控え室を出て彼らの試合を眺める。ビチットは二階級上の相手と闘い判定負けを喫した。日本のボクサーで増量して二階級上の相手と闘う勇気のあるボクサーが果たしてどれだけいるだろうか?
誰からも賞賛される事のないビチットのその勇気に私は同じボクサーとして密かに敬意を現した。
目の前で繰り広げられる熱戦を前にしながら、私の目の前には眩しいライトに照らされてゴメスと闘う自分の姿が映っていた。
「このリングでゴメスと闘えたら・・・・・・」
そう思っていた時だった。
「おい!お前元気か?」野太い声がかかった。
横を向くと斉田ジムの斉田会長だった。
「お前はウチの今岡とやったからよく覚えてるんだよ」と目尻を下げた笑顔で話す。
私の日本でのラストファイト、今岡武雄戦からもう5年以上の月日が過ぎ去っていた。
「今何やってんだ?」
「タイでやってます」
「キックか?」との問いにはガクッと来たが、私の事を覚えていて声をかけてくれた事がとても嬉しかった。
「じゃあ元気で頑張れよ」と言ってリングサイドに向かう斉田会長の後ろ姿を見送っていると、ハッ!と閃いた。
ゴメスが所属する八王子中屋ジムの中屋会長は独立する前は斉田ジムで長年トレーナーを務めていた。
という事は斉田会長と中屋会長は師弟関係でもある。
斉田会長に頼めばひょっとしたら・・・・・。
私は勢いよく席を立ち「斉田会長!」と言ってリングサイドに向かった。
振り返った斉田会長に近づき私は単刀直入に「雄二ゴメスと試合をさせて下さい!」と頼んだ。
斉田会長は少し目を大きくして私の顔をジッと見た後、驚くほどあっさりと「いいよ」と答えた。
「本当ですか!?」
「あぁいいよ」
夢のようだ。ゴメスと闘える!まさに天にも昇る思いだった。
斉田会長とリングサイドに座る。
ゴメスの次の試合は日本タイトルの防衛戦ではなく外国人相手のノンタイトル戦を計画しているらしい。私にピッタリだ。
「で、今何級の1位だって?」
「スーパーバンタムです。でも体重はなんでもいいです!」
「そうかわかった。よし、話しをしてみる。その代わりちゃんと金子さんに試合の許可をもらえよ」
斉田会長のその一言で頭の中が一瞬真っ白になる。
気を取り直し「いえ、金子ジムは関係ないです!タイのボクサーのタカオ・チュワタナで呼んで下さい!」
「いや、それは出来ない」
「お願いします!」
「ダメだ」
「じゃあ僕だと知らずに呼んだ事にして下さい!」
「そんな事出来るわけがないだろ」
「ファイトマネーも飛行機代もいりません!」
「ダメなんだよ」
万策尽きてうなだれる私を見て斉田会長は親が子を諭すように「金子さんに、すみませんでしたって頭を下げればいいんだよ」と言う。
それでも黙っている私に「どうしてもゴメスとやりたいんだったら金子さんに謝れ。謝れば済む問題なんだよ」と慈父のように優しく諭す。
その言葉に答えず「ありがとうございました」と頭を下げて席を立った私に斉田会長はもう一度念を押すように「金子さんの許可がもらえたら俺に連絡しろ。いいか、よく考えろよ」と言った。
席に戻る。心臓が激しく鼓動を打ち汗が噴き出して来る。「ゴメスとの試合まであと一歩だ。謝ろう」そう自分に言う。
すると「謝る?俺が?何も悪い事をしていないのに!」ともう一人の自分が答える。
「いいから謝ろう」
「いや、俺は何も間違った事はしていない。間違っているのはボクシング界の古いしきたりの方だ!」
「理屈はいいからとにかく謝ろう」
「いやだ」
「ここで謝らないと一生後悔するぞ!」
「・・・・・・」
「謝れ」「謝らない」の堂々巡りでいくらたっても結論が出ない。
明日にはタイに帰らなくてはならない。時間がない。メインイベントが始まった。
折り良く前座試合に金子ジムの選手が出ていたのでマネージャーを見かけた。探せば見つけられるはずだ。マネージャーに話して何とか会長の許可をもらおう。
いや、斉田会長は謝れば済む問題だって言ったが、果たして俺が謝ったとして、あの頑固な金子会長がああそうですか、と簡単に試合の許可をくれるだろうか?
だいたい日本を飛び出してタイで試合を繰り返しておきながら、やっぱり後楽園ホールのリングが恋しいから試合の許可をくれ、ではあまりにも勝手な話しだ。
日本を捨てタイに渡った時点でもう俺のボクシング人生は裏街道なんだ。
後楽園ホールのリングに立って表舞台に上がろうなんて虫がよすぎる。
俺はやっぱりタイで闘うしかないんだ。
タイで燃え尽きるまで闘おう。
そう結論が出た。
メインイベントも終わり観客に紛れて出口に向かう途中、後ろを振り返り、二度と上がる事のない愛すべき後楽園ホールのリングに、決別の黙礼を捧げた・・・・・・。 |