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1月の下旬に7戦目を終えた私はしばらく練習を完全に休む事にした。もう当分の間は試合をしたくない。
「これ以上続けてやると死ぬぞ」そんな心の声も聞こえた。
充電期間中ボクシングの事を努めて考えないようにして過ごす。途中ビザが切れたのでビザの申請がてらマレーシアのランカウイ島に観光に行ったりしてのんびりと過ごした。しかしバンコクに帰り狭い部屋にいると時間を持て余すので河合さんから送られて来たボクシング雑誌を何度も飽きずに読み返す。
後楽園ホールで普通に試合が出来る日本のボクサーが心底羨ましい。
俺はこのまま人知れずタイで朽ち果てて行くのだろうか・・・・・・。
そんな事を思い無性に寂しさを感じる。
後楽園ホールでもう一度だけ試合がしたい・・・・・・。
あのリングに上がれる事が出来れば、俺のボクシング人生にもう思い残す事はない。
そう思い詰めている私の心を逆撫でするコメントをボクシング雑誌で発見した。
「ボクシングはハッピー」人差し指を立てながら歯を出して笑っている日本フェザー級チャンピオン雄二ゴメスのセリフだった。
ウェイトリフティングの選手だったプエルトリコ系のアメリカ人ゴメスは来日後そのパワーを発揮してデビュー以来10連続KOで日本チャンピオンに登りつめ、その勢いはとどまる事を知らなかった。
「ボクシングはハッピー」何度そのコメントを読んでも怒りが湧き出て来る。
ボクシングは死ぬかもしれない危険な職業なんだ!このにやけた顔のゴメスにボクシングの怖さを教えてやる!そう思い居ても立ってもいられずジムへと向かった。
私は日本でフェザー級1位の座に一年間いながら結局日本タイトル挑戦のチャンスに恵まれなかった。
自分より下位の選手達が次々にタイトルに挑戦して行くのを黙って眺めているしかなかったあのジリジリとした一年間は、本当に苦しくて長かった。
私が渇望して止まなかったその王座に、10戦程のキャリアしかない外国人が居座っている事への納得出来ない怒りも根底にあった。
インドネシアで闘ったアルファリジや世界ランカーのナパーポンよりゴメスが強いとはとても思えない。しかもゴメスは私が最も得意とする右利きのファイタータイプだ。今までの経験の差と相性の良さでゴメスをアウトボクシング出来る!そう確信した。
一ヶ月ぶりにジムの中に入る。するとみんな「オー!タカオー!」と言って大げさなぐらいに喜んで抱擁して来る。
みんなと笑顔で抱き合いながら「やっぱりここが俺の居場所なんだ」そう思いゴメス戦への叶わぬ思いを鎮めた。
練習を始めて1週間程が過ぎた頃早々と8戦目が決まった。ラジャダムナンスタジアムでの6回戦だ。
一ヶ月休んだとは言え「また試合かぁ・・・・・・」そんな暗い気持ちが湧き出てくるのを禁じえなかった。
頭の中はゴメスの事で一杯だ。右か左かもわからない自分より下位の選手との試合に対しどうしてもやる気が起きない。しかし、ゴメスとやる日が来るまで負ける訳にはいかない。何度もそう気合いを入れ直し2週間後の試合に向けて無理矢理精神を高めて行くしかなかった。
そんな時嬉しい知らせが入った。
メキシコで知り合い共に練習もした山口倫太郎君がチュワタナジムに来る事になったのだ。「タイで試合がしたい」と書かれた手紙を読んで倫太郎君の到着を首を長くして待った。
二年間いたメキシコを去りラスベガスに渡った倫太郎君だが、試合のチャンスに恵まれずボクシングを諦めて日本に帰国していた。
以前にタイなら試合が出来る事を手紙に書いて送ったがそれから連絡がなかった。しかし倫太郎君もついにタイでやる覚悟を決めたようだ。
そしてドンムアン空港に迎えに行き倫太郎君とメキシコで別れて以来約一年半ぶりに再会した。
メキシコを去る日、早朝の4時前にわざわざ見送りに来てくれた際に交わした抱擁を再び交わす。
かけがえの無い戦友を得た喜びに浸った。
私が住むアパートにちょうど空き部屋があり私と倫太郎君の合宿所生活の様な物が始まった。
「倫太郎君の見ている目の前で負ける訳にはいかないぞ!」そう自分に言い聞かせ緊張感を高めて行く。
精神的にも肉体的にも試合が出来るコンディションになんとか持って行こうと苦心していた試合4日前、突然試合のキャンセルを言い渡された。
タイに来て延期は何度か経験したが中止は初めてだ。
今までの苦心したコンディション調整はなんだったのか?という徒労感に襲われたが、燃え上がれない気持ちのままリングに上がっていれば、事故にあったかもしれない。なにか大いなる者に助けられた様な気がした・・・・・・。
そして試合がキャンセルになった三日後、妻の妊娠がわかった。
「本当に出来たのか・・・・・」もう後戻りは出来ないという切迫感と、試合がキャンセルになってて良かったという安堵感に覆われた。
日本人通訳の女性がいる大きな病院に何度か通いエコーを見たりして父親になる実感の沸かないまま、雄二ゴメスを思いながら練習をする。
そんなある日、今度後楽園ホールで試合をするタイの選手を三人日本に連れて行ってくれないか?そんな話しが私の所に来た。
初めての妊娠で不安がる妻を置いて日本に行くのは気が引けたが、何か日本に呼ばれているような気がしたので了承した。
そして日本に行く前日に事件が起きた。
その日夕方の練習を終えアパートに帰ると、いつも鍵がかかっている部屋のドアに鍵がかかっていない。
一瞬イヤな予感が走る。果たして部屋に入ると、妻が下腹部を真っ赤にして呆然とした顔でベッドに立っている。
その姿を見て背中に悪寒が走った。
「どうしたんだ!」
そう怒鳴る私に気が付いた妻がいきなりパニックになり大声で泣き出す。
何がなんだかわからない。「落ち着け!」何度かそう言ったがなかなか妻のパニックは納まらない。
泣きじゃくりながらやっと妻が言うには、トイレに行くついでに私がそろそろ練習から帰って来る頃だと思い部屋の鍵を開けたら、いきなり近所の屋台で働く男が部屋に入って来てわめき声を上げながら暴れまわりその恐怖で出血したと言う。
私は妻の言葉を聞いた瞬間、体中が怒りでカーッと熱くなり部屋を飛び出して階段を駆け下り表に出て屋台を探した。
30代ぐらいの兄弟と年老いた父親と3人でやっている屋台が近所にあるのだが、いつもボーっとしている弟の方が部屋に入って来たらしい。
その屋台はすぐみつかった。私は突進して行き弟の方に「この野郎!」そう言いながら掴みかかった。
すると兄が強引に間に入って来て私の前に立ちふさがった。
日本語とタイ語の混じった訳のわからない言葉で怒鳴り続ける私にその兄は泣きそうな顔をして謝る。
すると「やめてー!」と泣きながら妻が私を止めに入って来た。
その声で我に返った私は兄弟に捨てゼリフを吐いてタクシーを捕まえに大通りに向かって走った。早く病院に連れて行かなくては。
運良くタクシーはすぐ拾えた。アパートに戻り妻を乗せ病院の名を告げる。お腹を押さえて泣き続ける妻を見て事を察知した運転手がウンウンとうなずくとタクシーは急発進した。
お腹をさすりながら「ゴメンね赤ちゃん・・・・・死なないで・・・・・・」泣きながらそう言う妻の声を聞くたびに「レオレオ!(急げ!)」と叫ばずにはいられなかった。
何度運転手の耳元で叫んだだろうか・・・・・・。
気が付くと猛スピードで赤信号の交差点に突っ込んで行く。
思わずバックミラーの中の運転手の顔を見る。
運転手はこっちが怖くなるような目をむいた形相で前のめりになって前方だけを睨んでいる。
すると右側から狂ったようにクラクションを鳴らしながら車がこっちに突っ込んで来た。
「ウォッ!」と思わず叫びそうになったが妻を驚かせてはならないとグッとこらえた。
突っ込んで来た車は間一髪後ろをかすめて行った・・・・・。
妻を見るとまったく気が付かずに泣きながらお腹をさすっている。
すると今度は左側から同じ様に大音量でクラクションを鳴らし続けながら車が突っ込んで来た。
突っ込んで来た車の運転手の顔が一瞬見える。驚きと怒りに満ちている必死の形相が凄まじい。この車も後ろを間一髪掠めて行った・・・・・・。
気が付くと手の平が汗でびっしょりだ。
「これで事故に会ったら意味が無い・・・・・・・」
そう思ったが今更「安全運転で行ってくれ」等と言えるはずもない。
こうなったらもうどうにでもなれ!そんな気持ちで運転手と一緒になって前のめりになって前方だけを睨み続けた・・・・・・。
その後何度か信号に当たったが、奇跡的に全て青だった。
そして無事に病院に着いた。運転手のお陰でいつもの半分の時間だった。
運転手に「コープンカップ!(ありがとうございました)」とお礼を言ってチップをはずんだ。
受付に事情を説明すると妻は早速診察室に呼ばれて入って行った・・・・・・。
暗い廊下の長椅子に腰かける。
妊娠初期の大量の出血は流産を意味する。
もし、俺の子が死んだら、あの野郎を俺の気が済むまで殴り続けてやる!
それで相手が死んで刑務所に入れられて、もうボクシングが出来なくなっても構わない。とにかくあいつをぶちのめしてやる!
体を熱くしてそう思い詰めている自分に気が付き驚いた。
ボクシング以上に大切な物はない。そう思っていたからメキシコに渡りタイにまで来た。
しかし今、ボクシング以上に大切な物が存在する事を知った・・・・・・。
待ち時間が長い。
もう後は祈るしかない。「神様・・・・・どうか俺の子を助けて下さい・・・・・・」
一心に祈り続けた・・・・・・。
診察室のドアが開く。パッと立ち上がり出て来たソムチャイ先生の顔を見る。
その表情から結果を知ろうとするがまったくわからない。無表情のままソムチャイ先生が話す言葉を日本人女性が通訳する。
「流産するかどうかは五分五分だそうです」
「五分五分・・・・・・」
そうつぶやきながら、「まだ望みはある」そう自分に言い聞かせた。
とにかく三日間は部屋で絶対安静にする事を言い渡され病院を後にした。
帰りのタクシーの中でハッとする。明日から三日間日本に行かなくてはならなかったのだ。
もうすでに私の名前でビザも取ってある。倫太郎君に代わってもらおうかと思ったが、タイに来たばかりでタイ語のわからない倫太郎君に不慣れな東京行きをいきなり前日にまかせるのは忍びない。
私を信用して今回の日本行きをまかせられたのだから、やはり私が行かなければならない。
妻に謝り三日分の水と果物と食料をベッドの脇に置き、後ろ髪を引かれる思いで日本へと飛び立った。
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