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「これで7ヶ月で7戦か・・・・・・」
そう考えただけでどっと疲れが出て来た。
正月に一人で練習する私の姿を見てアモウ会長は私が早く試合がしたくてしょうがないのだと、誤解したのだろう。
しかもジンチョーデンの話しによると今度の対戦相手は以前私が勝った相手だと言う。「いつ闘った相手だ?」と聞くと「わからない」と答える。
名前を教えてはもらったが、さっぱり覚えていない。
一度勝った相手に対して再び試合をするという事に意味が感じられない。しかも現在タイランキングの1位にいる私は勝っても上に上がる事は無いが、負けたらランキングからすべり落ちるという実にハイリスクでノーリターンな試合だ。
しかし組まれた試合はやらなければならない。
私は今回の試合に対して抗議の意味を込めて、誰になんと言われようと試合一週間前からジムワークもロードワークも一切拒否する事に決めた。
そしてあっと言う間に試合一週間前となり私は予定通り全ての練習をボイコットした。
下手に昼間外を出歩くとジムの連中に出会うので部屋にたてこもり、妻が撮影した今までの試合のビデオを見て私が勝った全ての対戦相手の研究をし、狭い部屋でシャドーだけの練習を繰り返した。
いよいよ試合前日となる。私は毎日寝る前と起床時にデジタル体重計でウェイトをチェックするのだが、一晩寝るとなぜか不思議と毎回ピッタリ1キロ落ちている。
と言う事は1キロオーバーで寝れば計量の時にリミットピッタリになるはずだと思い、何度も体重計に載り1キロオーバーに仕上げてベッドに入った。
疲れもまったくなく食事も充分に取って態勢は万全だ。勝利への自信を深めて眠りに入る。
しかし、その夜は急に冷え込み1枚しかない薄手のタオルケットを結局妻に取られて明け方震えて目が覚めた。
いつもなら汗でびっしょりになっているシャツがまったく濡れていない。
いやな予感がしながら早速体重計に載る。
するとまったく信じられない事に、寝る前と同じ1キロオーバーのままだった。
私は急いで発汗効果のあるマッサージオイルを全身に塗り込みカッパを着込むとジムへと走った。
まだ真っ暗な中ロープを跳ぶ。しばらく跳んでいるとジンチョーデンが眠そうに目をこすりながら不審げな顔で階段を降りて来た。
そしてロープを跳んでいるのが私だとわかると「オー!タカオー!お前本当に試合するのか!?」とでかい声を出す。
「当たり前じゃないか!」そう思いながらその問いには答えず黙ってロープを跳び続ける。
ジンチョーデンは階段に座り私のロープ跳びを見るとも無く眺めていた。
30分以上が過ぎてかなり汗をかいて来た。日も昇って来て気温も上がり汗が更に噴き出して来る。そろそろ計量に向かう時間だが、いつもバイクに乗せて連れて行ってくれるヒゲのヤイさんがいつまでたってもジムに現れない。
ジンチョーデンが、ヤイさんも私が試合を投げ出したと思って迎えに来ないんじゃないのか、と言う。
「そんな無責任な事をする訳がないだろ」そう思いながら日本人とタイ人の気質の差を感じた。
しかし、もし私が今回の試合を投げ出していたとしたら、その事は対戦相手には伝わっているのだろうか?
伝わっているのなら対戦相手も現れずこのロープ跳びもまったく無駄に終わる。
疑心暗鬼の中、取りあえずカッパを着たままデンさんと自動三輪のトゥクトゥクに乗り込みラジャダムナンスタジアムへと向かった。
スタジアムへ着くとデンさんが「秤に載れ」と言う。
しかしまだロープを跳んでから一時間もたっていない。1キロ落とすには後15分ぐらいはロープを跳びたい。
ロープを跳ぼうとする私にデンさんが珍しく怒った感じで「秤に載れ!」と言う。仕方なく渋々とカッパを脱ぎ巨大体重計に載る。
すると予想通り200グラムオーバーを宣告された。秤から降りて不満を体中に表して再びカッパを着ようとすると、デンさんが「着なくていい」と言う。
その意味がわからずしばらくその場で待機していると、対戦相手が現れた。
その相手はよりによって2戦目に対戦した苦手のサウスポー野郎だった。
サウスポー野郎が体重計に載る。数字は聞き取れなかったが、私と同じくウェイトオーバーのようだ。
相手はささっとカッパを着て私に口元だけを上げた笑顔を見せて外に走りに行った・・・・・・。
するとデンさんが「よし帰ろう」と言う。
「えっ!?」こっちも計量はまだパスしていない。
しかし、「いいのだ」とデンさんは言う。
どうやら相手は私より更にウェイトをオーバーしていたらしく、私と同じウェイトまで落とせばいいらしい。
日本では考えられないいい加減さだが、しかしある意味合理的でもある。納得出来たような出来ないようなそんな思いで家路に着いた・・・・・・。
夕方になりジンチョーデン、デンさん、そして妻と4人でタクシーに乗り込みラジャダムナンスタジアムへと向かう。
今回のセコンド陣はデビュー戦の時と同じだ。信頼する二人に囲まれ安心はするが、重苦しい緊張感が消えて無くなる事はない。
渋滞に巻き込まれ試合開始時間が気になるが、どうにもならない。
まったく動かない車の洪水を眺めながら「負けたら終わりだぞ」と何度も自分に言い聞かせ、集中力をとぎらせないようにした。
やっとスタジアムに着き早速準備に取りかかる。相手を視界に入れないようにして集中力を高めて行く。
ヤイさんが手際良くバンテージを巻きグロービングを済ませ、遠くにリングが見える長椅子にジンチョーデンと腰掛ける。
デビュー戦の時のように足が震える事はもうないが、押し寄せる緊張感と恐怖感は何度試合しても変わらない。
口の中がカラカラに渇いて来るとタイミング良くジンチョーデンが氷を口の中に入れてくれる。
「ありがとう」そう思いながら体中に沁み渡るように溶けて行く氷の感触を味わう。
試合開始を告げる粘り着く様な笛の音が聞こえて来た。
早歩きでリングへと向かう。「早く試合を終わらせたい」そんな思いが歩く速度に表れる。
リングに上がると口に注がれた冷たい水をタイのボクサーと同じ様に腕と肩に吹きかける。これで暑くて弛緩した体がピリッと来る。郷に入れば郷に従えだ。
ゴングが鳴った。
お互い相手の手の内を知っている上、カウンターを狙ってるので手が出ない。
レフリーに再三「手を出せ!」と言われるが観客の求める白熱の打ち合いとはほど遠い単発なパンチの交換が続く。
後楽園ホールなら間違いなく「手を出せ!」とヤジられるはずだが、この後に行われるムエタイの試合にしか興味がない常連客と初めてボクシングを観戦する観光客しかいないここラジャダムナンスタジアムはシーンと静まり返っている。
妻の「ラスト30だよ!」の声に押されるようにして手を出し1ラウンドを終えた。
コーナーに帰りイスに座るとデンさんとジンチョーデンがあわただしく全身をマッサージする。
頭から水をかけられて2ラウンド目のリングへ向かう。
試合前に一週間休んだお陰で調子はいい。しかし、調子が良すぎるとつい一発を狙い過ぎてしまう。
お互い力の入ったパンチを振り回すので更に相手のパンチを警戒して手数が少なくなり悪循環におちいる。
私の左ボディーと相手の左ストレートがお互い何度か相手をとらえながら決定的なシーンがないまま重苦しいラウンドを重ねて行く。
そして最終ラウンドとなる。
相手は勝ってると思ってるのか足を使って逃げ切り態勢だ。
こうなったら攻勢点を稼ぐしかない。私はつんのめるようにして相手を追いかける。「ラストだよ!」妻の叫び声が耳に届くがどうしても逃げ回る相手を捕まえ切れない。
試合終了のゴングが鳴る。
コーナーに帰る。勝敗はまったくわからない。心なしかジンチョーデンの表情が暗い。
「頼む・・・・・」祈るような思いでレフリーを見つめる。
ジャッジペーパーを集めたレフリーが機械的な動作で私の方を指差した。
「助かった・・・・・」
そんな思いでリング中央へと進んで行った・・・・・・・。 |