ROUND 16

 インドネシアでの闘いから2週間以上が過ぎた頃、練習中にアンモ会長が現れて私を呼ぶ。かたわらにいるウェンペットが通訳する。

 「タカオ、三週間後、ナパーポンと試合スルカ?」

 「ナパーポン!?」

 背中に冷たい緊張感が走る。

 騒がしかったジムがシーンと静まり全員の視線が私に集まる。

 ここで少しでもためらったり悩んだりする仕草を見せたら、ジムの中での男としての価値はガタ落ちする。

 「やる」すかさずそう答えた。

 ウェンペットが私の言葉を伝え会長が満足げにうなずくと、再びジムは騒がしさを取り戻した。

 緊張で顔が熱く上気し硬くこわばるのを感じながらサンドバッグを殴り続けた・・・・・・。

 
 約半年前、ナパーポンとスパーリングをする為にタクシーに1時間乗りナパーポンのジムに行ったが、直前でスパーリングはキャンセルになり拳を交える事はなかった。

 しかし、目の前で見るナパーポンの練習は圧巻だった。スパーリングで二階級上のタイチャンピオンをパワーで圧倒し目尻を切り裂き2ラウンドでストップした。サウナの様に息苦しい密閉されたジムでミット打ちとサンドバッグを20ラウンド以上もこなし、私達が帰る時もまだひたすらサンドバッグを殴り続けていた。

 練習前のナパーポンにまとわり付く、ゆっくりとうごめくオーロラの様な殺気を見た時、恐怖で体が固まった。

 しかし、目の前にいる私の存在等まったく眼中にないあの無表情な顔を思い出し、「あのバケモノに目に物見せてやる!」そんな反骨心が沸き上がって来た。

 当時ナパーポンはWBCのスーパーバンタム級の8位だった。勝てば一気に世界ランキングに入れる。

 しかも試合はタイ国最大のイベントである12月5日の国王誕生日を祝う興行で、広大な王宮前広場で10万人の大観衆を集めて行われると言う。

 恐怖よりも勝利への欲望の方が遥かに大きい。私は必勝を誓った。

 
 試合が決まって一週間程が過ぎた頃、スーパーバンタム級チャンピオンのビチットとナパーポンの試合が決まった事を聞かされた。私とナパーポンの試合から一ヵ月後だ。

 タイの1位とチャンピオンを一ヶ月毎に料理するらしい。しかも私との試合ではケガ等する心配もしてないようだ。

 この強気なマッチメークを知り私は更に燃えた。

 試合まで後約一週間と迫った頃、燃える私に冷や水を浴びせるような試合延期の知らせが届いた。5日から20日になり広大な王宮前広場で試合をする事が出来なくなりガックリ来て気が抜けた。

 再び気合いを入れ直し試合までまた後一週間と迫った頃、今度は24日に延期するとの知らせが入った。

 「またかよ・・・・・」しかし4日ぐらいの延期なら逆に疲れも取れると思い直し、気を抜かずに練習に励んだ。

 しかしその三日後、試合はやっぱり20日にするとの連絡が入った時はさすがに怒り心頭に発した。延期されるより短縮される方がコンディション調整は遥かに難しい。

 その場に立ちすくんで怒りに震えていると、ジンチョーデンが来て「タカオ!マイペンライ、マイペンライ(気にするな)」と歯の抜けた愛嬌のある笑顔で私をなだめる。

 すると「それもそうだな・・・・・」となぜか不思議と怒りも静まる。

 「マイペンライ」という言葉はこのいい加減なタイには必要不可欠な最も重要な言葉だった。

 
 試合一週間前、今回の試合の記者会見のような物が行われた。メインイベントがチュワタナジムのPABAライト級チャンピオン、プラウェートの防衛戦で、セミファイナルが私とナパーポンのノンタイトル戦だった。試合はタイ全土に生中継されるらしい。ずらっと居並んだカメラマン達の前でファイティングポーズを取り写真に納まる。その後バイキング形式の会食となったが席が決まっており長いテーブルを挟んで私の対面がなんとナパーポンだった。

 試合前に対戦者と一緒に顔を突き合わせて食事をするのはかなりつらい。

 相手が試合一週間前にどれだけの量を食べるのか気になりついチラッチラッと相手の皿を見てしまう。しかしそんな私の思惑などまったく意に介さずナパーポンは食欲旺盛だった。結局目の前にいるナパーポンとは挨拶どころか一度も目を合わさなかった。

 更に試合三日前にわざわざ試合会場に行きムエタイが行われている試合の合間にリングに上がりテレビカメラの前で紹介される。タイ式に手を合わせて四方に挨拶をする。プラウェートとその対戦者のインドネシア人ボクサー、そして私とナパーポンが横一列に並び観衆の視線を浴びる。

 出来るだけ疲れを取りたい時期にわざわざ試合会場まで行きいらぬ緊張感を味あわなければならないのは不満だったが、それは相手も同じだと言い聞かせた。

 
 そして試合前日に計量が行われた。チュワタナジムの黒板には123ポンド、スーパーバンタム級1ポンドオーバーの数字が書き込まれていた。

 私はきっかり123ポンドに仕上げて計量の場に向かった。

 自信満々に秤に載る。するとなんと「1ポンドオーバー」と宣告された。抗議をすると係の人が試合は122ポンドだと言う。私は「123ポンドだ」と言い張ったが、暖簾に腕押しでまったく埒があかない。

 チュワタナジムの連中はウェイトオーバーのプラウェートに付きっ切りで近くに誰もいない。私は1ポンドオーバーと確定された。

 念の為に持って来たサウナスーツを着込み渋々と真昼間の外に出て走った。いくらこの時期が過ごし易い乾季とは言え、昼間の日差しを受けながらカッパを着て走っていると頭がくらくらして来た。汗が一気に出始めたので木陰に入り汗が流れ落ちるのを待つ。出来るだけ無駄な体力を使わずに汗を出さなければならない。

 しばらくするとジムの連中が私を探しに来たので計量場に戻り再び秤に載る。122ポンドピッタリだった。

 ホッとすると同時に何か騙されたような釈然としない気分だったが、「勝てばいいんだ」と、気持ちを切り替えて家路についた・・・・・・。

 2000年12月20日ついにその日が来た。試合は昼間に屋外のリングで行われる。私は体を目覚めさせる為に早朝軽く走り部屋に戻ると、数時間後に控えた今日の闘いに思いを馳せた。

 ナパーポンはおそらく過去最強の相手だろう。真に命を捨てる覚悟を持って試合に臨まなければ勝つ事は出来ない・・・・・・。

 しばらく瞑想した後、私は死ぬ覚悟を決める為に遺書を書く事にした。

 日記の最後のページを開く。目をつぶり心を静め、この世に残す最後の言葉を考えた。

 しかし、遺書など書いた事がないのでどう書き出していいのかわからない。まだスヤスヤと寝ている妻の顔を眺めながら言葉を探す。

 しばらくすると「ずっと見守っている」そんな言葉が浮かんで来た。

 ペンを取りその言葉を書き込もうとした瞬間、突然妻が目を覚ました。急いで日記とペンを隠す。

 結局遺書は書けずに終わってしまった。

 10時頃妻とジムに行くとチュワタナジムでは朝食の時間だった。会長が私にご飯を食べて行け、と言う。試合を2,3時間後に控えて物を食べる気等しないので当然の様に断る。

 やっと会長達の準備が整い会長が運転する車に乗り込む。ここから試合会場まで40分程の道のりだ。車中では沈黙が支配し重苦しい緊張感が充満する。ひょっとしたら試合会場まで行くこの時間が最も嫌な時間、かも知れない。

 
 試合会場に着く。場所はバンコク郊外にあるテレビ局に併設されてある屋外リングだ。すでにナパーポン陣営は到着しておりその横を車で通り過ぎる時ナパーポンと目が合う。見えなくなるまでお互い視線はそらさなかった。

 車を降りる。屋外なので控え室等なく適当な木陰の下で準備をする。周りはバナナの木が生い茂り真っ赤なブーゲンビリアが咲き誇る。空を見上げると日本の秋の空の様に雲一つ無く実に爽やかだ。遠くの空を一本の飛行機雲がスーっと白い線を引きながら流れて行く。「あれに乗れば日本に帰れるかな?」そんな事を思い日本が急に懐かしくなる。これから殴り合いを始めるのが嘘の様だった。

 しかし、数十メートル先でイスに座りバンテージを巻いてもらっているナパーポンの姿を見ると一気に現実に引き戻された。

 上半身裸でイスに座り無口なポーンさんにバンテージを巻いてもらう。

 試合前の儀式にも似たこの時間が私は好きだ。

 「必ず勝つ!」決意と覚悟を心の奥底に深く刻み付けた。

 近くでPABAタイトルの防衛戦を控えたプラウェートが静かに精神を統一している。鋭い緊張感がピリピリと伝わって来る。 

 「あいつも俺と同じだ」これから同じ戦場で闘う同士が身近にいると心強い。

 テレビ局のスタッフが小走りで呼びに来た。いよいよ出陣だ。スポットライトのように眩しいタイの陽射しを浴びながら、真昼の決闘の決戦場へと向かった。

 リングに上がるとリングアナウンサーが選手紹介をし私とナパーポンはリング中央に呼ばれた。これからタイ特有のやたら長いセレモニーが始まる。10人以上の有力スポンサーが名前を呼ばれてリングに上がり、私とナパーポンに花輪を贈呈するのだ。

 2,3メートル前にはナパーポンが立っており目のやり場に困る。一人一人がナパーポンと私の首に花輪をかけて行く。その度に頭を深く下げる。ほとんどの人が「グッドラック」と声をかけて行く。一人「ガンバッテ」と声をかけてくれた人もいた。異国のリングで日本語を聞くと一瞬ホッとする。

 観客席の一点から鋭い視線を感じた。視線の先に焦点を合わせるとそこには世界チャンピオンのウィラポンがいた。同じジムの弟弟子でもあるナパーポンの応援のようだ。この試合場はテレビ撮影用なので観客席はリングサイドの周りに5段程のスタンドがあるのみで観客は200人もいないだろうが、観客の視線が近くに感じられ密着感があった。

 やっと長いセレモニーが終わりお互いコーナーに戻る。重たい花輪を取ってもらいリング中央に進む。ナパーポンは私に背を向けて祈りを捧げている。

 日本人の私には長い祈りなど必要ない。「必ず勝つ」その決意だけだ。

 ゴングが鳴った。アップライトに構えた長身のナパーポンと対峙すると視線が上向きになりアゴが上がるので不安に駆られる。

 その不安を払拭する様にサイドステップを刻みナパーポンの圧力をかわす。しかしリーチがやたら長い。私の射程距離を遥かに越えた所からパンチが飛んで来る。何度目かのパンチの交錯の際、鼻っ柱に「ガッツーン!」と衝撃が走る。鼻の奥がツーンと痺れてキナ臭くなり涙が出る。懐かしい痛みと匂いだった。一気に攻めて来るナパーポン。ロープを背にしてカウンターを狙う。ナパーポンは憎らしい程に私のガードの空いた所を上下に打ち分けてくる。ストマックに強烈なヤツをもらい「ウッ!」と来る。とたんに足の力が抜ける。すかさず踏み込んで追撃して来るナパーポン。相手が効いたらなんの躊躇もなく攻め込んでくるナパーポンに若さと勢いを感じる。ロープに詰まった所でゴングが鳴った。  

 コーナーに戻りイスに座り下を向くと「ドクドクドク」っと音をたてて鼻血がこぼれた。これだけ大量の鼻血が出るのは初めてだ。恐怖感が走る。「今まで折れずに来た俺の鼻もついに折れたか・・・・・・」そんな事を思い気分が暗くなる。セコンドが急いで止血をする。血まみれの鼻を拭かれながら、ボクシングを習いたての12才の頃、大人とスパーリングをして鼻血を出し、途中で中断して荒々しく鼻を拭かれた時の事を思い出した。ナパーポンに殴られてツーンと痺れたあの鼻の痛みは、あの時の痛みだったのだ。

 あの12才の時、鼻血を拭かれた後、私は再び大人に向かって突っかかって行った。

 30になった今もあの時と気持ちは同じだ。私はイスを立ち、目の前に大きく立ちふさがるナパーポンに向かって行った・・・・・・。


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●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を後のWBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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