ROUND 14

 4ラウンドに入ると相手はセコンドの指示か、大振りをやめて細かくパンチをまとめてくる。パワーもスピードも上の相手が手数で攻めてきたらなす術がない。

 何度かいいパンチをもらう。観客が立ち上がり大声で叫ぶので観客席が生き物の様にうごめき巨大な口に飲みこまれそうな錯覚に陥る。

 大歓声を背に攻め込んで来たアルファリジに半ばやけくそで放った左フックがカウンターで当たる。相手が下がる・・・・・・。ロープに詰めて連打を放つ。突然のチャンスに力が入りスムーズにパンチが出ない。自分の体じゃないような違和感だ。初めて経験する熱狂的な雰囲気の中、体中に不必要な力が入る。相手は私の力みかえったパンチをさばき切るとまた元の余裕の表情に戻った。

 後半凄まじい相手の反撃にさらされる。ラウンド終了のゴングが鳴っても歓声はおさまらず、大音量の音楽に乗ってリング上を軽快に動き回るラウンドガールに嬌声が浴びせ続けられ、あっと言う間に次のラウンドが始まる。会場全体が異様なエネルギーに包まれている。

 5ラウンドに入る。何度かパンチを交換した後突然アゴを打ち抜かれ目の前が一瞬真っ暗になる。効いた。ヨロヨロと後ろに下がる。大歓声が遠くに聞こえて行く・・・・・。

 絶体絶命のピンチだが意外と相手の追撃のパンチが良く見える。チャンスに力むのは相手も同じだ。なんとかこのピンチを乗り切りパンチを返す。相手の顔面を殴った感触が拳から脳に伝わる。すると何か脳内物質が出るのか疲労した体が甦って来る。勢いに任せてパンチを放つ。相手が口を大きく開けて笑う。余裕を見せたいようだが私はその笑顔に相手の焦りを見た。再び拳に相手の顔面の感触が伝わると相手の表情が一転して真剣になる。怒りに任せた相手の反撃が始まる。「ビュンビュン」と風を切る音が聞こえる。かろうじでよけ切りこのラウンドを乗り切った。

 後半の6ラウンドに入る。「まだやっと半分か・・・・・」そう思うとイスを立つのも億劫だ。相手はガードを目の前でガッチリ固めて今までと全く違うスタイルでジワリジワリと前に出て来た。その目は「このラウンドで仕留める」という決意に満ちていた。

 大振りのパンチを放たず前に出て来るので接近戦になる。こっちの射程距離に入るが左右にステップしながらサウスポーに変わったりと目まぐるしくスイッチするのでまったく的が絞れない。ロープに詰まりながら相手のいつ終わるともしれない攻撃に耐えた。このラウンドもポイントを奪われてコーナーに帰る。なんとか体力を回復させようと深呼吸を繰り返した。

 7ラウンドが始まった早々左のガードの下がった相手に右が当たる。サウスポーにスイッチした相手に再び右を放つ。相手の顔がのけぞる。「ナイス!いいよー!」妻の叫び声が耳に届く。相手を良く見ると口を開けて大きく呼吸している。こっちも疲労困憊だが、相手も疲れている。そう思うと少し力が出て来たが、目の前の浅黒い肉体は相変わらずダイナミックかつリズミカルに動く。

 疲労とダメージで目の前が霞んで来た。相手が良く見えない。カウンターを狙う姿勢を露骨に見せて時間を稼ぐ。私のカウンターを警戒したのか疲労を回復させる為か相手は前に出て来ない。ラウンド終了のゴングが鳴る。助かった。

 コーナーに帰りイスに座る。目をつぶる。このままもう座っていたい。深呼吸する力も無かった。

 8ラウンドに入りサウスポースタイルで出て来た相手に右を放つとその右に右フックを合わせて来た。アゴが揺れて足がふらつく。顔を上げていられず相手の胸元を見る。目の前の黒い肉体が押し寄せてくる。何度もロープに詰まる。その度にレフリーが近づく気配を感じる。ストップのタイミングを計ってるようだ。終了のゴングが鳴った時救われた思いがした。

 疲労困憊でイスに座り朦朧とした頭で考える。もうポイントは挽回不可能な程の大差だ。こうなったらいちかばちか左フックのカウンター一本に集中しよう。そう決めてイスを立った。

 ジッと相手を見てその時を待つ。相手も私の狙いを察知したのか再び変幻自在な動きを始める。その動きに惑わされないよう慎重にタイミングを計り「これが最後だ!」そんな思いで左フックを放った。

 相手の頭から水しぶきが飛び散って行く。

 「ナイス!」妻の叫び声が響いた。

 しかし、相手は一瞬ひるんだ後エンジンに火が着いたかのように攻めて来た。最後のパンチを放った、という思いと両目も塞がりかけて視界の悪い中相手の猛攻を受けながらどんどん弱気になって行く。長い時間相手の攻撃にさらされそしてやっと9ラウンドが終わった。

 ついに最終ラウンドまで来た。最後の力を振り絞って立つ。相手は再び甦って来たかのように激しくリズムを取りながら攻め込んで来る。力を使い果たした私はクリンチでなんとかその攻撃をしのぐ。

 その時、「根性だよ!ド根性!!」と叫ぶ妻の声が耳を撃った。

 外国語が飛び交うリング上で「ド根性」というあまりにも日本的なその言葉が私の心の奥底に響いた。

 「いいパンチをもらったらそのまま倒れこみたい・・・・・」そんな危険な甘い誘惑に負けそうになる弱い自分に向かって言った。

 「日本人の根性を見せろ!」

 私は、前に出た。

 アルファリジもここぞとばかりに応戦する。いいパンチをもらい何度かぐらついたが「この野郎!」そんな思いで向かって行く。お互いの頭が当たり目尻を切る。レフリーが傷口のチェックをしようとしたと同時に試合終了のゴングが鳴らされた。

 最後の最後に目尻を切って舌打ちをしたかったが、最後まで闘ったという満足感もあった。

 結果が明らかな判定を待つ間、アルファリジが穏やかな笑顔で私のそばに来て私に握手を求めながら「コープンカップ(ありがとうございます)」と丁寧なタイ語で言った。意外といいヤツのようだ。

 私も「テレマカシ(ありがとう)」とインドネシア語で返した。

 
 リングアナウンサーが採点表を読み上げアルファリジの勝利が告げられる。勝者への歓声が巻き起こる中リングを降りた。

 リング下で立ったままドクターのチェックを受ける。「これから縫うのは疲れるな・・・・・」早くベッドに倒れこみたい、と思う。

 ドクターは「オーケー」と言いながら手早くテープで傷口をふさいで診察は終わった。

 縫わなくても本当に大丈夫なのか?と少し心配だったが早く開放されてホッとした。

 エリックの車に乗り込みホテルへ向かう。シートに身を沈め暗闇を眺めていると、負けた悔しさがジワジワと込み上げて来て涙が滲んで来た。

 今まで数多くの敗北を経験して来たが、それらは全てパワーやスタミナ負けだった。今回初めてテクニックでも完全に負けた。自分を支えていた大きな柱が崩れて行った・・・・・・。

 
 ホテルに帰り着き蒸し暑い部屋に入りソファーにぐったりと身を沈める。

 時計を見ると二時半近い。「こんな時間まで良くやったな・・・・・」自分でも感心しながら静かに目を閉じる。

 耳の奥からあの大歓声が甦って来た。そして無数の眩いライト。懐かしい後楽園ホールを思い出す。負けた悔しさと力を出し切った充実感に包まれて眠りに入って行く・・・・・・。

 数分後「生きてる!?!」妻の叫び声に驚き飛び起きた。

 シャワーを浴びて出て来た妻は、グッタリと頭を垂れてソファーで眠る私を見て死んだのではないか、と思ったらしい。

 私は思わず「バカ野郎!こんな遠いとこで死んでたまるか!」そう怒鳴った。

 その後、控え室でのエリックの件が頭に残っていたのか、南方で戦死した私の大叔父達を思った。

 
 みんなどれだけ日本に、愛すべき故郷に帰りたかっただろうか・・・・・・。

 赤紙一枚で無理矢理戦場に連れて来られた人達はもちろんたくさんいただろう。しかし、私の大叔父のようにこの国を、故郷を、そして愛すべき人達を守ろうと、自ら志願して戦場に来た人達も同じ様にいたはずだ。

 自分の祖国を守ろうと、たった一つの命を捨てて逝った人達を悪く言う今の風潮は、断じて許せない。

 私は妻と二人でバルコニーに出て暗闇に向かい、幾百万の英霊の方々に黙祷を捧げた・・・・・・。

 

 翌日空港に向かう車の中で、負けた悔しさで一杯のままの私は終始無言でいた。するとエリックが何度も「タカオ!オーケー?」と聞いて来る。

 敗戦のショックで黙り込むボクサーをエリックは始めて見たらしく、何度も不思議そうな顔をして私の顔を眺めていた。

 私はプロモーターらしいエリックの父親に「今度はスーパーバンタムで呼んで下さい」と頼む。

 すると「オーケーオーケー」とうなずきながら「122ポンドだな」と苦笑いをしながら答えていた。

 
 帰りの飛行機の中は行きと違って実ににぎやかだった。

 何本もビールを飲んですっかりご機嫌になったヤイさんが「タカオ!またみんなで一緒に行こう!」と何度も言う。

 その度に私達は顔を見合わせて、笑うのだった。


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●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を後のWBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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