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4年8ヶ月ぶりに再起して3ヶ月で4戦目をする事となったが、この頃から体がやけに重く感じられ、休んでもなかなか疲れが取れなくなって来た。
しかも一ヶ月に二回も試合をすると考えただけでグッタリとする。
しかし「決められた試合は必ずやる」そう心に決めていたので、嫌がる体に鞭打ってロードワークとジムワークに励んだ。
タイランキングも3位に上がったと聞き、気合いも入るが、一つ心に引っ掛かる事があった。
それは試合前のドクターチェックの時、なぜか私だけ裸にされる事だった。
最初の頃は緊張してて気が付かなかったが、前回の試合の時、他のボクサー達は裸にならず私だけがドクターにパンツを脱ぐように指示されている事に気が付いた。
「あの変態ドクターの野郎!」怒りで体が熱くなりながら、次回は絶対に拒否すると決めた。
しかし大事な試合前にそんな下らない事を気にしなければならないなんてまったくバカらしかった。
日本の夏バテをひどくした様な状態になりながらなんとか体を仕上げ計量の時を迎えた。
巨大体重計に乗りリミットいっぱいでパスするとドクターチェックだ。
メガネをかけて肥満したあのいつもの変態ドクターだった。
私の前のボクサー達は誰もパンツを脱がない。いよいよ私の番になる。
通り一辺倒のチェックを済ますとそのドクターは何食わぬ顔で「パンツを脱げ」と言った。
私は込み上げて来る怒りを抑えながら「ノー」と言った。
するとそのドクターはギロッとメガネの奥から私を睨みつけて来た。私も睨み返す。
気まずい沈黙が流れた後、そのドクターは視線をそらすと「パスポート」と言った。
「パスポート!?」今までそんな要求をされた事はない。完全な嫌がらせだ。
「持ってない」と答えると、「それじゃ試合は許可しない」とのたまった。
「この野郎!」そう思いながら「持って来る」と答えて医務室を出た。
急いで公衆電話に向かい妻に「早く出ろ出ろ」と思いながら電話する。
やっと出た妻に「パスポートを急いで持って来い!」と、やつ当たり気味に怒鳴った。
ラジャダムナン・スタジアムに併設されている食堂で食事をしているボクサー達を尻目に、妻の到着を待つがなかなか来ない。
早く食事を済ませて体を少しでも休ませたい。「何やってんだあいつ!」と更に怒りが増す。
するとやっと妻がオート三輪のトゥクトゥクに乗って来た。運転手を批難の目で見て「全然違う所に連れて行かれたの!」と興奮気味に話す。何度もボクシングの身振り手振りをし、やっとスタジアムに辿り着いたようだ。
しかしまさか早朝から外国人女性がラジャダムナン・スタジアムに行くとは、その運転手も想像出来なかっただろうなと思い、その運転手に少し同情した。
パスポートを持って医務室に行くと変態ドクターが一人所在無げにしていた。
無言でパスポートを突きつけると、心なしか気弱な表情で書類に試合許可のサインをした。
まったくすったもんだの末やっと部屋に戻り食事をする。当日計量なので試合まで時間があまり無く、食事は消化に良くすぐエネルギーになる炭水化物を中心に取るべきだが、私はいつもステーキを食べる事にしていた。
実感としてパスタやうどんより野生的な本能が呼び覚まされる様な気がするからだった。
食事を済ませ横になり目をつぶるとあの変態ドクターの不愉快な顔が浮かんで来る。これから試合の度にこんな下らないやり取りをするのかと思うと気分が暗くなったが「試合に集中しろ!」と自分に命じて眠りに入った。
夕方になり緊張しながらラジャダムナン・スタジアムへと向かう。熱い夕陽を浴びたスタジアムは荘厳な光を放ちながら私を迎えた。
クーラーの無い蒸し暑く薄暗い控え室でバンテージを巻いてもらいながら、対戦相手をチェックする。
ほんの4,5メートルしか離れていない位置で同じ様にバンテージを巻いてもらっている相手と目が合った。
相手は今までのボクサーと違いニヤリともせず、まったく無表情で不気味だった。
試合が始まる。相手は右の私と同じ様なタイプでカウンターを狙ってなかなか手を出して来ない。静かな展開が続きレフリーが再三「手を出せ!」と私達に注意するがそれでもお互い軽いジャブしか出さない。
試合を盛り上げる事よりも相手に勝つ事のほうが大事だ。1ラウンドと2ラウンド静かな展開が続く。今回のセコンドは無口なポノさんとこれも無口な元OPBFチャンピオンのデンさんで静かな物だったが、その代わりキックの日本チャンピオンの深津さんがアモウ会長の指示を逐一敬語で通訳してくれた。
難解なタイ語をペラペラしゃべる深津さんはそれだけで私に尊敬の念を抱かせた。
丁寧な敬語で通訳してくれる深津さんに感謝しながらも、どうも体が思う様に動かない。鉛の様に体が重く感じる。
しかし中盤の3ラウンドを迎えなんとかポイントを取らなければならない。なかなか当たらない顔面への攻撃を控えボディーに的を絞った。
左ボディーが何度か相手のレバーを捕らえる。相手も応戦して来た。何度かパンチをもらう。相手のセコンド陣が熱く騒ぐ。今回の試合に賭ける相手側の意気込みを感じた。
左のボディーを連発する。苦しい時にこそ得意なパンチが助けてくれる。このラウンドは取った。
続く4ラウンド、ポイントを挽回しようと相手が踏み込んで打ち合って来た。応戦する。その時左の目の上にガツンと衝撃が走った。バッティングだ。鮮血が目に流れ込んで来た。バッティングをアピールしようと目を押さえながらレフリーを見るがまったく無視され、ここぞとばかりに相手はかさにかかって攻めて来た。相手のセコンド陣が熱を帯びた様に叫ぶ。血が溢れて来て目の前をポタポタと落ちて行く。
視界が一気に狭くなり相手のパンチが見えない。敗北の暗い予感が頭をよぎった。
リング下から妻が「よく見て!」と叫ぶ声が聞こえた。
コーナーに詰まりながら応戦する。ラウンド終了のゴングが鳴ると相手は両手を上げてコーナーに帰って行った。
デンさんが止血をする。その間目をつぶっているので目の前は真っ暗だ。暗闇からアモウ会長の叱咤する声とそれを通訳する深津さんの声だけが聞こえた。
5ラウンドに入り相手は私の切れた左目を狙って右を多用して来た。その右にこっちも右を合わせる。そして左のボディーを返す。このパターンを繰り返し活路を開いた。出血も止まりこのラウンドを取り返しコーナーに戻る。まさにケガの功名だった。
いよいよ最終ラウンドだ。デンさんが腹を打つ真似をしながらめずらしく大声で「ボディーを打て!」と言って私を送り出した。
ポイントはほぼ互角だ。相手もこのラウンドを取ろうと前に出て来た。そこに隙が出来る。何度かカウンターが当たるがパンチにあまり力がこもらずダウンを取るほどのダメージは負わせられない。
「最後だよ!」と叫ぶ妻の声に押される様にして手を出し、長かったこの試合を闘い終えた。ロープを掴みながら歩きコーナーに戻る。まさに疲労困憊だった。
勝利を祈る力も無く、コーナーポストに寄りかかりながら判定の結果を待つ。
ジャッジペーパーを集計した後、レフリーが私の方を指差す。その動作がまるでスローモーションの様に、ゆっくりと見えた・・・・・。
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