ROUND 10

 私のタイ三戦目を観戦に日本から父親と妹夫婦が来る事になり、更にタイランキングも5位に上がったと聞き嫌が応でも気合いが入る。

 しかしここで難題が持ち上がって来た。タイのビザの期限は通常2ヶ月でそれを役所に行って1ヶ月延長してもらい合計3ヶ月の滞在が可能だが、丁度試合前にそのビザが切れてしまう。

 ビザを再び取得するにはタイ国外に一度出て在外タイ大使館でビザの申請をしなければならない。

 大事な試合前に外国旅行をしなければならないとは冗談じゃないが、これも外国で生きるボクサーのさだめだと諦め隣国マレーシアに行く事にした。

 しかし良く考えてみればタイを離れている間は練習をしなくていいので試合前に休養が取れる。

 日本の様に試合前は休みたいと思っていた私には好都合だ。これならジムの連中の「練習しろ」攻撃から逃れられる。

 私は試合8日前にタイを出、試合の2日前に父親達が来るので試合3日前に帰国する事に決めた。

 これなら試合前に1週間ぐらいゆっくり休める。父親達の見ている手前今度こそ3度目の正直でベスト・コンディションで試合に臨みたかった。

 ビザの取得はマレーシアのペナン島に行く事にした。飛行機でも行けるが節約のため寝台列車で行く事にした。

 前日買ったチケットを手にホァランポーン駅に向かう。上野駅にどことなく似たこの駅はなぜか懐かしさを感じさせる。

 無事列車に乗り込み寝台に横になる。カプセルホテルよりやや狭い。

 走る列車の中から見る沈む夕陽はまた格別だった。

 夕方タイを出て翌日昼前に国境を越えてフェリーに乗り換えて夕方前やっとペナン島に着いた。丸一日がかりの長旅だ。

 ペナン島はインド人が多くタイより異国情緒が溢れている。タイより赤道に近いだけあって日差しが熱い。

 早速安宿街を歩き今夜の宿を見つけた。

 翌日タクシーに乗りタイ大使館へと向かう。ビザの申請は10時から12時の間にしなければならず、受け取りは翌日の2時から4時の間でなければならない。どこの国の大使館でもあまり勤労意欲と言う物はないようだ。

 二日がかりで無事にビザを取得したのでタイに帰る事にしたが、またあの列車に一日乗るのかと思うと気分が暗くなって来たので、趣向を変えてバスで帰る事にした。

 しかし列車の方が数段マシだったという事にバスに乗り込んでから気が付いた。

 満員で席の移動も出来ずクーラーはガンガンにかかっており運転は荒っぽく早速車酔いになった。

 一日がかりでタイに辿り着いた時は体は冷え切ってガチガチに固まりヨレヨレ状態だった。

 これから3ヶ月に一度毎回こんな事をやるのかと思うと気が滅入った。

 
 翌日空港に父親と妹夫婦を迎えに行く。故郷宮崎を出てからまだ3ヵ月しかたっていないが、とても懐かしく感じ家族のありがたさを味わった。

 翌日部屋でウェイト調整のためサウナスーツを着てシャドーをする。充分休養を取ったお陰ですこぶる調子がいい。タイに来て初めて勝利への自信が自然に沸き上がって来た。

 翌朝計量を無事終え準備万端整え部屋で精神を統一していると、父親が何度か部屋に様子を見に来た。父親も落ち着かないようだ。

 時間が来たので二手に分かれてタクシーに乗り込みラジャダムナンスタジアムへ向かった。

 ヤイさんにバンテージを巻いてもらいウォーミングアップがてら軽くシャドーをする。腕が軽くキレがいい。調子は最高だ。その日の調子は控え室でジャブを打てばすぐわかる。過去2,3回しかない調子の良さだった。やはり試合前は疲れを取らなければならないのだ。

 今回セコンドには試合前に帰って来た風来坊のデンさんと熱い男プラモが着いてくれる事になった。

 何度聞いても嫌な試合開始を告げる笛の音が聞こえて来た。リングサイドに陣取る父親達の声援を耳にしながらリングに入る。

 リング中央で相手と向かい合う。体中に力がみなぎってくるのを感じる。

 試合が始まる。相手は私が最も得意とするオーソドックスのファイターだった。グイグイと前に出てくる。「力を抜いて〜!」妹の声が聞こえる。1ラウンドはどうしても力が入ってしまうので「頑張って!」ではなく「力を抜いて!」と声援するように事前に言っていたが、妹のその声もよく聞こえる。パンチもよく見える。
 
 1ラウンド後半打ち合っていると相手の左フックがアゴ先を捉え目の前が一瞬グニャリと曲がる。しかし調子の良さに助けられ大事には至らなかった。
 
 1ラウンドが終わりコーナーに戻るとプラモが「ナイスよ!」と大声で迎えてくれた。このラウンドは取った。

 そして2ラウンド、ジャブを当てタイミングを計って右を合わせる。拳にガツンと衝撃が来る。相手がヨロヨロと後退する。すかさず追撃しレバーに左ボディーを叩き込む。相手がドサッとマットに沈んだ。妹達が叫ぶ声の中ニュートラルコーナーへ向かいながら「立たないだろうな」と思った。

 レフリーがカウントの途中で担架を呼ぶ。KO勝ちだった。思わず笑みがこぼれる。

 リングを降りると妹が涙ぐんでいた。「勝って良かった・・・・・」しみじみと思いながら控え室へ向かった。

 
 異変はリングシューズの紐をほどいている時に起こった。

 頭が急にふらつき紐がなかなかほどけない。やっとの思いでシューズを脱ぎ着替えを済ませふらつく足取りで父親達とスタジアムを後にする。

 試合が終わったら焼肉をたらふく食べようと思っていた私は、予定通り焼肉屋に向かおうとタクシーに乗り込むが「プロンポン」という日本人街の地名が出て来ない。

 どうやら1ラウンドにもらった左フックの影響のようだ。

 なんとかプロンポンに辿り着き焼肉屋に入るが食欲がまったく出ず、ほとんど食べなかった。帰りのタクシーの中で吐き気がし、タクシーを降りると吐いた。

 部屋に戻り頭痛に顔をしかめながら横になる。せっかくの勝利の夜も台無しだ。

 「一発もパンチはもらってはならない・・・・・」ベッドの中でそう肝に銘じた。

 翌日頭痛も取れ父親達を空港に見送りに行く。途中父親が「好きに使え」と言って私にクレジットカードを渡す。タイでの質素な生活と私の闘いぶりをまじかに見たからだろうか。その一枚のカードをありがたく頂戴した。

 相変わらず空港で別れる時は涙を流す妹を見ていると、鼻の奥がツーンとなるのを感じる。

 30を過ぎた放蕩息子の夢の為に苦しい中から資金を捻出してくれる父親。兄の無事を祈って涙を流してくれる妹。家族のありがたさをしみじみと思った。

 
 
 一週間休みジムに行くと例の黒板にまた私の名前が書いてあった。

 タイ4戦目は9月25日。2週間後だ。私は1ヶ月に2度試合をする事となった。


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●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を後のWBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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