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試合に勝った翌日は言いようの無い開放感と充実感がある。何を食べても何を飲んでも何をやってもいい。普通の生活を送っていればごく当たり前の何でもない一つ一つの事がとてもありがたく思える。
そんな貴重な日々を存分に味わいたかったが、ジンチョーデンに「練習はいつやるんだ?」とせかされ試合5日後には練習を再開した。
しかも驚く事に練習再開の初日にいきなりスパーリングをやらされた。日本では絶対に考えられない事だが、ここタイでは何でもありだ。
相手はのちに東洋スーパーフライ級チャンピオンになるウェンペットだ。日本語の達者なウェンペットが言うには今度日本で試合をやるらしい。
ウェンペットは普段キックの練習をしていたのでてっきりムエタイ戦士だとばかり思っていたが、ボクシングとキック両方やるみたいだ。これも日本では考えられない事だった。
しかもウェンペットの対戦相手は私がメキシコでエリック・モラレスのキャンプに一緒に参加した石原英康君との事だ。
「イシハラを知ってるか?」と聞いてきたので「知ってる」と答えると、「右か左か?」と確認して来た。そんな事も聞いていないのか・・・・・と驚く。友人の石原君の対戦相手に事前情報を教えていいべきか一瞬迷う。しかし石原君の事を知ってると答えて右か左かはわからないと答えるのはあまりにも友好的ではない。私はサウスポーに構えながら「左だ」と答えると、うんうんとうなずきながら右の私にスパーリングをやってくれと頼んで来た。これも日本ではあまり考えられない事だった。
リングで手合わせをするとキックの練習ばかりしていたのに実に的確にパンチを当てて来る。しかもスーパーフライ級とは思えない程体全体のパワーがある。「かなり強敵だから油断したらダメだよ」石原君にそう伝えたかった。
話しは前後するが前日ウィラポンと西岡選手の第一戦がタイにも衛星中継された。ジムにあるテレビの前に陣取りジムの連中と観戦する。試合は終始ウィラポンペースで進む。ウィラポンのパンチが当たる度に全員が声をそろえて「オーィ」と掛け声をあげる。
試合はウィラポンの完勝だった。判定を待っている間にジムの連中が「どっちが勝ったと思う?」と自信満々の顔で聞いて来たので私は「ニシオカ」と即答した。みんなが「えっ!」と驚く。日本を離れると日本を応援したくなるのはメキシコでも味わった愛国心と言う物だろうか。
「勝者ウィラポン!」のコールがなされるとジムの連中は安心した様な顔をして部屋を出て行った。
練習を再開して一週間が過ぎた頃、ジムに行くと「明日ウィラポンのジムでスパーリングだ」と言われた。
「ウィラポンとやるのか?」と聞くと「わからない」と答える。いくら無敵ウィラポンとはいえまさか世界戦の一週間後にスパーリングはやらないだろうと思いながらも、「ここは何でもありのタイだからなぁ」と期待と緊張を胸に一夜を過ごした。
翌日ジムに行くとのちのタイ国スーパーフェザー級チャンピオンのティティマとフェザー級ランカーのボクサーがスパーリング道具一式を持って待っていた。付き添いとしてジャッキーも行くようだ。
早速4人でタクシーに乗り込みウィラポンのジムへ向かった。小一時間程かかりバンコク郊外の名前のわからない地方都市に着く。バンコクでは見られない人力車の様な物が走ってる。そして大通りに面する大きな映画館の中になぜか入る。すると入り口の所に先週テレビで見たばかりの本物のウィラポンがいて私達を笑顔で迎えてくれた。
デスマスク(死顔)の異名をとるウィラポンはいつも無表情のイメージしかなかったが、目の前にいるウィラポンは実に優しく穏やかな笑顔を振りまく。私はタイ式に目の前で両手を合わせて挨拶をするとニッコリと笑って同じ様に両手を合わせて挨拶を返してくれた。
しかしウィラポンは広い肩の中にめり込む様に首が短く腕が異様に長い。まさにリングの中で闘う為に生まれて来たような体だった。
メキシコでビクトル・ラバナレスを見た時、未開の地の野人か怪獣を見た様な衝撃を受けたが、今回のウィラポンもその衝撃に近かった。改めて辰吉選手が凄い男達と闘って来た事を知った。
ウィラポンの案内で映画館の二階へ上がると暗くてだだっ広い部屋に案内された。なんと映画館の上がウィラポンのジムだった。練習までまだ時間があるらしく別室に案内されてそこで待機しとく事になった。部屋に入るとブルッとくるぐらい寒い。クーラーがガンガンかかっておりおまけに扇風機まで強にしてまわしている。その中をみんな「寒い、寒い」と言いながら毛布にくるまっている。それらの行動は理解不能だったがタイの人達のクーラー好きには以後何度と無く辟易する事になる。
しかし部屋の外、すなわちジムの中は窓が締めっきりの蒸し風呂状態でジッとしてるだけで汗が噴き出してくる。メキシコのローマン・サラゴサジムも暑かったが、強いボクサー達は過酷な環境の中で日々を送っている事を改めて感じた。
部屋は他にもありそこにウィラポンの奥さんと二人の子供がいた。家族でこのジムに住んでいるようだ。まさにボクシング漬けの日々をウィラポンは送っていた。
薄暗い部屋で毛布にくるまりながら対ウィラポンとのスパーリングのイメージを描いているとやっと練習時間となる。
ウィラポンは先程の服装のまま自分の子供と遊んでいる。どうやら練習はしないようだ。しかし代わりに一人異様な殺気を放っている男がいた。時代劇に出てくるような剣の使い手のような雰囲気をかもし出している。タイ人にはあまりいないタイプだ。
「こいつとやるのか」そう思うと体に緊張が走った。しかしその男以外には他にボクサーがいない。ウィラポンのジムは少数精鋭のプライベートジムの様だった。早速スパーリングの準備に取り掛かる。一番手はティティマで次が私という事だった。ティティマはチュワタナジムのムエタイ選手が急遽試合に出れなくなり当日いきなりピンチヒッターとしてムエタイのリングに上がりパンチだけでKO勝ちを納めるという武勇伝を持つ豪快なボクサーだが、男は自分より階級が上のそのティティマをパワーで圧倒し、目尻を切り裂き2ラウンドでストップしてしまった。「やはり相当強いな・・・・・」そう思い新たに気合いを入れなおす。
ところが二人ともリングを降りヘッドギアーをはずしている。スパーリングは終わりとの事だ。内心少しホッとしながらもせっかく準備をした私はムッと来たがジャッキーが来て笑顔で「マイペンライ、マイペンライ(気にするな)」と言うので矛に納めた。
せっかく来たのでサンドバッグを叩く。リングの上ではさっきの男がミット打ちを始めた。かなり激しいミット打ちだった。あの男は5ラウンド程ミット打ちをやると後はひたすら黙々とサンドバッグを殴り続けていた。それもほとんど全力に近い。私達は一通り練習を終えシャワーを浴びウィラポンと談笑したりして帰路に着く事になった。すると驚く事にあの男はまだサンドバッグを殴っていた。軽く15ラウンド以上はやっているはずだ。他にボクサーは誰もいずトレーナーも先にあがってたった一人で風も入らない蒸し暑く薄暗いジムで・・・・・「こいつバケモノか・・・・・」メキシコで一流の世界チャンピオン達の練習を見て来たがこれ以上の衝撃を受けた事はなかった。
ジャッキーにそのバケモノの名前を聞く。
「ナパーポン」のちにスーパーバンタム級の世界1位(現WBC2位)になりメキシコの名チャンピオン、オスカー・ラリオスに挑戦する事になる男だった。
当時は世界ランキングの7位か8位ぐらいだった。
練習を見ただけで軽い敗北感に覆われながらウィラポンのジムを後にした。
そしてこの時から半年後、私は世界ランキング入りを狙ってこのバケモノと対決する事になるのだった・・・・・・。
練習を再開して2週間ばかりが過ぎた頃、ジンチョーデンがいつもの笑顔でこう告げた。
「タカオ!3週間後に試合だ」
私のタイ2戦目は7月31日に決まった。
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