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チュワタナジムに行ったその日の夜も楽宮ホテルに泊まった私達は、翌日アモウ会長にもらった名刺を手にチュワタナジムを目指してタクシーに乗り込んだ。
その名刺にはチュワタナジムの住所が書かれているのだが、そのタクシーの運転手は名刺をじっと見つめたまま考え込んだ後、取りあえず出発した。
かなりうろちょろした後「ここだ」と言って降ろされた場所は昨日とはまったく違う所だった。
「ここじゃない」身振り手振りで訴えるが運転手も「ここだ」と言い張る。
そんなやり取りをしているうちに料金のメーターがどんどん上がり運転手は最初の額の倍ぐらいを請求して来たので、私はここに着いた時の最初の額だけを払おうとしたら、言葉も通じないのにお互いタクシーの外に出て更に押し問答になった。
そのうち目の前の店から女性が出て来た。運転手が興奮して説明する。するとどう説明したのかその女性も私を非難の目で見る。そして私が差し出した名刺を取ると店に戻りチュワタナジムに電話をした後ムスッとした顔で「ここで待つ様に」と地面を指して言いながら名刺を返して来た。
運転手も悪態をつきながら私が差し出したお金を取るとタクシーは走り去った。
妻と二人で釈然としない思いで道端に立ちながらその店をよく見るとなんとボクシング用品店だった。
ボクシング用品店が無造作に道端に建っているなんてさすがボクシング王国タイだ。そう感心して店内に入り電話をかけて貰ったお礼にパンチンググローブを買った。女性の機嫌が少し良くなった。
後でわかった事だがその店の少し先にはラジャダムナンスタジアムがありその店はスタジアムに併設されていたのだ。
あの運転手は名刺に書かれたアモウ会長の肩書きである「ラジャダムナンスタジアムプロモーター」を見てラジャダムナンスタジアムに連れて来たのだろう。
しばらくするとバイクに二人乗りで来た男達が目の前に止まった。
そのバイクの後ろに座っている男を見て思わず「あっ!」と驚いた。
その男は、元タイのフェザー級チャンピオンでタイのKOキングと言われていたシンヌンだった。
その時からちょうど5年前、元バンタム級の世界チャンピオンで後にフェザー級でも世界チャンピオンに成るルイシト・エスピノサ(当時ルイシト小泉)と対戦する為に来日して来たシンヌンと金子ジムで一緒に練習をした事があった。
当時のシンヌンの戦績は35勝34KO2敗という信じられないKO率だった。
その2敗の内の1敗は私が挑戦して負けた東洋王者クリス・サギドに喫した物で、私とシンヌンはお互いサギドに負けた者同士変なライバル心があり練習中お互い挨拶どころか目も合わさなかった。
しかし「タイのKOキング」と言われ35勝34KOの数字が示す通りそのパンチは凄まじかった。
ジムで一番硬いサンドバッグに「ウガァー!!」と唸り声を上げると同時に「ズドーン!!」と音が響き渡りパンチがめり込む。
スパーリングで階級が上の連中をコロコロと簡単に一発で倒しまくる。
シンヌンのそんな姿を「こんな奴が世界チャンピオンになるんだろうなぁ」と畏怖の念を持ちながら見つめた。
そしてシンヌンとスパーリングをする日がやって来た。
ゴングが鳴る。シンヌンは両方のグローブを額まで持ち上げガードをガッチリと固めてジリジリとにじみ寄って来る。
いまだかつて感じた事のない殺気と圧力に思わず後ろに下がる。
サイドステップを踏みながら要塞の様なシンヌンに波状攻撃をかけた。
シンヌンは手を出さない。ジリジリとにじみ寄って来るだけだ。その前進を止めようと左ジャブを出した瞬間、突然右ストレートが左の目の横に飛び込んで来た。顔をサッと右にかわす。「チッ!」とヘッドギアーをこする音がした後、両膝がガクガクガクと揺れた。
ヘッドギアーをかすっただけで膝が揺れるなんて初めての経験だ。恐怖心が襲う。
しかしここで負けるわけにはいかない。距離を取りサイドステップを踏みながら回復を待ち、斜めから切り込んでパンチを放つ。シンヌンのヘッドギアーがずれる。するとシンヌンはずれたヘッドギアーを直すどころか乱暴にはずしてリングに叩きつけ、何か叫びながら突進して来た。
更なる恐怖心と「望むところだ」そんな相反する二つの思いが入り混じりながら応戦する。
一瞬の油断が命取りだ。試合でも滅多に感じた事の無いほどの緊迫感に包まれながらパンチを交わし続けた。
3ラウンドのスパーリングが無事に終わった瞬間「勝ったな」と言う満足感と、これが12ラウンドの長丁場で8オンスのグローブだったら最後まで立ってはいられないだろうな、と言う敗北感におおわれた。
都合三日間に渡って行われたシンヌンとのスパーリングは試合以上の緊張感を強いられ、スパーリング終了後私は熱を出して練習を何日か休むはめになった。
ルイシトとシンヌンの大一番を前日に控えた朝、公園を走っていると物凄い勢いで私の横を走り抜けて行く男がいた。
シンヌンだった。
「シンヌン!」思わず声をかけるとシンヌンは振り返り足を止めてニコッと笑った。初めて見るシンヌンの笑顔だ。しかもその笑顔はとても愛らしく魅力的だった。
殺人的なパンチと愛くるしい笑顔を持つシンヌンの魅力に私は惹かれた。
そしてシンヌンの勝利を私はまったく疑わなかった。
95年5月6日、ついにルイシトとシンヌンが同じリングに立つ日がやって来た。
青コーナー側から真っ赤なガウンを羽織ってリングに上がったシンヌンにはタイ国王者としての威厳の様な物を感じた。
対するルイシトの決意に満ちた顔と見事に鍛え上げられ殺気を放つ体を見て背中に悪寒が走った。
そしてこの試合は私が実際目の前で観た数多くの試合の中で、間違いなくベストバウトとなる。
試合開始早々ルイシトの強烈な左フックをもらったシンヌンが後ろを振り向きダウンを宣告される。信じられないシーンに呆然とシンヌンを見つめる。
更に2ラウンドにもう一度シンヌンは倒されるがタイのKOキングとしてのプライドで立ち上がった。
ルイシトのあまりの強さにただただ唖然とし「シンヌン、もう少し粘ってくれ!」そう祈るのみだった。
息もつかせぬ様な緊迫感のあるリング上で凄まじいパンチの応酬が繰り広げられる。
そしてついにシンヌンの狙いすました右がカウンターとなってルイシトを捕らえルイシトはもんどりうって倒れた。後楽園ホールに「ウォー!!」と言うどよめきが起こる。私も思わず叫んだ。
あれをもらったら立てない。そう思ったがルイシトは立ち上がって来た。
続く5ラウンドにもシンヌンはルイシトを倒す。形勢は一気に逆転した、様に思えた。
「倒せシンヌン!」そう念じるが、自分の最大の武器である右ストレートのカウンターをもらって二たび倒されながらも反撃してくるルイシトの気迫にシンヌンの闘志は目に見えて削られて行った・・・・・。
そして8ラウンド、力尽きたタイのKOキングはフィリピンの英雄の前に屈し、後楽園ホールの歴史に残る試合はついにストップされた。
歓喜のジャンプの後コーナーポストに駆け上がり、自らの胸を叩きながら雄叫びを上げたルイシトは、ガックリとうなだれるシンヌンに歩み寄ると「また諦めずに頑張れよ!」そんな風に言ってシンヌンの背中を何度も叩きながら激励していた。
異国の地でお互い生き残りを賭けて闘わざるをえなかった相手に対する同情の様なものがあったのだろう。
そのルイシトの行為に非情なリング上に一条の光を見た。
再び真っ赤なガウンを羽織ったシンヌンがリングを降り人波に揉まれながら控え室へと消えて行く・・・・・。
その恐ろしく淋しげなシンヌンの後姿は私の瞼に焼き付いた・・・・・。
歴史に残る激闘からわずか半年後、エスピノサは見事世界チャンピオンと成り世界の強豪を相手に実に7度の防衛を果たす名チャンピオンとなるが、このシンヌンとの試合以上の苦戦は無かった様に思う。
この一戦は文字通りフェザー級において世界で最も強い男を決める闘いだった。
余談だが、私の日本でのラストファイトとなった今岡武雄戦が決まった後、エスピノササイドからエスピノサの世界戦の前哨戦の相手にどうかとオファーが来た。
私とシンヌンが二人ともクリス・サギドに負けた様に、エスピノサにも二人して負ける事になるのは明白だったが、ボクシングに限り売られたケンカは買うのが信条の私は、エスピノサの世界前哨戦の相手になる事を了承した。
しかしその後、敬愛するグレート金山さんの突然の死と今岡戦の敗北によりエスピノサとの試合は立ち消えとなった。
その後シンヌンの方は畑山隆則を倒して世界チャンピオンと成るラクバ・シムとPABAタイトルを賭けて闘い判定で敗れ去ると表舞台からは消えて行った。
あれから5年の月日が過ぎまさかタイで再びシンヌンと会えるとは・・・・・。
シンヌンとタクシーに乗りながら「シンヌン、まだやってたのか・・・・・」そう思い少し切なくなった。おそらくシンヌンも私の事をそう思っただろう。
もう一度シンヌンのあの天使の様な笑顔が見たいと思ったが、結局シンヌンはあの笑顔を私に二度と見せる事無く、人知れずジムを去る事となるのだった。
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