ROUND 21

 メキシコシティーに帰った私は数日後、妻を迎えにベニートフアレス空港へと向かった。

 妻は私のメキシコデビュー戦を観に来る為に飛行機のチケットを買っていたが、今さらチケットをキャンセルも出来ず取り合えずメキシコに来る事になった。

 一人ではまともに電車の乗り継ぎも出来ない妻が無事にメキシコまで来れるのか心配だったが、なんとか無事メキシコに着いた。

 4ヶ月ぶりに見た妻はゲッソリと痩せていて、苦労をかけたなぁ〜とガラにもなく思った。

 新婚旅行がてら数日は練習を休みメキシコシティーの観光等をして過ごしたが、疲れも取れて来てそろそろジムに行きたくなって来た。

 しかし、このままジムに通い続けても試合が出来るのは一体いつになるのだろうか?倫太郎君は半年かかった。若い倫太郎君とは違いもうすぐ30にもなる私にはあまり時間がなかった。

 ジムで練習をしていると「なんでお前はメキシコで試合がしたいんだ?」とよく質問された。元世界チャンピオンのホセ・ルイス・ブエノが「俺なんか日本で試合がしたくてしょうがない。ファイトマネーが全然違う」等と熱く語る。

 日本人である私はやはり日本でやるべきではないのか?それが一番確実であり、チャンスも掴めるはずだ。

 私は悩みに悩んだ末、日本に帰国する事に決めた。

 
 しかし、メキシコを去ると決めた私には一つだけ残された仕事があった。

 それはファン・マヌエル・マルケスとスパーリングをする事だった。

 当時マルケスは世界の主要3団体で1位の座に君臨し「無冠の帝王」「メキシコの最終兵器」等と呼ばれていて、あのナジーム・ハメドが唯一対戦を拒否した男として有名だった。

 ロマンサジムに所属するマルケスだったが他のボクサー達とは違う時間帯に個人で練習をやってるらしくて今まで一度もその姿を見た事はなかった。

 どうしてもマルケスとスパーリングをやるんだ!と決めて見学をしたいと言う妻を連れてロマンサジムに行った。ジムの中の熱気と暑さに驚く妻をほっときトレーナーのフェルナンドにその旨を伝えた。するとそれまで笑顔だったフェルナンドが真剣な顔になり「ちょっと待て」と言って会長室へ入って行った。

 待つ事数分フェルナンドが出て来て「サウスポーで出来るか?」と聞いてきた。私は即座に「ノー」と答える。再びフェルナンドが会長室に消えた。「ひょっとしたら無理かもな・・・・・」そう思っているとやっとフェルナンドが出て来て開口一番「明日3時に来い」と言った。

 願いが叶って嬉しい反面、やっぱりやめとけば良かったかも・・・・・といった緊張感と恐怖感が入り混じった複雑な思いでジムを後にした。

 
 日本に帰国後わかった事だがサウスポーだというマルケスの試合の相手はなんとフレディー・ノーウッド。WBAフェザー級チャンピオンだった。

 あの時マルケスは二ヵ月後に悲願の世界初挑戦を控えていたのだ。そんな大事な時期に訳のわからない日本人ボクサーがいきなりスパーリングをやってくれ等と言って来たのだからムカついたはずだ。

 私の方は私でこのスパーリングは試合なんだ、そう思って当日は部屋にいる時から精神を統一し妻とも一言も話さずジムへと向かった。

 
 この時間帯に練習をするのはマルケスとリカルド・ロペスだけだ。ボクサーでごった返す昼間の時間帯と違いシーンと静まり時間が止まっているようだった。

 猛禽類の目をしたリカルド・ロペスがジムに入って来たので挨拶がてら妻を紹介すると、驚くほど実に柔和な顔になった。無敵を誇るロペスも女には弱いようだ。

 しびれを切らして待っているとついにマルケスが登場した。メキシコのボクシングジムで初めて見るスーツ姿だった。颯爽と現れたマルケスは私を一瞥するとコーナーポストにスーツをパサッと掛けてシャワー室へと消えた。

 隣にいた妻の目がハートの形になって「ステキー」と言う。

 「うるせーなー」と思いながらも再び精神を統一した。

 着替え終わったマルケスが早速スパーリングの準備を始めた。メキシコ流のウォーミングアップ無しのスパーリングにも慣れた私はTシャツを脱いだ。メキシコではTシャツを脱いでスパーリングをするボクサーはあまりいないが、私はこのスパーリングに試合と同じ気持ちで臨みたかった。

 鏡の中の緊張感が滲む自分の顔を見つめながらワセリンを塗り込んでいると、リカルド・ロペスが妻にイスを差し出し座らせていた。細やかな心配りが出来るロペスはやはりその名声に相応しい男だった。

 「よし、やるぞ!」気合を入れてくれるトレーナー等いない私は自分で自分に気合を入れた。

 リングに上がりついにマルケスと対峙する。その圧倒的な存在感と風格を目の当たりにしながら「あしたのジョー」のホセ・メンドーサに似ているな、と思った。

 スパーリングが始まった。ガードを額の高さまで上げ肩でリズムを取りながら前に出て来た。どこにもスキが無い完璧な構えだ。思わず後ろに下がる。すかさずマルケスの左ジャブが私の額に当たった。アゴがのけぞる。額にパンチをもらったのは初めての経験だった。体がまったく反応しない。焦る私にかまわずマルケスがまた入って来た。今度はノーファルカップギリギリのラインに左ストレートが伸びる。これもよけられない。額からへそまでの広範囲を攻められディフエンスの焦点がまったく合わせられない。

 タイミングを計ったマルケスが先程とまったく同じ体勢で入って来た。てっきりまたボディーに飛んで来ると思い右のガードを下げた瞬間、左フックが私のテンプルを襲った。顔をサッと左に振る。「チッ!」っとヘッドギアーをかする音がした。膝の力が一瞬抜ける。

 リカルド・ロペスがロッキー・リンを倒したのと同じコンビネーションだった。もし顔を一瞬振らなかったら私もロッキー・リンと同じ様に倒されていたのは間違いない。これがヘッドギアー無しで8オンスのグローブだったら・・・・・そう思うと恐怖感が背中を走った。

 18才の時電車とバスを乗り継ぎ熊本にロッキー・リンの試合を見に行ったのが始めてのボクシング観戦だった。不運だったな、ロッキー・リン・・・・・・。

 そんな感傷に一瞬浸った後、反撃を試みた。とりあえず一番当たりそうなボディーに左ジャブを放つ。マルケスはガードを上げたまま右の肘だけを絞りなんなくブロックする。エリック・モラレスと同じ様に肘の使い方が絶妙だ。

 今度は隙の無い顔面にジャブを放つ。あっさりとブロックされる。なす術がないとはまさにこの事だろう。私は早く時間が過ぎるのを願った。そこから先はほとんど記憶にない。唯一鮮明に覚えているのが、何ラウンド目かに私の右ストレートが入った瞬間、マルケスの目がカッと光を放ち、なんのパンチか見えなかったが後ろに吹き飛ばされた。目が光るなんて事はマンガの世界の話だと思っていたが本当にあった。

 私は4ラウンドを生き延びた。妻の目の前で倒されなくて良かった、という安堵感とマルケスの底知れぬ力に感動にも似た思いがこみ上げて来た。

 これが都合12ラウンドに及ぶマルケスとのスパーリングの始まりだった・・・・・・。


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●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を後のWBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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