ROUND 20

 「今日こそ倒されるかも知れない・・・・・」薄暗い部屋で練習前のストレッチをしながら思う。

 今までスパーリングで一度もダウンをした事が無いのが私を支える密かな自信だったが、その支えを失くすのが怖かった。

 まさに火の出るようなバレラの猛攻になんとか耐えた私は毎回その後の練習は全て放棄していた。しかしそれがキャンプに同行して来たバレラの親父には気に入らなかったようだ。朝のロードワークの時は私の後ろにピッタリと付き背中を押しながら「走れ走れ」とうるさい。練習の時は「なぜ練習しない?」としつこい。その度に「カンサード(疲れた)」と答える。そのうちバレラの親父が「お前はタカオではなくてカンサーオだ」と言って一人で声を出して笑った。メキシコにもオヤジギャグがあるらしい。それから私はずっとバレラの親父には「カンサーオ」と呼ばれ続けた。

 
 ところで驚く事になんとあのエリック・モラレスもここトルーカでキャンプを張っていると繊大さんが言うではないか。早速繊大さんとモラレスの練習を見に行く事にした。「こんにちはチャンピオン」とモラレスに挨拶をすると静かな微笑みをたたえて握手を交わしてくれた。

 当時からモラレスとバレラはライバル視されていてテレビ局が二人を取材に来た。テレビカメラの前で二人はお互いかすかに笑いながら相手の顔をチラッと見ては目をそらし下を向く。その姿は純粋な高校生の恋人同士の様に見えた。

 この後7年に渡り都合3度の激闘を繰り広げる事になるこの両雄の初対面の場所に居合わせた事はとても幸運だった。

 
 ある日スパーリングをバレラではなく後にWBCライトフライ級チャンピオンになるエリック・オルティスとやることになった。エリックは公認会計士を目指して大学に通うインテリボクサーで、みんなが集まってテレビを見ている時別室で黙々と勉強をしていた。そんなエリックとの始めてのスパーリングだったが階級がかなり下の相手なのでどうも緊張感が湧き出て来ずバレラとのスパーリング以上にパンチをもらった。練習後繊大さんにバレラ以外とはスパーリングをしたくない事を告げ了承してもらった。

 私は残り少ない体力をバレラとのスパーリングだけに集中して使いたかったのだ。

 今回のキャンプでは個室ではなく繊大さんとエリック三人の相部屋だったのでエリックとはよく話しをしたが、その知性と人当たりの良さは私に深い印象を与えた。その後エリックは私を自宅に招待してくれて妻にプレゼントまで買ってくれた。5年以上も世界の上位にランクされながらたった一度のチャンスを待ち続けそして見事そのチャンスを物にした事を知った時には、メキシコに飛んで行って抱きしめてやりたかった・・・・・。

 ある日いつもの日課で昼間サッカーをやっていると遠くの山に一匹の野生の鹿を見た。寒風吹きすさぶ中、姿勢をピーンと張り遥か遠くの一点を見つめ続けるその姿は実に雄々しく感動的ですらあった。

 ところで毎日の日課になっているサッカーだが、私が山を降りメキシコシティーに帰ってからバレラチームとモラレスチームでサッカーの試合をやったらしい。しかも試合は白熱しバレラとモラレスがボールの奪い合いになりなんと両陣営入り乱れての乱闘に成ったとの事。

 「本当ですか!」と聞く私に「もう大変でしたよ〜」と苦笑いをする繊大さんの顔を見ながら、その場に居合わせなかった不運を嘆いた。

 キャンプ一週間目も終盤に入りさすがのバレラにも疲れが見え始めた。初日のような猛攻は仕掛けてこなったが、こっちも疲労が溜まり思うように動けず殴られる度合いは変わらなかった。

 なんとか倒される事も無く無事一週間のバレラのスパーリングパートナーを務めメキシコシティーに帰る準備をしていると、繊大さんの背中におぶさり顔を隠す様にして私のところにバレラが来た。

 そして繊大さんが「これはマルコからです」と言って10枚程のお札を差し出す。最初意味がわからなかったがスパーリングパートナー代らしい。私はキャンプに参加出来ただけでもありがたいのにお金までもらえないと固辞した。

 「いや、どうしても受け取ってもらいたいそうです」そう言う繊大さんの後ろでバレラが無邪気な子供の様なはにかんだ笑顔で私を見ている。スパーリングの時とはまったく別人のようなバレラの表情に驚きながら、私はありがたくその好意をいただく事にした。

 お礼を言うとバレラは繊大さんとじゃれあいながら満足げな笑顔を見せてくれた。

 
 燃え上がる様な情熱と、純粋で無邪気な心を併せ持つマルコ・アントニオ・バレラは、まさに愛すべき男だった。


<< Round19

Round21 >>


■ ビバ!メヒコ!! By 池田高雄 ■ Back Number

ROUND 12 池田高雄拳跡集へ
ROUND 11 LAST ROUND
ROUND 10 ROUND 22
ROUND 9 ROUND 21
ROUND 8 ROUND 20
ROUND 7 ROUND 19
ROUND 6 ROUND 18
ROUND 5 ROUND 17
ROUND 4 ROUND 16
ROUND 3 ROUND 15
ROUND 2 ROUND 14
ROUND 1 ROUND 13

●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を後のWBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

池田高雄「拳跡集」

TOP PAGE

Copyright (c) Talk is Cheap all rights reserved