ROUND 14

 キャンプ生活も一週間目に入ろうとした頃、ひと悶着が起こった。

 その日練習を終えて部屋に戻ろうとすると、石原君がやけに沈んだ顔をしている。理由を聞くとサバラという名のメキシカンに頼まれて石原君のジャージとサバラのトランクスを交換したらしい。

 二束三文にもならないようなヨレヨレのサバラのトランクスに引き換え石原君のジャージは大学時代の思い出の品らしい。

 「そんな大事な物をこんなトランクスと代えたらダメだよ!」と言うと「やっぱりそうですよね・・・・・」そう言うと石原君は更に沈み込んだ。最初はサバラの要求を断っていたがあまりにもしつこいので渋々交換したらしい。

 「すみませんけど・・・・・やっぱり取り返してきてもらえませんか?」と頼まれた私は部屋に戻り持参して来ていたスペイン語の辞書で「ジャージ」と「返す」を調べると汚いトランクスを持ってサバラの部屋に向かった。

 ノックをすると「誰だ?」と聞くので名を名乗り用件を伝えた。すると「ダメだ」と言うではないか。更にノックするといきなり大音量で音楽をかけ出した。

 「日本人をなめるな!」と熱くなった私は「サバラ!」と怒鳴りながらドアをガンガン叩き続けた。暫くすると他の連中も騒ぎを聞きつけて部屋から出てきた。

 「どうしたんだ?」と当然みんなに聞かれたので事の顛末を話した。すると「くれたものを返せというのはおかしい」と言う意見と「かわいそうだから返してやれよ」と言う意見に分かれてしまい全員で喧々諤々の口論になってしまった。

 そのうちガルシアさんや年配のトレーナー達も来て返すべきだという意見が多数をしめてくると反対意見の連中は黙って部屋に戻って行った。

 ドアを叩きながらみんなで「返せ!返せ!」の大合唱をする。するとサバラがドアを少し開け石原君のジャージをポイッと投げてよこした。私もお返しにサバラのトランクスを投げ捨ててやった。

 石原君の部屋に行きジャージを渡すと本当に嬉しそうにそのジャージを抱きかかえるようにしていたので、良い事をしたと一人自己満足に浸った。

 次の日の朝、サバラと顔を合わせたが露骨に無視をして来たのでこっちもそれなりの態度を取り何やら不穏な空気が流れて来た。
 
 そしてこの日の練習の後またもや石原君が暗く沈んでいる。理由を聞くと今度はムシオという名のメキシカンがリングシューズを交換してくれと言ってきたらしい。もちろん相手のはボロボロで石原君のはスパンコール入りの特注品だ。このムシオとサバラは映画館の売店やスーパーで堂々と万引きをしたりしてとかく手癖の悪い連中だった。

 「もちろん断ったよね?」と聞くと「はい・・・なんとか断ったんですけど・・・・・でもこういうのもういやですよ・・・・・」

 人に頼まれたらイヤとは言えない性格の石原君にとってタカリを断る事はどんなに苦しい練習よりもつらいようだった。

 現に今までは決して弱音を吐かなかったのに今回の件ではかなりまいっている様子だ。

 私はガルシアさんに相談した。私もいい加減まずい食事と不穏な空気の中での練習に嫌気が差して来てたのでもうメキシコシティーに帰っても良いのでは?と思っていた。

 ガルシアさんも暫く悩んでいたが、松田会長と10日間の契約を結んでいるので一週間で帰る事は出来ないと律儀に言う。

 そのうち名案が浮かんだらしい。その案とはこの近くでメキシコスーパーフェザー級チャンピオンのフリオ・アルバレスが山ごもりのキャンプをやっているのでそれに合流するとの事。しかもアルバレスはガルシアさんが指導しているらしい。

 早速私達はフリオ・アルバレスのキャンプに合流する事になった。最後にモラレスに挨拶をして行こうと思ったが練習の時意外は自室にこもったきりなので顔を合わす事は出来なかった。

 
 フリオ・アルバレスは私達を快く迎えてくれた。アルバレスはメキシコタイトルの防衛戦で後の世界チャンピオン、ホセ・ルイス・カスティージョにTKO勝ちしており当時世界ランキングの10位前後にいた。そして一月後になんと北米チャンピオンのヘスス・チャベスに挑戦するとの事だった。

 倫太郎君の試合で一度会いジムメートでもあるチャベスと私の目の前にいるアルバレスが雌雄を決する事になるとは・・・・・・。

 アルバレスは親分肌のとても陽気な男でいつも周りで笑いが絶えなかった。石原君にも笑顔が戻り和やかな雰囲気での新たなキャンプ生活が始まった。

 朝のロードワークはモラレスと違いスタートからガンガン飛ばす。山を駆け上がりまた駆け下りる。とてもじゃないが付いていけずそのタフさに驚いた。

 ジムワークはモラレスと同じ場所だがお互い時間をずらせてやっているようでバッティングする事はなかった。

 食事の方はその都度30分程車に乗り町に買出しに行く。パンやらチキンの丸焼きやらを買い込む。一週間あのまずい食事に耐えたかいがあったと石原君と二人で喜んだ。

 そんなこんなで残りの三日はあっという間に過ぎ去った。

 その1ヶ月後アルバレスはヘスス・チャベスの持つ北米タイトルに挑戦した。アレナメヒコで行われたこの一戦は一万人近くの大観衆の熱狂の中最後まで目の離せない激しい試合となった。

 12ラウンドのこの長き闘いを制したのはチャベスだった。

 身近な存在だった二人の熱い闘いを目の当たりにして「いつかは俺も!」の意を更に強くした。

 その後アルバレスはスティーブ・ジョンストンの持つWBCのライト級タイトルに挑戦するも2ラウンドTKO負けを喫し、夢を果たす事は出来なかった。

 エリック・モラレスはその後3階級を制覇しメキシコを代表する名チャンピオンと成った。そんなモラレスのキャンプに参加出来た事は今でも信じられないぐらいの幸運だった。

 10日間のキャンプを終えメキシコシティーに帰り着いた私と石原君は早速スーパーへ行き一番大きなステーキを買いご飯を炊いた。

 はやる気持ちを抑えミディアムレアになるまで焼き上げた肉汁の滴るステーキを言葉も発せず二人でガツガツと食べた。

 なんとも言えない充足感と達成感を分厚いステーキと一緒に石原君と二人で心ゆくまで味わった。

 
 翌日空港に石原君を見送りに行く。前日、石原君と私は隆太さんに案内してもらってみやげ物屋に行ったが石原君はみんなが驚く程の量を買い込んでいた。「そんなに持てないよ」と言っても「お世話になってる人達がたくさんいるんで」と言ってせっせと買い込んでいる。こんなとこにも石原君の性格の良さがにじみ出ていた。

 
 出発の時間が迫って来た。「また会おう」と固い握手をする。二人がかりでやっと持てる程のお土産を引きずるようにして石原君は搭乗口へと向かって行く。入り口の所でこちらを振り向こうとするのだが荷物が邪魔で結局こちらを向く事は出来なかったがその気持ちだけで十分だった。

 その後石原君は見事東洋チャンピオンと成り、満を持して夢の世界タイトルの舞台へ上がる。相手はメキシコのマーティン・カスティージョ。人生最高の舞台がメキシコ人というのも因縁深かった。ガルシアさんやアルバレス達も遠いメキシコで応援しているはずだ。

 しかし石原君が人生を賭けた試合は終盤までポイントをリードしながらも最後まで逃げずに相手に向かって行き、痛恨の逆転KO負けを喫してしまった・・・・・・。

 翌日石原君からメールが来た。「悔しいけど、スッキリした気持ちもあります。あの練習をまたもう一度やる自信がありません・・・・・」
 
 気持ちは引退へと傾いているようだった。

 私は「お疲れ様。今までよく頑張ったよ」あのキャンプでのスパーリングの時と同じ様な言葉を返した。

 それから数日後「決めました。もう一度やります!」と決意に満ちたメールが来た。

 それから一年後、再びメキシコのカスティージョの持つ世界タイトルに挑んだが無念にも夢は果たせずついえてしまった・・・・・・。

 そして石原君のあの最後の熱い闘いから一年以上が過ぎた今、石原君は教員免許を取るため大学に復学し勉強にいそしんでいるそうだ。

 心優しき石原君なら生徒の心の痛みやつらさを真に理解してくれる素晴らしい先生に、きっとなってくれるはずだ。

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●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を現WBAスーパーバンタム級王者のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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