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モラレスのキャンプで一番苦しかった事は、空気の薄さでもなく凍えるような寒さでもなく、食事のまずさだった。
一つのプレートに冷えた硬いライスとたいした味付けもしていない豆が添えられており、そしてその豆の煮汁がライスをびちゃびちゃに浸している。唯一まともなのはスクランブルエッグだけだがその隣りにそれを圧するように糸を引いたサボテンの漬物もどきがドサッと盛られる。
あとそれにスープが付くが野菜のぶつ切りがただのお湯に浮かんでるだけだ。
この食事メニューが一日三食寸分たがわず毎日出てくる。
最初の二日ぐらいはなんとかクリアーしたが三日目ぐらいから見ただけで食欲がなくなって来た。
酸素の薄い高地ではやけにお腹がすくがそれでも食べる気がしない。食べないと動けないので無理やり口に押し込むがまるで拷問のようだ。石原君は「僕はマシーンになります!」そう言って目をつぶるようにしてかき込んでいた。
他の連中は全員無表情のまま無言で食事を済ます。普通陽気なメキシカンが5人も揃えばうるさくて仕方ないものだがこの食事の時だけは別だった。
しかし肝心のモラレスは決して食事をみんなとは一緒に取らなかった。何を食べているのか気になったので周りの連中に聞いたが誰も知らず結局モラレスが何を食べているのかは最後まで謎だった。
そのうち石原君との普段の会話はメキシコシティーに帰ったら何を食べるか、そしてどれぐらいの量を食べるかに大半が費やされる事となったが、結局いつも最後は分厚いステーキと汁のかかっていない温かい山盛りのご飯を食べる事に落ち着く。食べ物の話しをすることがこのキャンプでの二人の娯楽だった。
まずい食事を済ませ底冷えのする薄暗い部屋で一人日記を書いてると、まるで高校時代に読んで気が滅入ったロシアの囚人作家ソルジェニーツィンにでもなった気がした。
食事のまずさには慣れなかったが、酸素の薄さには徐々に慣れて来た。しかし石原君は慣れるどころか疲労が目に見えて溜まって来ているようだった。朝のロードワークの時も顔面蒼白になりながら歯を食いしばってついて来ていた。
そしてこの日は山道を走る事になった。曲がりくねった急な道が延々と続く。私と石原君はほとんど歩いてるような状態で山道を登った。途中何度も小さな野うさぎが道を横切る。田舎にいた子供の頃道を歩いているとカエルがピョンピョン飛び出て来たのを思い出す。
しばらく走っていると飼い主もいない牛が5,6頭山から下りてくる。間近で見るとデカイ。メキシコにいる間に闘牛を必ず見ようと決めた。
遥か先を眺めると真っ白な雪をかぶった山が見える。寒いわけだ。
いくら走ってもきりがないので引き返す事になったが急な山道を駆け下りているうちになぜか全員競争になり私も勢いに任せて突っ走った。冷たい風が顔を切り鼻の奥が寒さでツーンと痺れる。苦しいけど爽快。そんな不思議な感覚を味わいながら風を切って駆け下りていると先程の牛の群れに追いついた。こいつらに追いかけられたらたまらんと思い緊張しつつ鼻息の荒い牛たちの横を走り過ぎながら、スペインの牛追い祭りの興奮をほんの少しだけ味わった。
ロードワークを終えるとみんなで一斉にシャワーを浴びるのだが、順番を待っている間に体が芯まで冷えるので私は時間をずらしてシャワー室に行った。一人で着替えていると減量でゲッソリとやつれたモラレスが入って来てシャワー室に置いてある体重計の上にのった。慎重に秤りを動かしモラレスの指がピタッと止まったその目盛りは58キロ近くを指していた。
私の視線に気が付いたモラレスは秤りをサッと戻すと私を一瞬睨んだ。減量に苦しむボクサーの体重計を関係者以外の人間が覗く事は、女性がのった体重計を覗く事と同じで完全なマナー違反だった。好奇心で思わずその禁を破ってしまった私は一人反省した。
そしてこの日は石原君がスパーリングをする事になった。一度モラレスとスパーリングをした石原君だが日に日に溜まっていく疲労の色が濃く、とてもまともなスパーリングが出来る状態ではなかったがモラレスのオヤジの指示に従いグローブを着けた。
相手はモラレスではなく私達より後から参加して来たメキシカンだった。その新参者のメキシカンがどれだけの力量かをモラレスのオヤジが見極める為にその相手として石原君が選ばれたようだ。
石原君はフラフラになりながらもこのメキシカンの相手を務めた。何度か相手のパンチをもらいその度に石原君の青白い顔がガクンとのけぞる。それでも石原君は力のこもらない腕でパンチを出し続ける。
私がガルシアさんにもう止めた方がいいと言うとガルシアさんも困った顔をして悩んでいる。しかしこのスパーリングを止める権限はモラレスのオヤジにしかない。
1ラウンドが終わり石原君がよろめきながらコーナーに戻って来た。ガルシアさんがすぐマウスピースをはずし深呼吸をさせる。私が石原君に「もうやめよう」と言うとゼーゼーと荒い息を吐きながら「まだ・・・やります」と答えた。
たまりかねたガルシアさんがモラレスのオヤジの所に行きスパーリングの中止を要請したが、モラレスのオヤジは首を横に振った。
そして石原君はもう1ラウンドを最後まで闘い切った。見るのがこんなにつらいスパーリングは初めてだった。
ガルシアさんと二人で抱きかかえるようにして石原君をリングの外に連れて出す。「よく頑張ったよ!」石原君にそう言うと感情が高ぶってしまったのか涙が溢れて来た。私はそんな涙を誰にも見せたくなくて下を向いたままグローブの紐をはずした。
闘い終えた石原君はジムの片隅に座り込んでじっと動かない。何か言葉をかけようと思ったがどんな言葉も思いつかなかった。私がメキシコに来て数日後にスパーリングをやった時の苦しさを思い出す。石原君はメキシコシティーよりもっと空気の薄い高地で山登りのロードワークもやりながらこのスパーリングをこなした。自分にはとても真似の出来ない事だった。
みんなの練習が終わると石原君は一人で部屋に戻って行く。少し時間がたってから石原君の部屋に行きドアをノックするが返事がない。具合でも悪くなったのかと思い心配になり何度も大声で名前を呼んだ。するとやっとドアが開き石原君がうなだれるようにして顔を出す。するとその目には涙があふれていた。
思わず「どうしたの?」と聞くとあふれ出るその涙を拳で拭きながら「あんな奴にやられた自分が情けないんです・・・・・・悔しいんです・・・・・・」搾り出すようにしてそう言うと「すみません」と言ってドアを閉めた。
私は部屋に戻ると硬いベッドに仰向けになり天井を見上げながら石原君の涙を想った。
スパーリングでやられて悔し涙を流す石原君はこれからもまだまだ強くなるはずだ、と。
そしてそんな涙を流せる石原君の至純な若さを、もうすぐ30にもなる私は心の底から羨ましくも思った。
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