ROUND 9

 ある日練習を終えて帰ろうと階段を降りてると、ジムの連中と早口のスペイン語で談笑している日本人っぽい人がいた。しばらくその会話を聞いていたがひょっとして・・・・・と思い尋ねてみた。

 「センダイさんですか?」

 すると「そうですけど」との答えが返ってきた。

 あのマルコ・アントニオ・バレラの専属トレーナーとして今や日本でも有名な田中繊大さんその人だった。

 以前隆太さんからバレラのトレーナーは「センダイ」という名の日本人だと聞いた時はまったく半信半疑だった。なぜなら当時日本ではボクシング専門誌でもWOWOWでも繊大さんの事はまったく取り上げてなかったからだ。

 あのバレラのトレーナーが日本人?もし本当にそうならぜひ会いたいと思っていた。あの無敵バレラのトレーナーを務めるぐらいだからかなりワイルドな人なんだろうと勝手なイメージを持っていたが、ところが目の前にいる繊大さんは非常に温厚な感じだった。とりあえずそのまま食事に行く事になった。

 繊大さんは元々仙台ジムのプロボクサーであり、当時仙台ジムにはメキシコからの輸入選手が何人かいて彼らとの会話でスペイン語を習得。志し半ばで引退した彼は第二の人生をトレーナーとして生きる事を決意。単身メキシコに渡りミゲール・アンヘル・ゴンサレス(東京三太)のスパーリングパートナーを務めゴンサレスに鼻を折られたり、あのエリック・モラレスのトレーナーを務めたりと波乱万丈のトレーナー生活を送りながら今に至るという。

 話しを聞けば聞くほどその経験の凄さに驚く。そしてなんとバレラとスパーリングをさせてもらえる事になった。何度もビデオを観た憧れのあのバレラとスパーリングが出来るなんてまったく信じられない事だった。

 繊大さんにいろんなジムを見学したいと話した。すると後日パンチョ・ロサレスジムとヌエボ・ホルダンジムに連れて行ってくれた。パンチョ・ロサレスジムには元世界チャンピオンのメルチョール・コブ・カストロがいた。そのいかつい顔は思わず「親分!」と言いたくなる程の迫力があった。そのいかつい顔で女性ボクサーと談笑しながら練習しているのでどこかユーモラスだった。

 ロマンサジムと違い女性ボクサーやフィットネス感覚の練習生等が多くなんとなく和やかな雰囲気だった。

 次にヌエボ・ホルダンジムに向かう。ここはいかにもメキシコ!という感じの原色の壁と、かなり年季の入ったサンドバッグやパンチングボール等があり非常に重厚な雰囲気だった。

 窓から柔らかな光が射す。ボクシングの全てを知り尽くしているような無口な老トレーナーが若者のミットを持つ。

 いつまで見てても見飽きない光景だった。

 しかしどこのジムに行っても繊大さんはいろんな人に声をかけられる。メキシコボクシング界での彼の存在の大きさがよくわかった。
 
 翌日ロマンサジムに行く。するとトレーナーのフェルナンドに来月試合をするか?と聞かれた。倫太郎君の試合をまじかに見て燃えていた私は二つ返事で了解した。メキシコに来て一ヶ月足らずでもう試合が決まるなんて幸先がいい。緊張と興奮で胸が高鳴った。

 そしてこの日は元世界チャンピオンのエンリケ・サンチェスとスパーリングする事になった。エンリケ・サンチェスは陽気なメキシカン達の中では際立って物静かな男で、いつも何かを考えてるようなその風貌は哲学者を思わせた。

 ボクシング自体も長身を生かしたそのサウスポースタイルは私が最も苦手とするタイプで非常に崩しにくい理詰めのボクシングだった。
 
 エンリケ・サンチェスとのスパーリングが終わると、それを見ていた元世界チャンピオンのホセ・ルイス・ブエノがいろいろと指導してくれた。ブエノはロマンサジムの中で最も陽気な男だ。彼がジムに来ると一気に賑やかになる。

 そのブエノが「俺はこうやってサウスポーの川島に右アッパーを入れたんだ」と身振り手振り入りで教えてくれる。「でも逆にこのポジションに入って川島に倒されたんだ」とも話す。飾り気のない気持ちのいい男だ。元世界チャンピオンとスパーリングをし、元世界チャンピオンにアドバイスをもらう。何物にも換え難いロマンサジムならではの醍醐味だった。

 
 試合が決まり気合は入るのだがロマンサジムはボクサーの数に比較してトレーナーが少ない。世界レベルの選手が多い中でどこの馬の骨ともわからぬ外国人の私はミットをなかなか持ってもらえなかった。

 そこで繊大さんに連絡をする事にした。繊大さんとバレラのミット打ちを見た事のある河合さん曰く「神業的」なミットを受けたかった。

 繊大さんは私の勝手な申し出を快く承諾してくれた。バレラは試合を終えて間もないのでまだ練習を再開していないらしい。そこで通うのに便利な場所にあるパンチョ・ロサレスジムで練習する事になった。

 軽くシャドーをやってると繊大さんが来て「スパーリングをやってくれと言ってますけど」と言う。

 指差された方を見るとやけにニヤニヤした男がすでにヘッドギアーを着けていた。しかしどう見ても私より3,4階級は下だ。繊大さんにクラスを聞くとJrフライだと言う。そんな軽いクラスの相手と今までスパーリングをした事はなかった。えてして相手が自分より軽いクラスだと無意識に油断してしまい、いつもならもらわぬパンチをもらってしまうものだ。

 一発のパンチで網膜剥離になる事だってあるボクサーにとって、顔面にもらってもいいパンチなど一発たりともない。

 繊大さんに「階級が違うのでやりたくないです」と告げると一瞬エッと驚いた感じだったが、相手の方に行って説明してくれた。

 やれやれと思っていると繊大さんが困った顔をして戻って来た。「それでもいいからやってくれって言ってますけど・・・・・・どうします?」

 そこまで言われたらやるしかない。「上等じゃねぇーか」そう思いながらグローブを着けた。後で知ったがその相手は、今話題の亀田選手が対アランブレット戦に備えてスパーリングパートナーに指名した世界ランカーのヘルソン・ゲレーロだった。

 メキシカンにしては珍しく長髪のゲレーロはすでにリングに上がっていた。何がおもしろいのかまだニヤニヤ笑っている。不気味な奴だった。

 ゴングが鳴ると同時にいきなり飛び込びざまに左フックを放って来た。
 間一髪スウェーしてかわす。すると勢い余ってゲレーロがマットに転がった。
 完全に私を倒す気だ。これで一気に気合が入る。遠慮なく打つ事にした。
 しかし小柄なゲレーロが更に前傾姿勢を取るとこっちからはゲレーロの頭しか見えない。打ちにくい事この上ない。更にスイッチしながら思いっ切り左右のロングフックを振り回して来る。
 しかもそのパンチをよけ切れずにもらってしまった。
 予想以上に重い。頭に血がのぼった私は力ずくで相手をロープに押し込み目くら滅法に打った。
 すると舌を出して「ヒューヒュー」と奇声を発する。不気味さが倍増した。

 こいつどこかで見た事があるな・・・・・・スパーリングをしながら思った。

 そうだ「あしたのジョー」で見た野生児ハリマオだ。

 そう思ったら急に肩の力が抜けて冷静にアウトボクシングが出来た。距離をとり続けて闘かい2ラウンドのスパーリングを終えた。

 まったくおかしな奴がいるものだ、そう思っていると息つく間もなく繊大さんとのミット打ちが始まった。変幻自在に動くミットにパンチが勝手に吸い付いて行く。白熱して来ると指示がスペイン語になる。「オトラベス!(もう一度!)」そのリズムに乗ったスペイン語に合わせパンチを放つ。すっかりラテンボクサーになった気分だった。

 スパーリングを終えた後のミット打ち。ボクサーに最も充実感を味あわせるメニューだ。

 
 繊大さんのお陰で試合まで調子を上げて行けそうだ。そう思いながら家路に着こうとジムを出た途端、ハリマオ野郎にもらったパンチのダメージか繊大さんとのミット打ちで酸欠になったお陰か急に頭が痛くなって来た。

 まだまだ鍛え方が足りないと思うと同時にやはりボクサーは一発もパンチをもらったらダメだと再確認しながら宿に辿り着くと、妻のサヨ子から手紙が届いていた。

 
 その手紙には「日本はもう桜が満開です」との文面にひとひらの桜の花が添えられてあった。

 
 まだ日本を出て一ヶ月もたってないが妻の懐かしい字と桜の花びらを見て無性に日本が恋しくなって来た。

 日本にいれば決して味わう事のないこの感情。妻を愛しむように国を愛しむ。これこそが祖国を愛する心、すなわち愛国心なのでは?

 それまでは騒々しい街宣車の物騒なイメージしかなかったこの言葉が、急に身近に感じられた・・・・・・・。

 あれから6年の月日が過ぎた。あの当時の日記を探し出し懐かしい思いでページをめくっていると、4月のところにすっかり茶色に変わってしまった桜の花びらが、押し花になって咲いていた。

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●池田高雄(いけだたかお)
昭和44年宮崎生まれ。平成元年プロデビュー。リングネームは憧れのボクサー高橋ナオト氏にあやかり池田タカオ。B級、A級各トーナメントを制し95年にクリス・サギドの持つ東洋タイトルに挑むも判定負け。同年引退。3年半後にメキシコに渡り紆余曲折を経て妻を連れタイへ。タカオ・チュワタナの名で1年間に9戦し、2001年空位のPABA王座を現WBAスーパーバンタム級1位のソムサックと争い7ラウンドTKO負けを喫し完全引退。元日本、東洋、タイ、ともに1位。

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