ROUND 6

 練習を始めて三日目ついにスパーリングをする事になった。私は三年半ぶりのスパーリングをサウスポーでやることにした。
 
 ところでロマンサジムのリングは世界チャンピオンのリカルド・ロペス以外のボクサーはスパーリングをする時だけしかリングに上がれない。
 王様ロペスがリングにいる間は何人たりともその領域に踏み込む事は許されない。
 猛禽類の目をしたロペスがリングの上でいつ終わるともしれないロペス体操(私が勝手に名付けた)を始めると、これからスパーリングをやろうとしていたラファエル・マルケスやグッティ・エスパダスといった世界ランカー達がグローブとヘッドギアーを着けたまま不機嫌な顔をしてリングの外で膝を抱えてずっと座って待っていた。
 あまりにも厳然たる弱肉強食の階層社会だ。
 
 のちに世界チャンピオンになったあの二人は王様としてあのリングを支配出来る喜びに浸ったに違いない・・・・・。
 
 
 私は初めてその狭いながらも敷居の高いリングに上がりマットの上でステップを踏んだ。想像以上に柔らかい。どうやら打ち合わざるを得ないようだ。周りのボクサーたちが私の力を品定めするかのように静まってこちらを見ている。
 人に見られると緊張するたちの私は集中する為に「とにかく右のジャブを当てよう」と自分に言い聞かせた。

 スパーリングが始まった。するとなんと相手もサウスポーだった。やりにくい事この上ない。とりあえず挨拶がてらのジャブを放つが軽くパリーされてよけられた。相手もすかさず挨拶を返してきたがどうにもよけられない。サウスポーには右が良く当たる事を身をもって体験した。
 1Rをいいようにやられた私は本来のオーソドックススタイルに戻りたい衝動に駆られたがここは我慢だと言い聞かせた。
 2Rめに入りこちらのジャブもちらほらと当たりだしてきたが相変わらず相手のジャブをよけられない。まったく情けない姿だった。
 
 意気消沈して2Rのスパーリングを終えた。「ダメだ・・・・・体が反応しない・・・・・」三年間サウスポースタイルで練習してきてパンチはスムーズに繰り出せるようになっていたがディフェンスの練習は一人じゃ出来ない。相手がサウスポーだとこんなに勝手が違う物とは想像もしていなかった。グローブをはずしてもらいながら暗澹たる気持ちになった・・・・・。
 
 そんなある日、私の暗く沈んだ心を吹き飛ばすような元気な関西弁がジムに鳴り響いた。 その声の主に一応軽く挨拶をすると「あ〜池田タカオさんですかエディージムに貼ってあるポスターを見ましたよ」そう語るその人はグリーンツダジムに所属するという河合晴彦さんだった。

 河合さんは私の大先輩である村田英次郎氏が会長を務めるエディージムに何度か行った事があるらしく、それで私の事を知っていたようだ。しかも河合さんはメキシコとタイで何度も試合をした事がありその経験談は私にとって非常に価値ある物だった。しかも共通の知人がいてその話し等をしているうちに暗い気分も一気に明るくなってきた。

 河合さんは友人であるボクサーのホセの家に住んでいて一緒にロマンサジムに通って来ていた。日本語のまったく通じないメキシコ人家庭で生活している為か私の練習の合間にいろいろと話しかけられて困ったりもしたが、河合さんがたまに練習を休むと無性にあの元気な関西弁が恋しくなりよけい困った。
 
 初スパーリングから二日後また同じ相手と今度は4Rやることになった。とにかくパンチを当てるよりもあのジャブをもらわないように全神経を集中した。結局その甲斐あってか前回程のパンチはもらわなかったがブロックするのが精一杯で反撃すら出来なかった。こんな調子じゃカウンターを打てるようになるのは一体いつになるのか・・・・・。
 しかもたった4Rのスパーリングでリングを降りる時は足がふらついてしまい倒れそうになった。4年前の東洋タイトル挑戦の時は15Rのスパーリングをしても今回程のダメージはなかった。「たった4ラウンドのスパーでこれか・・・・・」いやでも衰えを自覚するしかなかった。

 暗く沈みがちになる練習でも河合さんの元気な声を聞くと不思議と明るくなる。河合さんにそれとなく自分の衰えを愚痴った。河合さんはそれをただ黙って聞いていた・・・・・。

 メキシコに来て二週間程が過ぎた頃から朝のロードワークが5周しか走れなかったのが10周走れるようになった。そしてスパーリングも4R普通に出来るようになって来た。
 どうやら高地循環されたようだ。重い鎧を脱ぎさったような気分だった。
 そして三年間練習して来たサウスポースタイルを捨てた。自分の残された時間を思うと悠長にディフェンスの基本からやって行く余裕はなかった。
 
 そんなある日、メキシコランキングに入ったばかりの昇り調子の若者とスパーリングする事になった。
 以前から彼のスパーを見ていいボクサーだな〜と思っていた私は心に期する物があった。それはここでむざむざと踏み台になってたまるか!そんな思いだった。
 私は本来のオーソドックススタイルで闘った。今まで抑えていた物が一気に吹き出した。気が付いたら若者は鼻血を出していた。1Rが終わった。インターバル中私にアドバイスを送ってくれるトレーナーなんかいない。ただ一人静かに呼吸を整えるのみだ。
 その時河合さんの大きな声がジムに鳴り響いた。
 
 「全然衰えてないですよ!自信を持ってください!」
 
 突然の河合さんの叫び声にジム全体がシーンと静まり返る。
 
 異国のジムに鳴り響いたその叫び声はどんな名トレーナーのアドバイスよりも私の心に深く深く染み入った・・・・・。

 
 スパーリングが終わった。いつも通りサンドバッグを打とうとドアの開いたトイレを横切りふと中を見ると、先程の若者がトレーナーに鼻血を拭いてもらっていた。そして目を真っ赤にして泣いていた。
 
 偶然彼と目が合ったその瞬間言いようの無い罪悪感を覚えた。
 
 しかし、「あのリングは弱肉強食の世界なんだ。お前も明日はああなるかも知れないんだぞ」そう自分に言い聞かせた。
 
 
 そしてちょうど10年前、私が駆け出しの4回戦だった頃、当時トレーナーを務めてくれていた村田英次郎氏がジムを去って行く時に交わした最後のやりとりを思い出した・・・・・。
 
 
 私は「村田さんがジムをやめるんなら僕もやめてアメリカかメキシコに行こうと思っています」電気の消えた暗いジムの片隅でそう告げた。
 
 すると村田さんは困ったように顔をしかめて唇をギュッと締めた。
 
 そして淋しそうな顔をして「あっちでは無名でも強い奴らがゴロゴロいるんだぞ。そんな奴らがスパーリングでもお前を倒そうと必死で向かってくるんだぞ。試合だって出来るかわからない。仕事だってどうするんだ?そんな中でお前はどうやって生きて行くんだ?お前の気持ちはわかるけど、今行くのはやめろ・・・・・」その目に涙をためながら静かにさとしてくれた。

 そしてうつむき涙を流す私に村田さんは「困った事があったらいつでも連絡しろよ」そう言って自宅の電話番号を書いたメモを渡してくれた・・・・・。

 あれから10年、メキシコにいる29になった私はあの時の村田さんの優しさを思い出し、再び涙があふれ出そうになった・・・・・。

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