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私がメキシコに渡ったのは今から6年前の1999年29才の時、すでに引退してから3年半の年月が過ぎていた。
初めて作ったパスポートを手に成田空港の搭乗口に向かう。
三年間想い続けたメキシコへついに行ける。しかしそんなはやる気持ちよりも入籍したばかりの妻を一人日本に置いていく事に心が痛んだ。しかし前夜の泣き顔がうそのような笑顔でけなげに手を振って見送る妻の顔を見たら、人前だろうが抱きしめずにはいられなかった・・・。
右も左もわからぬ異国の地に殴りこみをかけに行くとなれば女は足手まといにしかならない。私は残りわずかなボクシング人生をメキシコに賭けると3年前に決めていた。
グレート金山さんの死・・・。日本ボクシング界にとってけっして忘れてはならない重大事件に私もほんの僅かだがかかわった。
金山さんのスパーリングパートナーをつとめその魔人のような強さに驚き、そして後で殴った相手を気づかうその優しさに感動した私は金山さんの信奉者になっていた。
非常に不可解な判定で強奪されたベルトはリターンマッチで必ず金山さんの元に戻ってくると信じていた。
しかしそれは叶わなかった。判定負けのコールを聞いた後「負けたのね。もう、これで終わりね・・・」そうつぶやき金山さんは昏睡状態におちいり4日後、息を引き取った・・・。
後日ボクシング専門誌に事故の原因がいろいろと書かれていた。「相手のパンチが見た目以上に強かった。」「長年のダメージが蓄積していた。」・・・。
どれもこれもまとはずれだった。金山さんはこの試合に命を賭けていたから、負けたら終わりと決めていたから、非情な判定を聞いて自ら命を絶った、と私は思った。
この事件のそもそもの原因は一戦目の不可解な判定にあり、それをゆるした日本ボクシング界に対して私は大きな不信感を持った。残された金山さんの家族の事を思うと心が痛んだ。私より強い金山さんが亡くなったのだから自分なんかいつ死んでもおかしくない。 もし自分が死んだら残された人たちはどんな思いでこれから生きていくのか?
世界チャンピオンになる、という途方も無い夢のために自分を愛してくれる人たちを悲しみのどん底に突き落とす権利がこの俺にあるのか?
今まで深く考えもしなかった事を1ヶ月間毎日自問自答した。
そして今岡武雄戦まであと1週間と迫った頃、私は引退を決意した。
今岡は今まで闘って来た相手の中で最もスピードがあった。
私も持てる技を全て出し切り10ラウンドを闘い切った。「勝ったかな?」そう思ったがジャッジは今岡を支持した。
判定にはあまり納得は出来なかったが、勝ち逃げのゆるされないボクシングの世界を抜けられるよう、金山さんが導いてくれた気がした。
「ありがとう金山さん」そうつぶやき、もう二度と上がる事の無い後楽園ホールのリングを降りた。
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