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ナオトと話しをするようになったのは、一体いつ頃からだろうか?
あんなに大嫌いだった(正確に言えば、憎んでいた。)人間と電話を掛け合うようになり、行動を共にする事があるのだから、本当に世の中は分からない。 これが俗に言う『つながり』というものなのだろうか? 今では『ナオトを一番理解している人間』と自負しているくらいだから、まったくもって可笑しな話だ。
あの当時を知っている者がこれを聞いたら、おそらく誰も信じないんじゃないのかな? まあ、こういう関係に至るまでには沢山の出来事があって、その時間の中でお互いの(俺の?)感情が変わってきた結果だと思っているが・・・。
だけど、アイツは本当に純粋でいい男なんだ。
1989年10月14日、俺はナオトに挑戦した。
当初は9月に予定されていたが、6月に俺は右拳を手術していた為、ちょうど1ヵ月試合が延びていた。俺は自信満々だった。負ける要素など何ひとつない。 確かにあの右には要注意だが、俺がもらうわけがない! 今まで俺にまともにパンチを当てたヤツはいない。 最初から腹を打って、左フックを当てれば俺の勝ちだ!
計量後、長野マネージャーが取ってくれたホテル『グランドパレス』のベッドに横になった。ここはあの浜田さんが世界戦前に泊まった場所だ。夢を抱いて上京してきた日が蘇ってきた。今日そのひとつが実現する記念日になる。
しかし・・・、結果はご承知の通り、6RKO負け。 アゴを2箇所骨折し、流動食をすすりながら1ヵ月半の入院生活を送るという『おまけ』までついた。
とにかく辛くて、落ち込んで、腹が立って、そして憎らしかったよ。
手術が終わった後のあの痛み・・・、今思い出してもゾッとする。
とにかく(早く朝になってくれ!)と願いながら、あの苦しさに耐えていた。 ただ明るさ(光)が欲しかった。朝になれば、苦しみから解放されるような気がしていた。
やっと空が明るくなってきた時、俺は天井を見つめていたら涙がでてきた。 自分が情けなかった。なんでもっと頑張れなかったんだ・・・。俺はこんなもんだったのか・・・。
悔しさと腹立たしさと、情けなさと憎しみが入り混じっていた。
それからの俺は、(どうすればナオトに勝てるのか?)そんな事ばかりを考えて、日々を送るようになった。
朝起きた時から、常に『ナオト』が頭に浮かんできて、(アイツはこうやってくるから、俺はこうやろう。) (1発で倒したら、あれはラッキーだったと思われる。 徹底的に弱らせてから仕留めよう。) (今度はナオトにタンカで出ていってもらう。 俺が味わった思いをお前も知れ!)
ホント! 何をしている時も『ナオト』のことを考えていた。
いつだったか、ナオトが阿部会長と一緒に帝拳ジムに来たことがあった。 目的は、当時すでに世界ランキング入りをしており、もうすぐ世界挑戦も決定していた『エロイ・ロハス』とスパーリングをおこなう為だった。
ナオトがジムに入ってきた時から、俺はかなり意識をしていたが、そんな思いはおくびにも出さずに平静を装っていた。
すると、俺の所へナオトが近づいてきたのだ。 俺はじっとナオトを見つめた。 『よお! 打越元気!?』 いきなりのこの言葉、しかも何の罪の意識も感じていない笑顔を見て、俺は拍子抜けした。が、それと同時に強烈な怒りが込み上げてきたのだ。
(この野郎! 俺をおちょくってんのか!?)
『ああ?元気に決まってんだろ! 俺のそばに来んじゃねえよ!』
ナオトはビックリした様子と戸惑いの色を浮かべ、俺から離れていった。 あの時のナオトの表情は本当に形容し難いものだった。
なんと言えばいいのだろうか? (打越・・・、なんでそんな事を言うんだよ。) なにかそんな悲しそうな表情に思えた。
俺は(もう少し気持ちいい態度で接してやればよかったかなあ。)とは思いながらも、やはり怒りと憎たらしい思いは依然として変わる訳もないので、踏ん反り返ってロハスとの始まったスパーを見ていた。
1・2ラウンド、ナオトはロハスにかなり打たれた。世界挑戦を控えていたロハスの心身の充実度は素晴らしく、スピード、切れとも申し分なかった。 この6分間、ナオトにいいところは全くなかった。 俺はイライラしながら、このスパーを見入っていた。物凄く腹立たしい思いで・・・。
(お前、何やってんだよ! そんなヤツにやられてどうする? もうちょっとシャキッとしろよ! バシッと決めろよ!)
憎たらしいナオトが俺の目の前でやられているのに、全然面白くない。それどころか、逆にロハスのほうを憎らしくなってくる。(俺はナオトに勝ってもらいたいのか?・・・・・)
3ラウンドが始まった。 1・2ラウンド、かなり手を出したロハスに、ほんの少しだが疲労の色が見え始めた。すべてのパンチを思い切り打っているツケがきたのだろうか? そこへナオトの得意の右クロスがヒット、ここからナオトの逆襲劇が開始された。 それは【猛攻】と呼ぶのにふさわしい攻撃だった。どこにこんなスタミナと負けん気があるのだろうか? これが試合用の8オンスであったならば、この場で終わっていたことだろう。
3ラウンド終了後、『拳を痛めた』といったロハス側の理由で、4ラウンドの約束だったスパーリングは中止された。
俺はとても満足な気分だった。 俺以外のヤツにやられるような事でもあったら、ナオトの商品価値が下がってしまう。そんな時に再戦して勝っても嬉しくもないし、周囲を見返すことなどできない。
本田会長と長野マネージャーに挨拶をして、ジムを後にするナオトの後姿を眺めながら、俺の心はますます燃え滾っていた。(お前をコテンパンにのめすのは俺だ。) あの顔を思い出すだけで胸が息苦しくなり、殴りたくて殴りたくてどうしようもなくなる衝動を抑えるのが大変だった。
アゴの怪我も癒えてきた俺は、『7月に再起戦!』と自分に目標を掲げ、2月11日から練習を開始した。 勿論、この先の事も試合の相手もまるで白紙ではあったが、俺の目の前にいたのは常にナオトだった。
ところが・・・・・。 あれは5月に入ってからのことだ。
練習を始めようとストレッチをしていると、長野マネージャーが歩み寄ってきて、しんみりとした表情で語りかけてきた。
アゴにプレートが入ったままの状態では、試合が出来ないの。
今日、コミッションのほうから通達があったのよ。
だから、もうちょっと辛抱しましょうね。
俺は愕然とした。(何故!?なんで出来ない!? アゴにプレートが入っているのが、なんでダメなんだよ!? 俺はすぐにやれなきゃイヤなんだよ。じゃあ、いつやれるんだよ! もうやれないのか!? 打越は大丈夫だからやれるって、コミッションに言ってくれよ!)
その日、俺は何をしたんだろうか? 練習したんだろうか?
今では思い出せない。 何も覚えていない。
ただただ、ショックだった。
ある日、今度は俺が長野マネージャーの所へ行き、こう言った。
『マネージャー、もう1度手術してプレートを外しましょう。 もうちゃんと骨はくっついていますから、全然大丈夫ですよ。』
長野マネージャーはビックリした様子で言い返してきた。
『そんな無理は言わないの! なぜそんなにいつもあんたはワガママなの!』
俺は言い出したら絶対に引かない。 自分でいうのも何なのだが、本当にワガママな男なのだ。 (【ワガママ選手権】なるものを開催したら、俺はチャンピオンになるだろう。) 俺の頭の中には、何んとしても年内に試合をやるんだ!という事しかなかった。
長野マネージャーとの押し問答が続いた。
時も経って2人の間に言葉がなくなった頃、長野マネージャーはこう切り出してくれた。
『じゃあ1度病院へ行って、お医者さんに診てもらいましょう。それでダメだったら、その時は諦めるのよ。』
この言葉は本当に嬉しかった。
後日、マネージャーと一緒に病院へ行き、再検査。 医師の『OK!』 の言葉でプレート除去の再手術。 俺の『何んとしても年内に!』という念願通り、12月1日に再起戦の日が決定した。
(この試合、お陰様で勝利することができた。相手だった花形ジムの高倉選手も非常にガッツのある男だったので、あのようないい試合になった。 俺は、本田会長・長野マネージャー・桑田トレーナー・両親・弟・支えてくれた人々すべてに感謝をした。 今、この場で改めてお礼を述べます。『本当にありがとうございました。』)
年も明け、俺には輝く日がやってきたと思えた新しい年。
1991年1月12日
ナオトが負けた・・・・・。
俺の目の前でナオトが負けた。
韓国チャンピオンの朴と対戦し、9Rに倒されて負けた。
しかも俺と同じように、青コーナーからタンカで運ばれて・・・・・。
あの時の会場の雰囲気は、過去にいろいろな雑誌で取り上げられているので、今さら改めていうこともないだろう。
あの瞬間、俺の全身の中からナオトに対する憎しみが消え失せてしまったのだ。その理由は自分でも分からない。分からないことを人に説明するのは難しい。
ただ、(ああ、俺がコイツと戦ることは、もうないんだなあ。)っと思ったのは覚えている。
ナオトは引退した。 と同時に、俺の目標も消えた。
人というのは、誰もが必ず憧れの人物を心に持っている。
俺も『長渕 剛』が大好きだ。
そしてその人物に対してのイメージも、自分の中で作り上げている。
(きっとこういう人だ!)と。 そこには自分の期待を裏切るような要素は微塵もない。完璧な人物像が描かれているわけだ。
『高橋ナオト』 ボクシング界では誰もが知っている人間だ。
いったい何人の人間が彼に憧れ、そして近づいていったのだろうか?
そしてそこで何を感じたのであろうか? いろんな人達から、いろんな話しを聞いてきた。
『○○○○○○○○○○。』 つまり否定的な意見だった。否定的というよりも悪口だった。
『○○○・・・』では分からないから、ハッキリと書いたほうがいいよ!というアドバイスもあったが、俺は書きたくないんだよ。
だって、それはあなた方が勝手に自分の中で作り上げてきたイメージと違っていたからだろう! 勝手に作ったものを勝手に壊しておいて、それを相手の責任にするというのは御門違いもいいところだ。
人は『器の大きさ』で決まるという。 確かにそう言われればそうかもしれない。 だが俺はこう思う。『器の大きさは同じだ。』と。
『ただその器の中に入っている【項目】というものに大小はあるのではないか』と。 どの人間も器の中身は100だ。
100の中にはいろんな【項目】がある。
その中のひとつの【項目】がずば抜けた数字であるならば、(例えば90とか)他の【項目】を残りの数字で割らなければならない。
そうしたら、どうしたって欠けてくる所があっても仕方ないではないか。 神様のような、そんなバランスのとれた人間などいないんだよ。
たくさんの時間をナオトと過ごしてきた。
時に言い争いをし、ケンカ別れになりそうな時期もあった
『アイツはダメだ! 俺はがっかりした。 もうアイツがどうなったっていい!』。怒りのあまり、周りの人達に言ったことさえある。
それでもこうして続いている。 俺はナオトの良さを知っているからだ。
それはもちろんボクシングの才能だけではない。
アイツの持っている『純粋さ』だ。
本当にビックリするほどの素直な心根の持ち主なのだ。
ただ『純粋さ』とは、子供の感覚に似たようなところもある。
子供はその時その時で感じた事を口に出す。 子供だから許される言動も、大人同士の付き合いの中では、時に許されない場面も生じてくる。 ナオトは何の悪気がなくても、思った事をズバッと口に出す。 俺でさえ、(エッ!?)と思う時があるけどね。 だけど、ものすごく相手の心を気遣うやさしい一面を持っている。 そしてアイツが持っている【自論】が、これまた素晴らしいんだよ。
本当に『へえ〜』と感心してしまうことをいう。 俺自身、アイツにかなり励まされている部分も多いと思うんだ。
というわけで、まあなかなか憎めない不思議な男なんだ。
そんなナオトに様々な出来事が起きた。 ご存知の方もいらっしゃるだろうから、敢えてここでは触れない。 きっとアイツのことだから、本当に寂しいと感じていることだろう。 みんなが周りにいて、持ち上げられて、笑っていられる環境が好きなヤツなんだから。
何か俺に出来る事はないのか? 力になってやりたい。 喜ばしてやりたい。 何かないのか? 今の俺に何が出来るんだろうか?
そう考えた時だった。 『俺がやれるのはボクシングしかない! ナオトをもう1度輝かせられるのは俺しかいない!』という気持ちが猛烈に込み上げてきたのだ。 そして去年12月24日のクリスマスの日、しょーちゃん(新田渉世会長)のジムで今回のことが決まった。
思えば、あれからちょうど20年である。 21歳のとんがっていたニイチャンも41歳の男になった。(もちろん、俺は今でもとんがっている。) やるからには真剣勝負は当たり前だ。ナオトに『花』を持たせる気などサラサラない。 あの時以来、ずっとくすぶっていた自分の思いにも決着をつけたい。自分自身に、『満足な』気持ちを持ち続けていきたい。
あの日、あの試合を観たみなさんも、20年前のひとときに戻り、
懐かしくも新鮮な思いで、この2人を応援していただけたら、
こんな有り難いことはない。
41歳の男にやれることを見ていただきたい。
2009年8月8日 打越 昌弘 |