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新井がボクシングに興味を抱いたのは小学生の頃。テレビ放送のあったシュガー・レイ・レナードや浜田剛史の世界タイトルマッチのことをよく覚えている。だが「手が早くて、ど突き合いはしょっちゅう」というやんちゃ坊主が小学校3年の頃に手にしたのは、自宅に残されたバットとボールだった。顔を知らない父の野球好きが、少なからず影響してのことだったらしい。以降、中学を経て高校まで野球を続けることになる。
「これと思ったら、そのことしか考えられない性格なんで。一途に自分には野球しかないと思い込んでました」
ポジションは一貫してキャッチャー。小・中学校の頃に残した成績は県大会で3位。主将を務めた高校時代も、春の選抜大会につながる秋の県大会でのベスト4が最高の成績で、関東大会への切符をあと1勝のところで逃している。
真意のほどは新井にも定かではないが、自分の感情に素直な女性で、思ったままを口するところがあるという母に、「お前はダメだ。お前はダメだ」と、幼い頃からことあるごとに言われ続けてきた記憶があるという。約10年間続けた野球でも、ある程度の成績を残した息子に対し、かつて卓球で社会人日本一に輝いたことがあるという母は、「やっぱりお前は、どんなに頑張ってもダメなんだ」と繰り返した。このことが「自分に自信を持てないタイプ」という性格と、反面の反骨心とを、新井に植え付けたのかもしれない。
高崎ジムに入門したのは21歳の頃。野球を自分の限界までやり尽くした高校卒業後、いったんは地元に働き口を見つけたが「自分じゃなくてもできると思えた」仕事をこなし、地元の仲間と遊び回るただ楽しいだけの毎日にも、やがて飽き足らなくなってくる。きっかけはその頃、仲間うちで流行った「ボクシングごっこ」。拳にタオルを巻き、腹だけを殴り合う遊びで、自分と対戦した仲間たちを次々とギブアップさせ、「小さい頃から好きだったボクシング。年齢も年齢だし、やるなら今しかない」と一念発起した。
「チャンピオンになる」。そんな野望を新井という男は心の隅にすら抱けない。「自分に本当にできるのかなって思ってたくらいなんで、プロテストくらいは受けられたら」というのが始めた当初の夢だった。最初の目標はスパーリング。そのスパーリングでジムの偉大な先輩たち、数度にわたる日本タイトル挑戦経験を持つ小松進一や、昨夏に引退した篠崎哲也と手を合わせ、そのたびころころ倒されていたという新井は、「自分に何が足りないのか」を自問自答しながら練習を重ね、一段一段、階段を上がっていった。そうして翌年、新井は念願のプロテストに合格する。が、デビュー戦を前に原因不明の手足の痺れが起こり、その症状が収まらず、泣く泣くボクシングを断念することになってしまう。
紆余曲折を経て、新井が2ラウンドKO勝ちでデビューを果たすのは25歳の誕生日を目前に控えた2001年9月17日である。その間、体調が戻った新井はひとりウエートトレーニングを開始していた。復帰できるとは考えておらず、ボクシングで鍛えた身体を維持するため、というのが当初の目的だった。しかし思いは次第に、自然とボクシングに向かっていく。
「当時は結構、体重はあるんだけど、細くって。まず筋肉をつけることから始めようかと。やっぱり自分に何が足りないのかなってすごく考えちゃうんですね。いつも」
結果、それが役に立ったと新井。2戦目に不覚の判定負けを喫したものの、翌年2002年に東日本新人王、2003年にはB級トーナメント優勝を果たす。A級に上がってからは、アマ経験豊富な根岸大介(エイティーン古河)、小松学(ワタナベ)に連勝。そして一昨年、当時日本ランカーだった北川純(古口)との3連戦を2勝1分で乗り切り、後援会の働きかけで実現した地元高崎市新町での前哨戦を経て、昨年のタイトルマッチにたどり着いている。
「とにかく1日を一生懸命、生きること。自分にはそれしかない」
と新井は言う。かつてから現在に至るまでも新井は大きな目標を掲げて走ってきたわけではなかった。
「自分の場合、ある意味、明日のロードワークが目標なんです。で、朝のロードワークが終わったら、次の目標はその夜のジムワーク」
そうした日々のひとつひとつを積み重ねてきた果てのタイトルマッチだった、新井はそう振り返る。

10月下旬、新井の次戦が1月21日にセットされた。対戦相手は大曲にも劣らぬ強豪である。過去にライト級からウェルター級まで国内3階級を制覇している、湯場忠志(都城レオスポーツ)の再起第2戦の相手に指名されたのだ。森田良治会長は、タイトルマッチ後の新井の変化についてこう語る。
「以前までは試合の話を持ちかけても、対戦相手が自分より格上だと渋るところがあったんですが、今回は『やらせてください』と二つ返事で言ってきましたから。少しは自信になったんでしょう」
新井がA級に上がった頃から、本格的にコンビを組んできた宮澤一チーフトレーナーは、以前の彼について苦笑混じりに振り返る。
「実は1年くらい前に大曲選手からのオファーがあったんですが、『自分には無理です。絶対勝てません』って、きっぱり二つ返事で断りましたからね。試合だけじゃなくて、大曲戦の前にスパーリングを音田(隆夫=トクホン真闘)選手に頼んだときも、戦績を見て本気で『やりたくない』って直前までビビッてたくらいですから。ボクシングは結果が全てではあるんですけど、負けがそのままマイナスに作用せず、反作用してくれることに期待しています」
「自分でもあそこまでできるんだっていう自信にはなりました。ただ、あの試合で実感したのは、勝たなきゃダメなんだってことです。
あの後、みんなに『いい試合だった』『よくやった』って言われて、嬉しいのは嬉しいんだけど、たとえ『つまらなかった』と言われても、勝たないと心の底からはやっぱり喜べないんだなって。今度の試合は真価を問われる試合。あれは大曲の調子が悪かっただけだと見てた人は思ってるんでしょう。もし変な試合をしたら、やっぱりそうだったか、となってしまう。けど、ちゃんとした試合をすれば、やっぱあいつは強えんだっていう評価になるはずですからね」
大曲戦の前、いつもはひとりになった夜の部屋で、大好きなお笑いのビデオを見て試合前の恐怖を紛らわせるという新井は、目の前の映像に集中することができず、夜中に大音量で音楽をかけながら、当てもなくひとしきり車を走らせることで、ようやく眠りにつけていたという。そのような「必要以上の恐怖心は今回はない」と新井は話す。
「負けて本当によかったなって思えるようになりましたよ。変わりましたね。ものの見方とか。これからの人生のことを考えるとほんとに大きかったですよ。ちゃんと話したことないですけど、大曲さんは大らかな人だと感じたんです。人間的に自分より大きい、そういう部分で自分が負けたと、今は思えるんで」
新井がボクシングを始める直接の契機となった「ボクシングごっこ」は、恐らく表層の理由に過ぎない。ボクシングは、人間を高めてくれる自分にとって最高のもの、と話す新井の深層にあったもの。それは、母への複雑な感情と無関係ではなかったろう。ここに記す必要のない複雑な事情も他にある。そのことについて、新井はこう語っている。
「思い当たることがいっぱいあるんですよ。ああ、だから(ボクシングをやってるの)かっていうことが。なんか飢えみたいなものがあったんじゃないかって」
それは、母に「認められたい」という飢えと、母に「負けたくない」という反発心のようなものだろうか。とにかく新井は今、大曲戦の負けを契機に、愛憎半ばすると語る母への複雑な感情を乗り越え、消化することを自分に課している。自分がもっと人間として大きくなるために。そして、今、現在の新井の中には既に、ボクサーとしてここまで成長できたキーワードでもある「自分に足りない何かを探す」という自身のアプローチの仕方も、「お前はダメだ」と言われ続けて育てられたという母から受けた影響と、決して無関係ではないという感謝の念があるようにも思えるのだ。
湯場戦は大曲戦のときと同様に、下馬評で新井に圧倒的不利の様相である。年末に正式発表された今年のチャンピオンカーニバルの対戦カードを見ても、それは明らかだ。
<ウェルター級=4月予定>
王者・大曲輝斉(ヨネクラ)‐1位・湯場忠志(都城レオS)
本来なら、湯場‐新井戦の勝者とか、結果次第とでも発表されるべきなのではないのだろうか。
「みんな自分が負けると思ってるだろうけど、みんなをあっと言わせて見せますよ。ただでは絶対に終わりません」
まだ発表前の新井の弁である。そして、控え目過ぎるほど控え目な好漢は続けた。
「あそこまで行っておいて、これでチャンピオンになれなかったら、ボクシングやめられないですよ。それまでずっと続けてやろうと思うようになりました」
忘れられない表情がある。大曲戦の前に話を聞いたとき、あまりに「自信がない」「怖い」「自分に勝ってるところはない」と繰り返す彼に、「(大曲は)湯場を40秒でKOしてるし?」とわざと意地悪くけしかけてみたときのこと。こちらを真っ直ぐに見つめて話していた新井がふと視線を逸らし、
「まあ結果が全てですから」
と自信ありげに静かに不敵な笑みを浮かべていたのだ。そのとき私は「彼は何かをやってくれる」と、確信したのである。そして今回は、私の視線を真っ直ぐ見つめたまま、きっぱりとこう言った。
「もちろん驚かせるだけじゃなく、勝ちにこだわります。勝ちますよ」
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