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ぼくはもとより、自分のなかからひとりでにほとばしり出ようとするものだけを、生きようとしてみたにすぎない。どうしてそれが、こんなにむずかしかったのだろう。
(ヘルマン・ヘッセ『デミアン』 岩波文庫/実吉捷郎訳 より)
勝ち負けという結果には、正直、さほど関心はなかった。もちろん、勝つに越したことはないし、心のどこかでは確かにそう願っていたかもしれない。だが、勝つにせよ負けるにせよ、これで最後なのだという確信に近い予感が、私の中にはあった。そうであるなら、その終わり方こそが問題だった。
2006年3月15日、私はそれを、後楽園ホールのリング上に見届けたかったのだ。
「カムバックしてからの3試合、付き合ってくれて、ほんとにありがとうございました。すみません、俺の遊びに付き合わせちゃって」
医務室から戻ってきたボクサーは、控え室前の通路に私の姿を認めると、形容し難い複雑な笑みを浮かべながらこう言った。私がすぐに言葉を返すことができなかったのは、意外にさばさばした声音ながら、その表情にどこか自虐的な色を感じ取ったからだった。
結局、目礼を返す程度しかできなかった私にうなずき返すと、ボクサーはそのまま控え室に入ろうとした。その彼を写真家の山口裕朗が呼び止めた。元10回戦ボクサーだった山口は、ボクサーにとってはジムの後輩に当たる。山口はボクサーを壁際に立たせると、カメラを間近に構え、彼の顔を撮影し始めた。
「敗者の顔か!?」
レンズの方を見つめながら、わざとダッキングのようなしぐさをし、おどけた調子でボクサーは言った。その顔には先ほどと同じような笑みが浮かんでいる。単なる照れ隠しなのか、それとも自虐の表情なのだろうか。だが一方でその中に、妙に吹っ切れた感じが見受けられるのも確かだった。もちろんそういった複雑さこそが、敗者の見せる表情なのだと首肯できなくはない。しかし、どこか引っかかってしまうのは、私の中にあった、これで本当に最後になるのだろうか、という懸念が理由であるに違いなかった。
彼は、横尾真樹はこの試合をもって、果たして最後にできるのだろうか。それを確かめることができるとすれば、少なくとも今ではない。山口に写真を撮られる横尾の様子を見守りながら、私はそう考えていた。
リング上の横尾の身体の細さがやけに気になった。もともと細身ではあったが、この日ほど、意識に引っかかってきたことはない。かつてはフライ級からスーパー・フライ級で戦っていた横尾だったが、カムバック後はフェザー級からスーパー・フェザー級でリングに上がっている。だが、それはいかにも大柄なこの日の対戦相手との物理的な比較が、そう感じさせているというだけでもなさそうだった。
静かなのだ。身体から発せられる意思とでもいえばよいのだろうか。それが、私には感じられなかったのである。序盤、ラフに迫ってくる相手の大振りの左右を上体の動きだけでかわし、その動きだけで相手のバランスを崩してみせたときも同じだった。やがて相手の左フックを再三、不用意に食い始める。その度、衝撃が身体の芯まで響いているかのような、痛々しさを覚えた。それでも、横尾の奇妙な静けさに変化はない。少なくとも私にはそのように感じられた。
第1ラウンドの終了を告げるゴングが鳴った。淡々とコーナーに引き上げてくる横尾の表情を見ながら、不意にカムバック2戦目に敗れてからしばらく経ったある日の、彼の言葉が思い出された。
「何のためにカムバックしたのか、自分でも目的が、よくわからなくなってたかもしれないですね。何やりたかったんですかね?俺……」
再びリングに上がったことを後悔しているわけではない。むしろ、カムバックして本当によかったと心から思っている。横尾はそう話す一方で、どこか釈然としない表情で漏らしたのである。
カムバックする以前から、彼が言葉にしていた“目的”といえるものは、いくつかあった。だが、時を経るに連れ、それらは微妙に変化していった。やがてそれは、俺は何をしたかったんだ?という疑問に変わっていった。
リングにはまた上がるつもりだと、その頃から話していた横尾だったが、結局その答えを見つけることができなかったのではないか。1ラウンドと2ラウンドの間のインターバルに、私の頭に浮かんだのはそのようなことだった。カムバック2戦目から、この日の3戦目を迎えるまでの間に、すでに1年3か月の歳月が流れていた。

横尾が脆くも崩れ落ちたのは、2ラウンドが始まって30秒も経たない頃だった。またしても左フックだった。左が見えていないのではないか、ということ以前に、立ち上がった横尾が身にまとっている相変わらずの静けさが気にかかった。内にあるはずの熱が、それでもほとばしり出てこないという感じなのだ。前戦でダウンを奪われたときの横尾は立ち上がると、「やるねぇ」とでもいうように、グローブで相手の方を差しながら、にやりと不敵に笑って見せ、それから反撃に転じたものだった。
ダメージは浅くはなさそうだった。相手のパワーに押されるように後退を続け、パンチを浴びた。クリンチはしない。間隙を縫うように反撃を試みるも力はなく、レフェリーからは何度かローブローの注意も受けた。終わりが近づいているのは、明らかに見えた。
迎えた第3ラウンド開始早々。やはり、ここでも左フックがきっかけだった。一瞬、動きの止まった横尾に、容赦なく連打が浴びせられる。力なく後退する横尾。ずるずるとロープ際に追い込まれ、さらに連打を浴びる。そして、なす術もなく棒立ちになった横尾を見て、レフェリーがすっと両者の間に割って入った。その瞬間、敗者の顔には「えっ?」という驚きとも不満とも取れる表情が浮かんだ。「もういいだろう」というように、レフェリーが横尾を抱きかかえながら、なだめるように語りかける。すると、すぐにそれは諦めたような笑いに変わった。
これが、私が見届けた結末だった。
会場を訪れていた元日本ジュニア・フライ級チャンピオンの早山進(さやま しん)と顔を合わせたのは久しぶりのことだった。そういえば横尾のカムバック2戦目以来だった。金子ジムの後輩である横尾に乞われ、早山も望み、カムバック初戦まで横尾の専属トレーナーを務めていた。その後、諸事情あって東京を去り、千葉の某所で無農薬野菜の栽培に携わっているはずだった。前の試合のときにはその千葉から、試合当日に駆けつけ、セコンドに付いていたのだ。控え室前の長椅子に座っていた早山の隣に腰を下ろし、近況を尋ねてみると、今は農業をやめ、しばらく前に東京に戻ってきていたのだという。そのまましばらくの間、雑談を続けたが、横尾の話にはならないまま、早山は連れの男性と去っていった。
気がつくと、私はひとり取り残されていた。控え室の中にはまだ横尾がいるはずだったが、今の彼に聞くべきことは、私の中には見当たらなかった。それでも、何となくその場を立ち去り難く、長椅子に腰を下ろしたまま、通路の奥に据え付けられているモニターに写し出された、階上で行なわれている次の試合を、見るともなく、ただぼんやりと眺めていた。
それからどのくらい時間が経ったかわからない。モニターの中の試合にも集中することができず、そろそろ会場に戻ろうかと思い始めたとき、控え室の扉が開いた。中から出てきたのは、池田タカオだった。
池田もまた、横尾の金子ジムの先輩になる。現役時代には、横尾とともに出場したB級ボクサートーナメントを制し、揃って日本ランク入りを決めたこともあった。その後、日本フェザー級1位、東洋太平洋同級1位にまで上り詰めている。1995年1月には東洋太平洋同級タイトルに挑戦するも、獲得ならず。同年10月、後の東洋太平洋同級王者・今岡武雄(斎田)に判定で敗れた一戦を最後に引退する。
だが、池田はそこではまだピリオドを打てなかった。その後、紆余曲折を経て、約5年ぶりにタイのリングでカムバック。タカオ・チュワタナのリングネームで試合を重ね、タイの国内ランキングでも1位にランクされることになる。そして2001年6月には、現在のWBA世界スーパー・バンタム級王者であるソムサック・シスチャチャワン(タイ)と、空位のPABAスーパー・バンタム級暫定王座を賭けて拳を交え、7ラウンドKO負け。これが、正真正銘のラストファイトとなった。タイトルこそ縁がなかったものの、様々あったであろう困難な状況や環境を乗り越え、それらを含めた自身のボクシング人生を、最善を尽くして全うし、燃焼し尽くしたボクサーだった。
挨拶を交わすと、池田が私の隣に座る。互いに何かを話そうとするが、なかなか言葉が出てこない。最初に、精彩を欠いた横尾の動きに話が向かったが、それも長くは続かなかった。何から話すべきか、私が言葉を探していると、池田がポツリとつぶやいた。
「もう少し、やらせてやりたかったですよね」
すると、その言葉に勢いを得たかのように、持っていたクシャクシャのパンフレットを開き、堰を切ったように池田が語り始めた。
「レフェリーのストップのタイミングは問題なかった。あそこで止められても仕方ない。でも横尾には悔いが残らないように、倒れるまでとことんやらせたかったですね。これを見てください。ここに『必死にやります!』と書いてある。“必死”というのは死んでもいいってことですよね。これをレフェリーに見せたかったですね」
パンフレットに載せられていた横尾のコメントは、後に聞いたところ、横尾本人のものではなかった。最終的には金子ジムのスタッフに任せた結果の、『必死にやります!』だったのだという。もちろん、“必死”という言葉が、スマートなボクシングスタイルを身上としていた横尾に似つかわしくないことを、池田もよくわかっている。池田の言葉は、死んでもいいというほどの覚悟を持って、最後はとことんまで闘って欲しい、闘わせてやりたかったという、池田自身の願いの裏返しなのかもしれなかった。
今日は、横尾真樹の最後を見届けにきたのです、と私は池田に告げた。私の思いも池田と同じだった。中途半端な形では、決して終わりにはできないに違いない。
「でも、これが横尾らしい終わり方なんですかね。倒されるまでやるのは、横尾にはやっぱり似合わないんですかね」
と池田が言う。「横尾らしい結末」。確かに、そうとも言えなくはない。しかし、あのような終わり方で最後にできるのだろうか。なぜ、カムバックしたのか。今日のリング上で、その答えが見つけられたとは、どうしても思えなかった。池田が口にした言葉が重たく私の胸に響いてきた。
「横尾は、この先も悔いを抱えたまま、一生ボクシングを想い続けながら、生きていかなければならないんでしょうかね……」

経堂にある横尾が経営するバーを訪ねたのは、試合からちょうど2週間が経った日の夜だった。私を迎えた横尾の様子に、以前と特に変わったところは感じられなかった。注文したバドワイザーを出すと、横尾は私が試合を観に来たことに対して礼を言い、私が問う前にこう続けた。
「これで最後にします。もう、やめますよ」
気負った風でもなく、淡々とした物言いに、試合後から今日までの間に特に気持ちが揺らいだという様子は、感じられなかった。
あのタイミングでレフェリーにストップされたことに対しては、特に不満とも感じなかったこと。それでもあの瞬間、試合を観ている人たちからすれば、まだ早過ぎるのではないかと思い、それが不満気な表情に見えたのかもしれないということ。試合が始まり、相手のいかにもラフな動きを見た瞬間、「また、こんな相手なのか」と失望し、やる気が失せてしまったこと。だから、ダウンしたときにも、特に湧き上がってくるものはなかったことなどを、横尾は淡々と話し続けた。
しかし、それではやはり、納得して終われたということではないのではないのか……。
「試合後、観に来てくれた人たちの俺に対する反応が、すごいネガティブでびっくりしたんですよね。なんかこう可哀想みたいに思われているというか(笑)。どう俺と接していいかわからないみたいな感じで。でも」
笑いながら、横尾はこう続けた。
「俺の中では、満足感はあったんですけどね」
(文中敬称略)
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