サンタさんにバッティング注意


休憩「国体レポ」
 毎年恒例だった中央大学理工学部の「女装大会」。しかし今年、ゲイバーからのクレームにより、「メイクアップコンテスト」に改名されることになった。こっちにも伝統があるのに、やけに被害妄想だなと思ったが、よくよく考えてみれば、自分は今までここで、それと似たようなことを主張して来ている。そうか、どっちもどっちだったんですね。ゲイの皆さん、お互い、粘ってみましょう。時には嫌われ役も務めて、うまく世論を中和させていきましょう。でも今月は休憩です。国体のレポを書き殴ります。

 考 察 


彩の国まごころ国体開催(期間10月23日〜28日)



『場内騒然!!ライト級決勝の大波乱』

 国体の特色を、一言で表現すればお祭りである。少年と成年の唯一の合同開催、そして皇室まで顔を出すこの会場の賑わいぶりは、アマチュアボクシングの大会では群を抜いたものである。そして、「予選を勝ち抜けば必ず出られるというわけではない」という多少シニカルな意味でも、国体には、この言葉がふさわしい気がする。
 例えばライトフライ級。去年までは、アテネ五輪出場者の五十嵐俊幸、2年連続準優勝中の木村悠、プロ転向を表明した八重樫東、階級を一つ上げた瀬戸口利秋らが、上位の顔ぶれだった(去年の八重樫君は一回戦負けだったけどね)。しかし、彼らはそれぞれの事情で、トーナメント表に名前を見せていない。ちなみに昨年の少年の部でも、村田諒太(現・東洋大)がいよいよ大手をかけていた高校3冠の2連覇が、今回の木村と同じ理由で阻止されている。お祭り、と片付けたいところだが、記録がかかると歯がゆさも感じるものである。

 さて、今回の「まごころ国体」は筆者の地元でもある埼玉県で開催された。
 一番の目玉選手は、同じく埼玉出身であるライト級の内山高志である。タイのキングスカップでは、アトランタ五輪金メダリストを追い詰めて銅メダル。その後の世界選手権でも、ベスト16まで生き残っ実績は、最近では日本最高である。同期のトップ選手のほとんどは、アテネ五輪を区切りに引退したものの、内山はこの地元開催のために敢えて残った。

 勝って当たり前の試合を、当たり前に勝つ。これは本当に難しいものだ。しかし今回の内山からは、さすがにこの優勝など、本当に容易に感じられた。したがって、いくら内山の調整が即席だったとは言え、まさか優勝を逃すと思った者など、ほとんどいなかっただろう。少なくとも筆者の周りでは、満場一致で彼の有終の美が予測されていた。
 内山は、準決勝までを秒殺で終わらせていく。周りもそれに驚くことなく満足する。
 逆に、当たり前のはずの優勝が、フェザー級の松尾亮にとっては、しごく難しそうに感じられた。
 減量苦の松尾は、観客が後にした会場付近を、その日の試合を終える度に、翌日の計量に向けて黙々と走り続けていた。「何故そこまで苦しんでも階級を上げないのか?」の質問に、彼は「階級を上げて、減量苦を味わわないとボクシングをやる意味が感じられない」と答えている。自分を苦しめたのちに果たした優勝の際には、嬉しさが放出されて高らかに両拳を上げた。

 フェザー級の決勝が終わった隣のリングへ松尾も向かう。ライト級の内山に細野悟が挑む決勝戦が始まるのだ。
 この細野も並外れた強打を生かし、アマチュアらしかぬ連続KOで勝ち上がってきた選手だが、この決勝を控えると、この本人すら、「まず勝ち目はない」と本心のままで予想した。

 しかし彼の拳で、それは覆されるのである。
 1ラウンド、「いつ内山が倒すか」と目を見張る時間がこれまでになく長引く。細野はかろうじて痛恨の一撃を免れ続けた。そして試合が丁度折り返しを迎えそうな、2ラウンドの中盤から、失速した内山を、細野の右フックが高い確率で捕らえ始める。
 互いにスタミナを極限に使いながらも強烈なパンチの打ち合いが続く。分がいいのは、内山ではなく明確にロングフックを被せる細野だった。そして細野が追い込んだまま、最終ラウンドのゴングが鳴る。
 今大会は、関係者が口を揃えて驚くほにフェアな採点が続いていた。とは言え、さすがにこの試合は内山に優位な採点がつけられている可能性は高く、となれば、細野は際どく追い上げきれずと思っていたが、僅か1ポイント、細野が内山の得点を上回り、会場はそれを称える大歓声に包み込まれた。
 細野には大きな時の運も味方したのは間違いないだろう。誰よりそれを主張するのが、本人である。
「内山さんには、このまま勝ち逃げしたいですね」
 控え室で彼は、大金星の味をかみ締めた顔でそう言った。もちろん、「時の運」などそうたやすく呼び込めるものではにない。細野自身がリング上で見せた仕事も目を実に見張るものだった。
 今年のリーグ戦では痛烈なダウンシーンを見せ、「少し倒れやすくなっている」との見方が強まっていた。しかしこの勝利のおかげでで、株は再び急上昇を示しそうだ。

個人的追記:筆者と同い年の信本巌(広島)。教員として指導をする立場ながら、彼の言葉でいう「今までの貯金」で、後に今年の全日本王者となる高下優作らを破って準優勝!ノブ君、おめでとう。そしてお疲れ様。

【成年の部成績結果】
▽ライトフライ級
優勝 鈴木謙司(茨城・日体大)
準優勝 大賀寛倫(岡山・岡山市体協)
▽フライ級
優勝 本田裕人(日大)
準優勝 白浜政信(京都・日大)
▽バンタム級
優勝 清水聡(岡山・駒大)
準優勝 信本巌(広島・崇徳高教)
▽フェザー級
優勝 松尾亮(東京・法大)
準優勝 竹中良(明大)
▽ライト級
優勝 細野悟(福島・法大)
準優勝 内山高志(埼玉・青和観光)
▽ライトウエルター級
優勝 亀海喜寛(北海道・帝京大)
準優勝 岡田誠一(神奈川・東農大)
▽ウェルター級
優勝 平野義幸(新潟・東農大)
準優勝 西岡直哉(北海道・セノン北海道)
▽ミドル級
優勝 菊池真也(埼玉・自衛隊)
準優勝 阿部満(岩手・法大)

【少年の部成績結果】
▽ライトフライ級
優勝 大久保賢児(高知・高知小津高)
準優勝 山口靖(山形・酒田南高)
▽フライ級
優勝 高慶慶史(九州学院高)
準優勝 舩津和宏(佐賀・鳥栖商高)
▽バンタム級
優勝 上林巨人(広島・広陵高)
準優勝 吉村浩和(菊池高)
▽フェザー級
優勝 仲村正男(大阪・興国高)
準優勝 谷川源(熊本農高)
▽ライト級
優勝 岩崎悟史(宮城・仙台育英高)
準優勝 鈴木康弘(北海道・北海学園札幌高)
▽ライトウエルター級決勝
優勝 関根裕典(埼玉・秀明英光高)
準優勝 見原恭徳(新潟・新潟向陽高)
▽ウェルター級
優勝 木下卓哉(京都・莵道高)
準優勝 曲渕大輔(佐賀・唐津西高)



++ ピックアップ ++

平田 直己 (ひらた なおき・日大)
・インターハイ&国体ライトウェルター級優勝
(高校3年)
・国体&全日本選手権ウェルター級優勝
(大学1,2,3,4年)
・他、国際大会でも入賞経験あり。
1982年1月27日、山口県熊毛郡生まれ。

ボクシングに青春をかけた元スーパーホープ

 「そう言えば」

 「”そう言えばアイツいないね”くらいがいいけえ」
 こんな理由で引退を口止めされた。決して、「そう言えば」で片付くレベルの選手だったはずがないだろう。強くそう感じたが、自身は本気でそれを望んでいた。
 国体ではその予告通り、ウェルター級のトーナメント表にその名を見せなかった。だが、周囲の反応は本人の思惑とはやはり違う。彼の不在は多くファンからため息を誘った。これまで、アマチュアボクシング界屈指のスーパーホープとして、観客を沸かせ続けて来た。その選手がこれといった告知もなく、姿を消したのだから当然である。
 「県からは出場を勧められたんじゃけどね。でもアテネが過ぎた今になったら、さすがにモチベーションもないけえ。大学2年の頃までは、将来はプロにも行く気じゃったけど、…燃え尽きた! またやりたくなるとしても、それは一瞬のもんかも知れんし、昔のところまでは気持ちを持っていけないじゃろ」
 勇ましい口調の広島弁で、既に未練はないと言いきった。しかし、最後にはこうも付け加える。
「でもボクシングほど熱いもんはないよ!」
 不幸中の幸いと思うのは主観的だろうか。たとえ、モチベーションがなくなろうとも、ボクシングが好きであることまでは変わらないことに少し安心した。
 アテネ五輪は、3度の予選全てに出場したが惜しくも敗退。夢がついえた平田は、今回の国体を前に、静かにグローブを置いていた。悩ませる筋肉痛も、筋トレではなく、後輩のミット打ち指導から生じている。


 今も変わらぬ男前

 ルックスも生き様も文句のない男前である。実にフレッシュ。しかも、それは、性格面にまで及ぶのだ。青春ドラマのヒーローのような性格が、ここまで似合うと少し憎い。
 ややガニ股の足で、胸を張って豪快に歩き、時々ふとステップを踏む癖もまたサマになる。
「今はブクブク太ってるけえ、写真は昔ので勘弁してよ(笑)」
 現在の写真は、そう言って公開NGにされてしまったが、凛々しさは昔のままだ。鋭く鍛え抜かれた肉体は、太ったというよりは、むしろ少し細くなったのではと感じた。


 「ボクシング部のある高校に行く」

 日本では負けることを知らなかった平田だが、世界の壁には屈し続けた。
 「おかげさまで何度も海外の試合に出させてもらったけど、世界の選手は巧かった。基本は全然日本人の方が出来とると思ったんじゃけどね。懐がとにかく深いと思って力むと、なかなかパンチが当てられん」

 幼少期に父親からサンドバッグをプレゼントされ、すぐさまボクシングの虜になった。
 そして「ボクシング部のある高校に行く」と志し、広島県の名門、広陵高校へ進学した。3年生の時には、ライトウェルター級でインターハイ、国体を制覇する。一つ目の選抜大会は落としたが、すでに平田の評判は、3冠制覇以上のものになっていた。

 特に変わったことはしない。指導に忠実、あれほど正直にも関わらず、あれほど郡を抜いて強い選手も珍しいだろう。その完成度はズバ抜け、類稀なパンチ力も存分に通ってくる。目の前に現れる相手は、数発のクリーンヒットで次から次へと沈んでいった。
 大学1年から4年まで、国体、全日本選手権、共に全て制覇。国内ではインターハイ以降、一度も負けを見ないまま引退し、今日に到る。

 プロ関係者からへも評判がすぐに広まった。今回はそれも伝えてみたが、本人の感想は「ボクシングが好き人たちじゃね」である。
「俺のことを知っとる人なんて、プロにもおるんじゃね」
 大して関心もなさそうだ。

 平田が青春を振り返れば、ボクシングばかりが幅を利かせていることに改めて気づかされる。高校進学以来、寮から学校、授業が終わったら部活、部活が終わったら寮に戻る生活で、結局、遊びという遊びをほとんど知らなかったと言う。
 そんな男が今になると、今後についてこう口にする。
「ボクシングばかりやっとったけえ、自分からボクシングを取ったら、どれだけの価値があるのか試したいんよ」
 彼が言うと、こんなありきたりたストイックなセリフも格好の付き方が変わる。


「三分間の感覚」

 ボクシング漬けだった平田には、有名な「3分間の感覚」も身についた。
 ボクサーは3分間という一区切りを、経験を重ねるに連れ、体に染みこませていく。熟練すれば数えなくとも3分間を正確に把握できる。いつの間にか、こんな定説が広がった。しかし実際は、大雑把には守れるボクサーもいるものの、それなりにずれるのが当たり前である。しかし、彼の正確さを並外れていた。
 ある日、ふとしたきっかけで、この実験が始まった。
 タイムキーパーは筆者が担当し、時計片手にスタートをかける。しかし平田は、このゲームを放棄したかのように楽しそうに会話を始めた。
「最近の大学生活は…」
「この前遊びに行った○×は…」
頭の中で、「1、2、…」と数えている様子は全くない。
 しかし、秒針が一周半の地点を通った瞬間だった。
「今、半分じゃろ?」
 彼がこっちを向いて聞いた。そして、また周りとの会話に戻る。まるで手品だ。
 やがて3分が近づいて来ると、平田から先にこう言ってくる。
「あ、ピッタリで言ってみせるけえ、ちょっと待っとって。………ハイ、今!」
 惜しくも3秒ズレた。一緒にいた高校時代の同級生、元木智之(ミドル級・中大)が、その2分後に「今!」と叫んだのは、ある意味凄かったが、平田の悔しがり方はもっと凄かった。
「頼むからもう一回だけやらせてよ!現役時代なら、絶対に狂わんよ。今でもシャドーしとればいける」


 そんな平田直己も今やOBの”平田さん”である。
「監督とコーチには本当にお世話になったけえ、まずは来年のリーグ戦で日大を優勝させて恩返ししたいね」
 しばらくは後輩たちの育成に励むという。
 青春をボクシングにかけてきた一時代のスター、平田直己の視点は、やはりもう選手側には置かれていない。しかし、まだ22歳なのである。素直に「お疲れ様」の気持ちにはなりにくいのは、彼が思っているより多いはずだ。



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