わたしの・すきな・ふうけい in L.A.

Text Photo By 宮田 有理子





カルロス・エルナンデスが12月の再起戦に向けて練習を再開している、という話を耳にしたのは、11月に入ったころだった。7月31日にWBCスーパー・フェザー級王者エリック・モラレスとの統一戦に敗れ、IBF王座を失った「エルサルバドル初の世界王者」は、ルディ・エルナンデス・トレーナーと新コンビを組み、アウトボクサーにコンバートしようとスパーに明け暮れているというのである。
 モラレスとの統一戦、彼のキャリアで最大のビッグマッチだったと思われるこの試合は、お話にならないくらいワンサイドの判定負けだった。打たれても倒れず、不器用に、愚直に前へ出て力いっぱいパンチを振るうさまはクールなモラレスとあまりに対照的だったし、おまけにスポーツニュースでちらりと流れた記者会見では号泣しているし、どうにも気になる人で、いつか話を聞いてみたいと思っていた。が、あのフルラウンドで燃え尽きていても、むしろ当然かもしれないと思ってもいた。すでに故国ではスポーツ・ヒーローとして尊敬を集めるベテランを、再びリングへ向かわせるモチベーションとは、何なのだろう…。
 LAジムをのぞいてみると、カルロスはトレーニングの真っ最中で、すこし殺気立って見えた。ルディとのコンビは試合前たったの4週間。いくらこのトレーナーがボクサー・タイプを育てるのが得意であっても、根っからのファイター・タイプの33歳が、テクニックを体得するには時間が少なすぎる。ファニーな髪型や言動で人気の元世界王者ホルヘ・パエス39歳、現役世界王者アルセの弟パンチト・アルセ、プロデビュー前の17歳ブライアンら3人とひたすら実線練習に取り組んでいたが、理性と本能の間でボクシングがこんがらがっている感じがした。

 その様子をじっと見ていたベロニカ夫人が、1歳になったばかりのクリスチャン君を片腕で抱えてリングに近づき、ルディと何か話始めた。女優顔負けのこの超美人妻は、モラレス戦の時、華奢な体に白いドレスをまとって堂々とリングに上がり、試合後の記者会見の時は涙を流す夫を横で支えていた。 そんな彼女に思い切って聞いてみる。

 トレーナーに、何を聞いていたんですか?
「パンチをもらうのが気になって、フラストレーションがたまったものだから、どうしてそうなるのか、聞いてみたんです。そしたら、今はいろいろ試しているところだから問題ない、ということでした」
 スタイルを変えるのに不安を感じているのですか?
「スタイルを変える、というのではないんです。ルディに教わることによって、彼は戦い方のチョイス(選択肢)を増やしているんです」
 再起に関して、まったく賛成ですか?
「はい。モラレス戦は、負けたけれどいい試合をしたというのが周囲の反応だったし、私も彼はまだまだできると考えています。自制心があるし、体も心も強い。6万人の小さな祖国で世界戦をしたいという夢もあります。エルサルバドルの人たちにとって彼はヒーローだし、彼も支えられているのです」
 あなたが試合のリングに上がることに、抵抗はありませんか?
「ボクサーの妻がリングに上がってる、と人は見るのでしょうが、私はカルロス・エルナンデスのマネージャーであって、あくまでチームの一員としてあの場所にいるということですよ」
 練習を見ているのも、マネージャーとしての務めなのですか?
「マネージャーは、彼が望んでいるものや事柄を、何でも知っておくべきだと思うのです。子供を産む前は毎日一緒にジムに来ていましたが、今は毎日はムリなんですけどね。でも毎日来ないと夫がさみしがるんです(笑)」
 世界チャンピオンになってから、何か変わりましたか?
「何ひとつ、変わりません。威張りもしないし、ボクサーとしての練習や生活態度も、まったく変わりません」
 普段はどんなご主人なんですか?
「とーってもとっても、頑固者です(笑)。だからボクシングでも、世界チャンピオンになれたんだと思います。3度目の挑戦で目標を達成するまで、彼は絶対あきらめなかったから。家でも、頑固。私も頑固なので、毎日二人でファイトしてます(笑)。たとえば、ある食べ物を、私は“食べなさい”と言い、彼は“食べない”と言う。でも結局、彼は絶対自分の意思を曲げません」

 そんな話をしていると、当の“頑固者”が練習を終え、「インタビュー、OKだよ」と、柔和な笑みを浮かべてやってきた。疲れているはずなのにいやな顔ひとつしない元チャンピオンに、こちらが逆に申し訳ない気持ちになった。

 モラレス戦の後、ボクシングをやめようという気持ちは起きませんでしたか?
「負けたのは残念だったけど、勝とうと思って戦い続けたし、やめるつもりはなかったよ。トシだけど、衰えているとは思わない。ヘナロ・エルナンデス、フロイド・メイウェザー、デビッド・サントスやスティーブ・フォーブス、そして今回モラレスと戦って、強い相手とやることで自分はどんどんボクサーとして成長していると思っているんだ」
 モラレス戦の最終ラウンドが始まる前にハグをしたのは、自然に出た行動だったのですか?
「ああ、見てたの?よく覚えてるね。いつもするわけじゃないけど、あの時は相手に敬意を表したくて、ああしたんだ」
 3度目の正直で世界チャンピオンになって、何か変わりましたか?
「自信がついたね。モラレスにだって勝てると思ってた。自信、あったんだよ。勝てなかったけど、強くなってるのは確実だと思うな」
 自分のボクシング、何か足りないと感じていますか?
「モラレス戦は、まっすぐ前に行くことしかできなくて、作戦が立てれなかったと思う。ストレートパンチがなかなか打てないんだ」
 まだ改善の余地があるということ?
「ルディが教えてくれることが、新鮮だよ。もちろん、ハードトレーニングで体も鍛えているし。まだボクは若いよ」
 再起後の目標は何ですか?
「もちろん、もう一度世界チャンピオンになるため。家族や自分の国のために、どうしてももう一度、世界チャンピオンになりたいんだ」
 ご家族は、どういう存在ですか?
「妻はボクのFoundation(土台、根拠)。息子は神様。ボクの最終ゴールは、家族と一緒に、幸せに暮らすこと…」

 自分を信じている限り、信じられる限り、ボクサーはボクシングをやめようなどとは考えもしない。世界チャンピオンになって、故国に栄光をもたらして、もう十分頑張ったじゃないか、引退してもいいんじゃないかと考えるのは、外にいる人間だけなのだろう。
 
 しかし……。彼の行く道は、以前に増して険しいのかもしれない。
 12月11日、ファン・カルロス・ラミレスとの10回戦に判定勝ちを収め、カルロス・エルナンデスは再起した。初回は大人しく距離をとり、2回終了直前にバッティングで右まぶたを切ってからは激しい流血の中、いつもの猛ファイターに戻っていた。4回、6回と相手をグロッギーに落としいれ、8回にはダウンも奪ったが、集計されたスコアは2−1だった。ジャブが少なかった。視界難とホールディングに苦しみ、ラミレスの細かいパンチをいくつも浴びていた。厳しい再起戦だった、と言わざるを得ない。夫人は2月に次戦を予定していると話していたが、それも傷の具合で変わってくるだろう。 46戦目の再出発。タフで勇敢な元チャンピオンは、同い年の私を少し感傷的な気分にさせた。そして、泣いたり笑ったり、いつもは豊かな表情で感情を表に出すのに、この日、判定を聞く瞬間のカルロスの顔は、色がないように見えた。ビッグマッチでの敗北よりも今日の辛勝の方が、1月で34歳になるボクサーにはずっと、現実感があったのではないだろうか。






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