丸山幸一のインサイドブロー

ある女性拳闘家 13


 K病院はよく整備された広大な庭を持つ精神病棟だった。その庭で私がCの主治医の面会を許可されたのは、彼女の母親の元を尋ねた1カ月ほど経った時だった。「病院の方で娘との面会を許可してくれないだろう」という母親の判断とは別に、私とぜひ会いたい、と言ってきたのは主治医の矢嶋医師だった。こうして私はCの母親と連れ立ち、K病院を訪れたのである。

 改めて、自己紹介をした私に矢嶋医師は「Cさんからよくあなたのことを聞いていました」と笑顔を返してきた。彼はまだ30代半ばと思われる表情豊かな青年だった。「Cさんが私のことを何と言っていたのか、不安を覚えます」。身構える姿勢で応じた私に医師は屈託なく言った。「まあ、私に話したあなたのことは、そのまま受け止められることばかりではありませんから。むしろ、彼女の話を何かのサインと解釈するケースの方が多いんです。だから・・」。そこで言葉を切ると、医師はおもむろに「時間は、ございますか?」と私に向き直った。
 矢嶋医師は待合室の長椅子に硬い表情で腰を下ろしている母親に「もう少し丸山さんにお聞きたいことがありますから」と言い置くと「庭に出ましょう」と私を誘った。芽を吹き始めた桜の木の下のベンチに座った医師は思いがけない話を始めた。
「私はCさんの今の病状についてお話することは出来ませんが・・」と前置きしながら医師が語ったのは、Cの母親の信仰についてだった。
 「自分の肉欲を律した生き方以外にキリスト者としての道はない」と母親は私に、以前、強い口調で語った。彼女が指した肉欲とは性的な対象だけではなかった。テレビに興じたり、エンターテイメントの小説を読みふけることもその肉欲の対象なのだった。極論すれば、肉欲を律した生き方とは、2000年前のイエス・キリストが弟子を連れて教えを垂れながら乞食同然に彷徨った生き方である。
 キリスト教に疎い私には、母親のそうした言葉に沈黙するしかなかったが、当然ながら母親は矢嶋医師にも、同じ内容を力説していたのである。
 「私の出身は長崎でしてね。実は代々、カトリックを信仰してきた家系なんです。いわば隠れキリシタンの家系です」。医師は小さくそう言うと「でも、私の信仰なんてCさんのお母様から見ると、異端に映るのでしょうね」と声に出して笑った。「物心ついた時から教会は馴染み深い場所で幼くして洗礼を受けさせられましたが、高校に上がってからの私は学校をさぼって、3本立ての映画を観てるような子供でしたから。・・Cさんのお母様のように、物質文明に取り込まれない精神生活を確保しようとしいている人、というより彼らがより所としている宗派は世界には数多く存在するんです。そういう宗派には、近代医療など、文字通り異端になる。輸血も自然の摂理に反した悪魔の仕業ということにもなる」。自分の饒舌に気づいた医師は、苦笑しながら結論を急いだ。「Cさんが精神の健康を取り戻すためには、何よりも周囲の協力が絶対に必要なんです」。私は、矢嶋医師の言葉に困惑した。その”周囲”が明らかに私を指していると思われたからである。

 私は医師からの連絡に応じることを約束するとCの母親を残して病院を去った。

 私が矢嶋医師と2度目に会ったのは、2週間後だった。私はその前夜、夢にうなされた。夢の中の私の前に、襤褸に身を纏った男が立っていた。「あなたはイエス・キリストですか?」。私のその問いに、男は静かに答えた。「私の顔は仮面に過ぎない。この仮面を剥げば、私が誰であるか、お前に分かるだろう」。私は男に襲いかかり、仮面を無理矢理剥いだ。新しい顔がむき出しにされた。その顔は、・・私の顔だった。

 私の家から病院までは約4キロの距離に過ぎなかった。その距離を私は歩いた。歩きながら、これまでのことを、前夜の夢も含めて、小一時間の時間の中で咀嚼して見たかった。
 Cの母親によれば、Cの精神がにわかに変調をきたしたのは、流産した直後だった。Cは退院した翌日、母親の目を盗んで外出すると、彼女が子供の頃から親しんでいたカトリックの教会を訪れた。「あの子が神父様に付き添われて、戻ってきたのは、2時間ほど経ってからでした。あの子は神父様にこう言ったのだそうです。”私は大天使ガブリエルから精霊を受けて子を宿しました。でも、その子は私の体内から、抜け出ていってしまったのです”。そう言って、自分のスカートをたくし上げ、流産したお腹を見せたのだそうです」。大天使ガブリエルとは母親の説明によれば、聖母マリアだけではなくバブテスマのヨハネの母にも君臨して、受胎を告げた天使なのだという。
 「驚いた神父様は、真剣に”受胎を告知されたのはいつのことか”と娘に尋ねたそうです」。それから1時間ほど神父とCとの間でやり取りがあった。あくまで聖母マリアに受胎告知した大天使ガブリエルに、自分も告知をされた、と言い張るCに、神父は彼女の精神の明かな錯乱を悟った。こうした経緯の後、Cは千葉県1市の精神病棟に送られてきたのである。
 この話を聞いた時、私が感じたのは精神病棟に入ることを受け入れたCの絶望よりも、彼女の悪意に満ちたユーモアだった。そうであるならば、彼女の精神が錯乱状態に陥っているはずがなかった。私は昨日見た夢のことを考えた。聖母マリアに受胎を告知した大天使によって、子を身籠もったという痛烈なブラックユーモアは、キリストを自称する男の仮面を剥がした後に、私の顔が現れた、昨夜のたわいのない、しかし不気味この上ない夢とどこか共通するものがあった。が、私は頭を振って、その思いを振り払った。既に病院の敷地内だった。

 その日、私が通されたのは矢嶋医師の診察室だった。彼は長い時間をかけてCと私との数年に渡る話を執拗に尋ねた。しばらく時間が経過した後、医師はおもむろに口を開いた。「この前もお話した通り、私の判断を今、あなたにお教えすることは出来ません。実際、私と他の医師の間でも、判断が異なることは、決して希ではないのです」
  彼が私に要求したことを率直に解釈すれば、情報の開示だった。そして私は出来る限り、矢嶋医師の要求に忠実に応えたつもりだった。
 医師が口に出来ない彼女の病名は何なのか。神父は明らかに、Cという人格は引き裂かれてしまっているに違いない、と解釈したはずである。が、私はCの人格が明確な分裂を起こしているとは到底思えなかった。
 確かにCの虚言癖や、ある種の行為は常軌を逸していた。ただ彼女がロスで起こした自殺未遂は、それまで彼女に抱いていた私の判断を覆していた。またDが語った話を総合すれば、彼女の内面には自分に対する嫌悪の感情が歴然と残っていた。彼女が自殺を企てたのはDに「自分は自己中心で本当に駄目な人間なんです」と訴えた直後だった。私が出会ったのはその後の彼女だったが、私を困惑させたCは、ある種の人格障害の兆候こそ感じられたものの、決して分裂した自己を持つ女ではなかった。
 ・・彼女の中には明らかに自分を懐疑する心が残っていた。ただ、彼女は自分を突き上げる突発的な感情を制御出来なかったのだ。その果てに、また深い嫌悪に陥る。同時に、無軌道な行為を正当化してしまいたいC自身も心の奥底に存在していたに違いない。彼女に、罠を仕掛けられた自分を私は何度も感じていた。けれども私以上にC自身が、自分の仕掛けた罠の中で藻掻き苦しんでいたのである。

 「Cさんがここに来てから2カ月ほどになりますが、トレーニング・ルームでは、いつも3,4人の弟子にボクシングを教えているんです。”それは何という練習なの”と尋ねると”シャドウボクシングです。先生、ボクシングのこと知らないのね”と笑われました。・・とにかく表向きは元気です。仲間も沢山いますしね」。矢嶋医師の言葉に私は力を得た。「じゃあ、退院は近いんですか」と尋ねた私に「・・」沈黙で答えた医師の明るい表情が、印象的だった。
 「結局、Cさんは私に何を求めたんでしょう」。医師の明るい表情に意を強くした私は聞いた。「・・」。医師から返ってきたのは、再び沈黙だった。

(以下次号)


 


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