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2003年6月4日。ランディ・マングバットが、WBC世界フライ級タイトルに挑戦する前日である。タイのソンクラー県にあるハジャイという田舎街に辿り着いた僕を、2人の日本人が迎えてくれた。
「いやあ、こんな世界の果てまで本当に来たんだぁ」
苦笑いを浮かべながらそう言ったのは上間伸弘さん。元バンタム級の日本ランカーで、バンコクでPABAタイトルに挑戦した実績も持つ強者である。
上間さんは、3年前にフィリピンでの武者修行中にマングバットに出逢い、魅せられる。その後、自らは既に現役を退いたものの、今回、ランディの最後の挑戦を支えるため、日本からタイまで仕事を休んで飛んで来たのだ。
「俺たちはみんなジャパニーズだ。でも俺はフィリピンから、彼は日本から、そしてたった今到着した彼はニューヨークから来たんだよ」
村山幸親さんが嬉しそうにホテルのロビーで係員に説明している。
僕たちが出会うきっかけを作ってくれた村山さんは、元々はフィリピン在住の報道カメラマンだった。だが、経営難で存続が危ぶまれたジムのマネージャーを買って出て、そして噛ませ犬として燻っていたマングバットを再生させる。苦楽を共にして来た村山さんとマングバットとの絆は、今や絶大である。
「ユキさん(村山さんの愛称)がいなかったら僕はここまで来れなかった。ユキさんがマネージャーじゃなくなったら、ボクシングはすぐに止めるよ」
ランディはよくそんな事を語っていた。熱血漢・村山さんの情熱は、消えかけていたランディのボクシングへの想いに再び火をつけることになった。そして彼らの熱さは、周囲にいた僕や上間さんにまで飛び火することになったのだ。
遠い東南アジアの田舎町に、3人のジャパニーズが集まった。それぞれが、それぞれの形でランディ・マングバットに夢を託した3人である。
僕が現地に辿り着いたのは、決戦前夜、それも夜10時近い。海外での移動には殆どギリギリの時間帯だった。NYから日本に飛び、数日後にバンコク、更に国内線を使ってハジャイへ、という強行軍である。
だが、ホテルのロビーで幸福そうな2人の懐かしい顔を眺めていたら、旅の疲れなど即座に吹き飛んでしまった。
間もなく世界戦は始まる。ランディを巡る人々の旅が、結末を迎える。
何か特別なものを目撃出来る。そんな予感を瞬間的に感じ、早くも身体が小さく震えた。
「ランディは・・・・・・本当に凄いよね。凄い奴だよ」
上間伸弘さんは、1度そんなことをしみじみと語ったことがある。
パナマ、日本、フィリピンと渡り歩き、上間さんは足掛け9年に渡るボクサー生活を送った。強い奴など、本当に飽きる程見て来た。しかし、スパーで手合わせをして「ぶっ壊される」と恐怖を感じたのは、マングバットが最初で最後だったのだという。そして、彼に最後に引退を決意させたのも、ランディ・マングバットの言葉だったのだという。
「家族もいるし、仕事だってある。なのに、なぜ上間さんはボクシングを続けるの?もう引退した方が良いよ・・・・・・」
激しいダメージを受けて試合を終え、病院のベッドの横たわっていた上間さんを見て、ランディはそう言った。その時、もうボクシングは充分だと思った。
その魅力に取り憑かれたものにとって、ボクシング・キャリアを諦める事は容易な決断ではない。しかし、マングバットのような真の意味で世界レベルの才能を目の当たりにしたことが、或いは上間さんの決心を少しはスムーズなものにしたのかもしれない。頂点を極めるものは・・・・・・他にいる。
僕にとっても、フィリピンのボクサーたちとの出逢いは、事件とも言える衝撃的なものだった。だが僕の場合は、彼らのボクサーとしての能力だけに魅せられたのではない。
アメリカのような国で暮らしていると、エキサイティングだが、酷く悲しくなるような経験を頻繁に味合う。生き馬の目を抜くような街。相手の好意を利用して生きる人々。すべてがそうだとは言わないが、NYでの生活はいわば騙し合いのようなものである。
そんなアメリカでの生活に少々疲れを感じた頃に、僕はフィリピンに飛んだ。そしてそこで、これまで見た事もないような澄んだ目に巡り会う。彼らは、日本でもアメリカでも決して見る事の出来ない笑顔を浮かべていた。
私財を投げ打ってまで、フィリピン・ボクサーたちのサポートを決意した村山幸親さんの気持ちが、僕には簡単に理解出来てしまう。ランディ・マングバットに混じり気のない笑顔で「サンキュー」と言われると、僕はそれだけでほとんど落涙しそうになるのだ。
「試合で日本に行ったとき?綺麗なホテルに泊まれて嬉しかったよ。でも、豪華なベッドだったんだけど、暑過ぎてまるで寝れなかった。結局、フィリピンの合宿所でと同じように、床に一枚のタオルを敷いて眠ったなぁ・・・・・・」
こんな選手にこそ、是非ともチャンピオンになって欲しい。彼に1度でも触れた者で、同じように感じない人間なんて存在するのだろうか?
タイで迎えた初めての夜。世界戦直前の夜。
2人の同志と共に語り合いながら、僕は数奇な運命について考えさせられることになった。僕も彼らも日本人だが、母国では一度も逢った事が無い。何かに導かれるように僕たちはフィリピンで出逢い、タイで再会する事になった。
そしてそのきっかけとなったボクサーが、翌日、2年前にはまだ夢のようだった「世界」に挑むのである。
(続く)
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