「アマの試合って、見ていてつまらんでしょ?」
専門誌の記者に歩み寄って、いきなりこんなことを言うのがこの正山だ。そして、進んで面白い試合を試みる男でもある。獰猛かつクールな眼で相手を見据えると、会場にただならぬ緊張感を呼び込んでみせるのだ。
確かに、既にアマスタイルとして高い完成度を持っているはずだ。ならば何故、プロでの活躍も期待したいと思うのか。それは、並外れた気が強さと、柔軟で優れた心身を兼ね備えているからだ。これが、高次元で融合した結果、プロへの大きな適応力となるのではないか。さらに天性のタイミングという最大の武器、そして、抜群のカリスマ性も加わるである。
プロ転向の発表は歌舞伎町の奥地で行われた。
大学の後輩達を呼んだ久々の飲み会。一向は、彼の幼馴染みが運営するホストクラブへ向かった。
部員とホストは次第に打ち解け、やがて賑やかさな空間が出来る。その盛り上がりを一旦止め、立ち上がった正山は発表した。
「すいません、ちょっと聞いて欲しいんですが」
周りの視線が集まる。
「自分はプロに行くことにしました!」
まず驚きの「え!?」の声である。そして拍手が出た。
この日、彼は就職の内定も取り消していた。
アマチュアボクシングは、ひとえに勝利のみを追求する世界である。しかしその中で、彼のスタイルは少し異質な空気を持っていた。やたらと周りの反応を意識するのである。
「そうやって自分自身にプレッシャーを与える。おかげで判定までいくだけで文句を言われた。」
異質だったからこそ、その魅力が引き立ったのは間違いない。パキスタンで行われたアテネ五輪予選では、地元のギャング(?)にまで応援された。ひいきな判定に敗れた際、ギャング達は相手選手に大きなブーイングまで浴びせたという。
決して発表できないものばかりだが、「ぶっ飛んだ思想」で有名だった。これも取材する記者をしばしば楽しませるためだった。
「相手がガチャガチャ打ち合って来たらそれに付き合うし、綺麗なボクシングをしに来よったらそれに付き合う。相手の土俵で勝つ。」
こんなビッグマウスが次々と出る。しかしその割りには、自己の実力分析が妙に適確な感もある。過信めいたものがほとんど感じられないし、体育会系としての上下関係、礼儀もしっかりと弁えている。正山はやはり計算して、自分に鞭を入れているのだ。
正山は小学校時代、中国拳法を2年間経験し、地区で優勝2回、準優勝1回。だが帯の色は最後まで”白”だった。筋金入りの不真面目である。
ボクシングは東福岡高校へ入学後に始めた。しかし、ここでもしばらくは不真面目。自称「幽霊部員」のリングは、路上ばかりにあったという。
「部活よりもケンカの日の方が多かった。まあケンカでは負けたことはなかったけどね。」
血気盛んな性格だった高校時代を振り返る中で、思わず頷かせるような精神論も出る。
「俺はデカい奴とばっかりケンカをした。やけんボクシングの試合くらいじゃビビらん。デカい奴は、自分が体格で勝ってる奴とばっかケンカするけん、同じ体格の人間と戦うことになるとすぐビビる」
――しばらくして、こんな”幽霊部員”にも転機は訪れた。
高校3年の選抜大会も九州予選で敗退。しかし、ここまで一度として全国大会への出場がなかった男が、一気にやる気になった。
「お前をチャンピオンにしてやる」
かねてから気になっていた存在、今でも絶対的に師事する松隈コーチがこういうと、怠け心に強く突き刺さったという。それからは、「他の奴の五倍」の練習を開始した。
「松隈さんの教えは今振り返っても別格。明日は何を教えてもらえるんやろうって毎日楽しみになった。試合中も、”自分3、セコンド7”で動けた。」
努力は実り、インターハイでは見事バンタム級優勝。続く国体でも同級を制覇し、高校時代を2冠王で終えた。
「ボクシングは例えば左ジャブを打って来たら、こう(と言って対処法を見せる)の一つだけじゃ駄目。臨機応変に対応せんと。引き出し、引き出し」
そんないかにもボクシングが好きな持論を発するようになったのもこの頃からだ。

高校卒業後の進路は中央大学法学部。当校のボクシング部は、既に、1部リーグの下位に低迷していたが、彼は多くのスカウトからここを選んだ。
「阪神から巨人を倒すのが性に合うと思った」
阪神とは中大、巨人とは、当時連覇記録を更新し続けていた日大を指した。
この後の最大の壁は、その日大の輩出した、二度の五輪代表経験を持つ辻本和正である。
「打倒辻本」がモチベーションの正山は、順調にアマのトップとしても成熟を始める。しかし結局、辻本には3戦3敗。攻略することのないまま、向こうから消えていった。
「辻本さんは強かったね。合宿でも重量級のトップクラスにスパーで押しとった。あの人に負けた後に悔しくなって走り始めても、向こうは8年前からそれをやっとう。それだけで気が遠くなった。努力した奴の強みやろね。」
大学3年生の正山は、フェザー級を制して初優勝を飾った。
NHKからインタビューを受けた彼は、ここでも豪快に言ってのけた。
「自分のボクシングは相手を倒すボクシングです」
ヒールな新王者の背中には、日連からの推薦を拒否し、九州ブロック代表のワッペンを縫い込ませてあった。
これで追われる身へと切り替わった。すると、予想外に歯車を狂わせる「研究される立場」を自覚する。ああでもない、こうでもないと考え過ぎる“持病”も、この頃多くなったという。技術面は成長期から、安定期に変わった。
横綱相撲を取るはずの大学4年目は、順風満帆に進まなかった。関東大学リーグ戦で法政大学の松尾亮に敗れると、国体でも土肥飛鳥に敗れる。特に松尾に対しては、嫌な警戒心を与えられた。
「こっちの攻撃を本当によく覚えてる。ああいうやつは毎回、学習してくる」
かくして次の全日本選手権は、最もナーバスになって迎えた。しかし新たなライバル松尾は途中で破れ、三度目の対戦はなかった。そして、正山は2連覇に成功する。
再び向けられたNHKのマイク。
「持ち前の倒すボクシングが出来ましたか?」
ビッグマウスが期待される。しかし、このとき、前回と大きく異なる態度を取った。
「いや、今は勝つことだけで嬉しいです」
そう言うと、安心感いっぱいの笑顔を見せただけだった。
アテネ五輪に集中するため、大学卒業は一年遅らせた。「プロに行くなら大学に行かずに」と言っていた彼は、そのまま就職するつもりだった。しかし友人の起業などに感化され、新たな進路にプロボクシングを選んだ。
そう言えば、拓殖大学の八重樫東がプロに行くときのこと。彼からこんな伝言をもらった。
「アマチュア上がりに負けの文字はないけん、必ずベルトを獲得するように伝えとって」
あの言葉は今、自分自身の背中にも重くのしかかったことになる。
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