戦士と語る=現場編=その23

元東洋太平洋バンタム級チャンピオン
Text By 新田 渉世
Photo By 山口 裕朗


相模原ヨネクラジムトレーナー
高橋白安(しろやす)氏

 17年前、ただ“打ち砕くべき対象”でしかなかった。それ以外の何者でもなかった男との再会は、不思議なことに“旧友との再会”のようだった。

 T&Tジムの本木洋一トレーナーからご紹介いただいた今月の“戦士”は、現役時代にジムの仲間として本木氏と一緒に汗を流し、引退後も飲み仲間としてお付き合いがあるという、高橋白安(しろやす)相模原ヨネクラジムトレーナー。かつて私がデビュー第2戦でグローブを交えた相手だ。
小田急線東林間駅でフォトグラファ山口裕朗氏と待ち合わせ、“旧友”の待つ相模原ヨネクラジムへ向かった。近くまで来ると、ジムの前で「おぉ、こっちや、こっちや!」と手を振っていたのは、幡野会長だった。「すみません。突然お邪魔しちゃって・・・」と言うと、「遠い所をよぉ来てくれたなぁ!」と、幡野会長は我々を快く迎えて下さった。
初めてのジムを訪問する時はワクワクする。どんな雰囲気なのか、どんなレイアウトなのか、更衣室やシャワー室はどうなっているのか。これはジム経営者の性かもしれない。もちろん、初対面の“戦士”と会って語ることの方がワクワク度はずっと高いが・・・
雑居ビルの地下へ階段を降りるとすぐにジムの入り口があり、大声で挨拶をすると、そこに高橋白安氏がニコニコと笑顔で立っていた。身長171cmでバンタム級―という当時はすらっとしていた体型も、今では約25kg増量して78kg! サイズUPした旧友は、その分親しみやすい雰囲気で我々を出迎えてくれた。
 “打ち砕くべき対象”でしかなかった為、顔はあまり覚えていなかったのだが、不思議なことに再会してみるとすぐに彼であることが分かった。
 “旧友”と会って話すのはとても楽しい。と言っても私は彼がどんな男なのかをほとんど知らない。今回話をして初めて知ることばかりだった。「かつて戦った相手はこういう男だったのか・・・」と、改めてその時のことを想い起こす感覚が、何とも楽しかった。
 
その“こういう男”について少し紹介しよう。
 高橋白安―昭和42年4月、神奈川県座間市で5人兄弟の4番目として産声をあげた。私とは同い年。若い頃は、やっぱりちょっとヤンチャで、バイクを乗り回していたらしい。
漫画「あしたのジョー」と、テレビで見た具志堅用高の世界戦に影響を受け、17歳の時にこれまた私と同じ金子ジムに入門した。しかし金子ジムは1年ちょっとでやめてしまい、またヤンチャの世界に戻ってしまった。私が金子ジムに入門したのは18歳の時だった為、白安氏はすでにやめてしまった後で、当時は顔を合わせることが出来なかった。
しかし、「やっぱりボクシングをやりたかった」という白安氏は、19歳の時に自宅近くでオープンした相模原ヨネクラジムに入門して再びボクシングを始めた。
‘87年にデビューし(これも私と同じ)、その年の12月、お互いに“打ち砕くべき対象”となったわけである。ちなみにこの試合は、判定で私が白星を頂いたのだが、今となってはお互いに何のわだかまりもなく、楽しく過ごすことが出来た―と思う。それは、私自身かつて黒星を喫した相手であっても、「今となっては楽しく過ごせるようになった」と感じているからだろう。それだけの時が経ったということだ。
私と“打ち砕き合った”翌々年、白安氏はSバンタム級で全日本新人王を獲得した。しかし、その後わずか3戦して引退してしまう。そして、ずう〜っと長い年月の間、ボクシングからは離れて生活をしていた。
3年半ほど前に相模原ヨネクラジムが移転し、かつてトレーナーだった幡野氏が会長を務めるようになったのをきっかけに、白安氏はトレーナーとして復帰を果たしたのだった。

42歳とは思えない貫禄を持つ幡野会長も、お話しするのは私にとって今回が初めてだった。ちょっと乱暴な関西弁(すみません)で話す大柄で怖そうな会長だが、ちびっ子練習生のミット受ける姿と、それを嬉しそうに一生懸命打つちびっ子の瞳を見て、「優しい会長さんなんだな―」と感じた。長い間ボクシングから離れていた白安氏がこの世界に戻ってきたのも、きっとこの会長だからこそなのだろう。
相模原ヨネクラジムは、現在70名ほどの練習生を抱え、プロ選手は15〜16名いる。トレーナーは、高橋白安氏を含めて2名。この日は来ていなかったが、消防士さんの田所トレーナーという方がいる。ジムは“男所帯”という雰囲気だが、女性2名、小学生6名も、幡野会長の下で和気あいあいと汗を流している。「僕が現役の頃はすっごく厳しい人でしたけどね・・・」と、白安氏は当時トレーナーだった幡野氏のことを述懐する。幡野氏にボクシングを厳しく教わった白安氏だが、「やっぱり信頼関係があるから今こうして一緒にやっているんだと思います」と笑った。

体だけでなく、存在感もビッグな幡野会長の話題がついつい多くなってしまったが、今回の主役に話を戻そう。
白安氏には、奥さんと4人のお子さんがいる。長男の征太(しょうた)君を筆頭に、麗耶(れいや)ちゃん、緋樹(ひな)ちゃん、允緯(じょうい)君と、みんな凝った名前だ。早くに結婚し、若いお父さんとして戦ってきた点でも彼に共感を覚えた。
引退してからはずっと配管の仕事をしている。「今では長男と一緒に配管の仕事をしています」と、ニコニコしながら話す。私は白安氏の笑顔を見て、「きっと今、とても幸せなんだな」と感じた。
早朝から夕方まで働き、夜7時頃からジムに来て、閉館時間の10時までトレーナーを務める。「何か他に趣味とかあります?」と尋ねると、「たまにパチンコするくらいですかね」と、またニコニコしながら話す。私は白安氏の笑顔を見て、くどいかも知れないが「きっと今、ホントに幸せなんだな」と感じた。
今の目標は、「このジムからまず日本王者を出すことですね」と、白安トレーナーは力強く語った。いい環境の中で、いい人生を歩んでいる・・・。

そしてこの35坪の男所帯をあとに、我々は近くの居酒屋へ場所を移した。
現役時代は、目白のヨネクラジムへ度々出稽古に出かけた高橋白安選手―、「元日本王者 中島俊一さんのスパーリングパートナーをよくやらせてもらったもんです」 アルコールが入ると、白安氏は更にニコニコと幸せそうな顔で語ってくれた。「僕自身はレナードやアルゲリョのようなアウトボクサーが好きでしたね」そう言われてみれば、私との試合でも、レナードやアルゲリョを意識した戦い方だったような気がする。
25kgも増量して語る姿が何とも微笑ましかったが、「現役時代も10kg以上減量してましたからね」と聞いて多少納得した。酔った頭でも、計算すると実際に太ったのは15kg弱ということになる。まあ、それでもやっぱりかなりのもんだ・・・。10kg以上も減量してバンタム級で戦ったのは、「あしたのジョーにこだわってたんですね」と、相変わらずの笑顔に何となくこちらも幸せな気分になってくる。
そうこう話しているうちに、約束どおり(?)幡野会長が遅れてやって来た。それからは、会長の独壇場―。「なあ、白安」、「そうやな、白安」と、ちょっと乱暴な関西弁(再びすみません)がスパークしていた。
通算戦績14戦8勝(2KO)4敗(2分)―白安氏はグローブを置いた。「いや、自分の限界を感じたんですね・・・」と、この日初めて、ほんの少しだけ後悔の色を顔に浮かべつつ、すぐにまたあの笑顔を取り戻して幡野会長の関西弁に頷いていた。
ボクサーは様々な思いでグローブを置き、自らの心に整理をつけて次の人生を歩んでゆく。白安氏の笑顔は、人生の第2ラウンドで白星をいただいた男の証であると感じた。我々は、まだまだ第3ラウンド、第4ラウンドと生きてゆかなくてはならない。共に白星をいただき、ニコニコと語れるよう頑張っていこう!!





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