丸山幸一のインサイドブロー

ある女性拳闘家 12



 武蔵野丘陵を見上げる谷の一角の小さな家に、Cの母親は住んでいた。谷を渡る風は異様に冷たかった。「ここは、あの子がまだ小学生に上がる前に越してきたんです。その頃はもっと冷たい風が吹いていたんですよ」。母親は風の冷たさを話題にした私を非難するかのようにそう言った。
 東武線のS駅を降りてからC家に辿り着くまで、私は母親が電話で私に話したことを反芻していた。「丸山さん? ああ、娘のことを記事にしてくれた方ですね」と即座に応じた彼女に率直にCのことを尋ねた。「娘は今、入院しているんです」。その淡々とした口調に、私は意を強くして病名を聞いた。少し間があったあと母親が言った。「私にもよく分からないんですよ」。その投げやりな言葉を奇異に感じた私と母親の間で、しばらくやり取りがあった後、私は病院の名と所在地を尋ねた。ためらいがちに母親が口にした病院名は、驚いたことに私の家から4キロほど離れた場所にある千葉県I市のKという精神病院だった。
 
 「僕が面会することは出来るんですか?」私の問いかけに、彼女から返ってきたのは「病院が許可してくれないと思います」という表情のない言葉だった。その母親に、私は改めて時間をかけてCのことを聞いてみたかった。母親は困惑することもなく、自分の都合のいい日時を告げた。こうして私はC家を訪ねることになったのである。
 Cは、どういう経緯で精神病棟に入ったのか。それはCの意思だったのか。それとも、病識がないほどCの精神は病んでいるのだろうか。様々な思いが、S駅を降りて、C家を目指す私の脳裏に交錯した。谷を渡る苛烈な風は、そんな私の思考を遮るように、吹き続けたのだった。
 
 C家の居間に入って真っ先に目に付いたのは、東側の壁に、我々を見下ろすように飾られた5,60aほどの、磔になったキリスト像だった。「神様とイエズス様に見守られて、私はかろうじて生きているんです」。キリスト像を見つめていた私に、50絡みの母親は唐突に言った。「Cさんも、クリスチャンだそうですね」。「いえ、あの子は神様に背くことばかり、やってきて・・」「例えばボクシングとか」。笑いながら言葉を継いだ私に彼女は表情を崩さずに「おまけに子供までこさえて・・」とこちらに顔を向けた。「じゃあ、本当だったんですか」。私は、恐る恐る、口を挟んでみた。自分がCの子の父親と思われているのではないか、という疑心を抱きながら・・。けれども彼女は、その問いに答えもせず、視線をキリスト像に向けながら続けた。「あの子の行動はみんな、私に対する当てつけなんですよ。ボクシングもロサンゼルスに行ったのも、子供を作ったのも・・」
 
 それから私は3時間近く、C家の居間にいた。母親は、その抑揚のない口調とは裏腹に、饒舌だった。中でも繰り返し語ったのは、Cの父親に対する憎しみだった。母親とCの父親とはクリスチャン仲間だった。「でもあの子の父親とは信仰に対する考え方が全く違うことが、日に日に明らかになって・・。キリスト者であることが、私達の人生で最も大切なことのはずなのに、娘の父親が望んだのは、むしろ地上的な生活でした」。「地上的とはどういうことですか」と疑問を投げかけた私を、蔑むような眼差しで彼女が説明した。「自分の肉欲にルーズな生き方です。祈りを捧げる時間なのに、娘と一緒にテレビに夢中になったり、安息日だというのに、教会にも行かずに小説を読みふけったり。そういった野放図な生活ですよ」。私は、その母親の言葉を聞いて沈黙した。
 
 ・・やがて夫はその生活に耐えられなくなり別の女性に安らぎを見出すようになった。母親の言葉の行間を埋めればそんなことがあったのだろう。いや、逆に夫に女が出来たことが理由で、妻は”キリスト者”としての人生に生き甲斐を見出そうとしたのかも知れない。いずれにせよ、そうしてC一家は破綻した。
 「この家は残されましたが、私が出来ることといえば、洋裁だけ。生活は苦しかったけど、娘を神に見守られる学校に入れなければならないと考えたんです。だから、あの子の精神が何故、段々崩れていったのか。私にはどうしても理解できないんです」。母親は予め用意された原稿を読むように、言葉を並べた。
 恐らく、この母親は、夫と別れた後も、排除しなくてはならない葛藤を抱え続けたのだろう。その一方で娘にキリスト者としての過酷で厳格な精神生活を押しつけ続けたのだろう。
 私は母親にCが宿した子供のことを聞いた。堕胎は、カトリックの世界では神への背信行為であるからだ。「去年の夏、流産しました」。素っ気なく母親が言った。
 (以下次号)



 


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