第2実験「相違」
 「10000メートル走とマラソンの選手はどっちが足が早いか」の答えと一緒である。
 土俵が変われば手段も頂点も変わる。ボクシングの元世界王者がK−1で勝てない理由は、出場する選手がロートルだからでも、後者の方がレベルが高いからでもない。プロボクシングの技術は、プロボクシングで勝つためだけに研究された技術だからである。培った技術が、武器となるか規制となるかは、新たな職場への姿勢次第だろう。向き、不向きの判断など、その次だ。

 考 察 

『”異種目”という見解を。』

 アマとプロの溝はレベルの差ではなく、歴史を重ねるごとにズレ続けるルールの違いだと思う。しかも、その改正の度に共通性は毎回失われ続けている。今日、アマエリートが昔よりもプロのリングで活躍出来ない。しかしこれがレベルの差なら、プロの選手がアマの全日本選手権に出ても活躍出来るはずだが、筆者は、プロの日本王者クラスでも、そう簡単には、準決勝まで勝ち残ることが出来ないと思う。むしろ、アップライトスタイルで、3ラウンド制のボクシングトレーニングを積んだキックボクサーの魔裟斗選手の方が、よっぽど順応は楽なはずだ。
  「コンピューター採点になってからインターハイで勝つ戦い方が変わって来た。これからプロに行く高校生は大成しにくい」と言われている。今、プロボクシングとアマチュアボクシングは、類似した異種格闘技として捕えて欲しい。いまだ同種と見るところに、現在ハマりがちな多くの落とし穴がある。また、その趨勢の中での粟生隆寛のチャージ能力は、もっと高く評価すべきだと思う。

 大学時代、リーグ戦の補欠だった選手が、敗れたプロデビュー戦を感慨深く振り返った。
「練習で日本ランカーとやっても、『あれ?俺、行けるぞ』って思った。だけどリングに上がったらもう全然違った。戦争みたいだったよ。剣道の試合と真剣の殺し合いみたいな差があった」
2戦目からその選手は強烈な気迫で相手に立ち向かう様になった。
 基本的にアマチュア選手は、少ないラウンドでのスパーリングに強い。もとい、有利なだけだ。ハイテンポで当ててスタミナをきっちり使い切る。逃げ切る。その間に本番で受けてはいけないパンチをもらいながら、自分のペースをつくっている場合もある。だから判断基準になりにくい。
 初めてプロとスパーリングをすると、”頭”に面食らって打ち込まれるが、それに慣れさえすれば5〜6の実力がある選手が10の実力の選手と、少なくとも中間距離では存分に譲り合えてしまう。プロとアマの各々の試合での戦いぶりを見て「これならこっちが…」と予想すると、意外とそうでもない結果が待っている。ただ、それはスパーリングがアマチュアの試合に近いだけで、

必ずしも実力と直結はしないだろう。だからプロに転向したアマ選手が、スパーリングが弱くなるのは、案外望ましいことだとも思っている。

 アマ選手は、プロに転向するのなら、自分を初心者と認識し、様々な自分のスキルにもう一度「?」をつける柔軟な思考が必要なのではないだろうか。そして進んで試合会場に足を運ぶべきだ。自分はアマチュアの技術を”生かして”いるのか、それとも”徹して”可能性の幅を狭めてしまっているのか。まずは否定的に見つめ直し、自分を信じるのは、とりあえず最後の最後でいいと思う。

 来月は筆者なりに具体面について触れたい。



++ アマエリート ++

松尾  亮 (まつおりょう・法大4年)
・選抜&インターハイバンタム級優勝(高校3年)
・国体フェザー級成年の部優勝&大学リーグ戦ライト級階級賞(大学3年)

「自分のスタイルは変えず、そこから新しい技術を枝分かれさせました。」



感じ続けるマンネリズム
 飽きるらしい。
 「何かに追われているようにひたすら練習する」という通称「アマチュアボクシング界のミスターストイック」は、ボクシングにしばしば飽きるらしいのだ。
 松尾亮は、1982年10月1日長崎県生まれ。すぐに東京に住居が変わり、中学2年でボクシングを始めた。駿台学園でボクシング部に入部すると、3年生の時に選抜、インターハイの2冠を制した。また、高校時代には2度、粟生隆寛とも対戦し、2戦2勝に終わっている。当時からスタイリッシュなアウトボクシングが身上だった。
 先日、久々に彼のスパーリングを拝見した。もちろん、距離を取ることには変わりがなかったものの、以前よりボディワークでの組み立てが増えていると感じた。
「ボクシングにすぐ飽きてしまうので、少しずつ変えるようにしています」
 また、スタミナにも定評がある彼だが、ラウンド数が4以上になると第4ラウンドから突然思考回路が止まる。
「頭の中が真っ白になる」
 そして、またこの動詞を付け加えた。
「飽きちゃうんですよ。今までやった当て方はもういいだろうって。」
 彼が飽きている「ボクシング」とは、自身が現在に持つ技術の限界のことなのである。松尾亮は常に向上心と共に戦ってきた。

先輩に勝てずに迷走
 法政大学に進学した頃、スランプを感じ、自ら修行の旅に出たこともあった。この時も彼の言葉で言う「飽きる」という症状に陥り、ボクシングを根本から改善しようと思ったという。
「この時はもっと深刻なものでした。まず、先輩とスパーリングをしてもパンチが当たらない。今までのボクシングが通用しなかった。」
 松尾はやがてスランプに陥る。
 なかなか活路が見出せない。森に迷い込むように自分を見失った彼は、大学二年の国体では初めてダウンも喫し、屈辱の敗北を喫した。悪循環である。
 そんな中、悩む彼を周りの先人達の助言が救ったという。
「『初心に戻って自分のボクシングを取り戻せ』って言われました。やっぱり基盤になる自分のスタイルは変えず、そこに新しいテクニックを肉付けして枝分かれさせていくような練習がいいよって。」
 自ら課せた”修行の旅”で、様々なスパーリングを体験するが、その中でもつかむものがあった。
 「ラフで手数の凄い選手が『右、右』って二回打って来た時に、コンビネーションの必要性に急に気づいたんです。それまで自分は、コンビネーションっていう概念がなかったんですけど、この時から、例えばサウスポーなのに左をダブルで打つ練習などを始めました。その結果、勿論打たれることも増えましたけど、クリーンヒットを奪う回数も増えたと思います。」

悲願のリベンジ

 苦悩の末、松尾はようやくスランプを乗り越える。そして、3年の関東大学リーグ戦で、半年前に初ダウンを奪った全日本王者の正山照門(中大)と再戦する日を迎えた。
「あの試合前の松尾さんは、とんでもない気合で練習していた」
とは後輩で主将を受け継ぐ、木村悠(LF級)の話である。
 そしていざ迎えた開始のゴング。正山がいきなり奇襲を掛けて来た。ここで松尾は、もう絶対にすまいと誓ったはずのダウンをまたしても喫してしまう。半年前の経験は役に立たなかったのか。そうではない。松尾はここで冷静に対処する能力を身に付けていたのだ。
「むしろ開き直った。逆にダウンがなかったら挽回できなかったと思います。正山さんの動きはそこまではっきりとは覚えていませんでしたが、あの倒されたパンチだけはよく覚えていました。だからせめて、それを貰わない場所にはガードを置くようにと思えたんですね。」
 かくして正山の追撃を断ち切った。やがてスタミナを大きく消耗した正山から、適確にポイントを重ねて行った松尾は、残りのラウンドをつかみ取り、見事逆転勝利を収めた。
 ついに自分の求め続け、探し続けた成長を遂げた。続いて出場した国体。決勝では土肥飛鳥にカウントも聞かせて優勝した。全日本選手権は惜しくもものにできなかったものの、今季は両タイトルの獲得が濃厚だ。
 就職の内定している彼は、これを最後に引退する予定とのこと。しかし、ボクシングに未練はないか尋ねると、思っていた通りに首を振った。
「最近は毎日、『もうこれが最後なんだぁ』って噛み締めながら練習してます。自分は格上ばっかだと開き直れるんですけど、今年は優勝候補って言われるので、プレッシャーがキツいですね。終わったら絶対辞める予定だったのに、今は…8割くらいです(笑)」
 よく飽きるはずの男は、ボクシングに飽き足らない男でもある。




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