戦士と語る=現場編=その22

元東洋太平洋バンタム級チャンピオン
Text By 新田 渉世
Photo By 山口 裕朗


T&Tボクシングジム
本木洋一トレーナー

 「自分のひと言で選手の一生が決まることもある。選手は人生を賭けてるんだ。背負っているものは大きい・・・」

 今月は、不二ジムの種川順司トレーナーからのご紹介で、小田急線本厚木駅南口からほど近いT&Tジムでチーフトレーナーを務める、本木洋一氏を訪ねた。いつものように、フォトグラファ山口氏が同行してくれた。

 その1週間ほど前に、WBC世界スーパー・フライ級王者 川嶋勝重(大橋)の初防衛戦がおこなわれた横浜文化体育館で、ジャケットをお洒落に着こなした“美形”で目つきの鋭い(と言うかちょっと恐い雰囲気の)男が、「新田会長ですか?」と言って近づいてきた。そんなに人に恨まれるようなことをした覚えはない―とはいえ、物騒な世の中だ。私は一瞬、身構えてしまった。「不二ジムの種川さんから電話を頂いています本木です」―そう名乗った男の顔をしばらく眺め、「あぁ・・・」と胸をなでおろした。ひとまず挨拶を交わし、後日連絡させて頂くということで“美形”の携帯番号を控えさせてもらった。
 数日後に電話でアポを取り、初めて本厚木のT&Tジムの門をくぐった。我々を出迎えてくれたのは、Tシャツにトレパン姿の“本木トレーナー”だった。彼は、横浜文化体育館で会った目つきの鋭い“ちょっと恐い雰囲気の男”とは別人のような、“スポーツマン”の雰囲気をかもし出していた。指導中だったスパーリングが終ると、「いやあ、すいません・・・」と言って、我々の為に時間を取ってくれた。

 昭和44年2月、横浜生まれの35歳。10歳の時に移り住んだ海老名市で育った。「あんまり書かないで下さいね」と言われたのだが、若い頃はかなりヤンチャだったらしい。
“美形”でスマートなそのルックスからは想像出来ないが、背が低くて痩せていたことがコンプレックスで、ボクシングジムの門を叩いた。「16歳か17歳で相模原ヨネクラジムに入会した頃は、ボクシングを舐めてました」ボクサー達のストイックでハードな練習を目の当たりにした本木氏は、その迫力に圧倒され一度挫折してしまう。
しかし、一時ジムを離れたものの、「真面目にやり直そう」と再びジムに戻り、とうとうプロとして2戦をこなすまでになった。
 後に不二ジムへ移籍したが、諸々の事情で3戦目のリングに立つことはなかった。そして本木氏は、25歳から同ジムのトレーナーとして指導者の道を歩み始めた。
 やがて不二ジムが休業となったのを機に、本厚木に開設されたT&Tジムでトレーナーを務めることとなったわけである。

 T&Tジムの名前の由来は、二人の創立者の名前のイニシャルをとったものだ。一人は元東京五輪選手として有名な高山将孝氏。もう一人は東洋ジム所属のプロボクサーとして活躍された戸塚伸二氏。現在、高山氏は一線を退き、戸塚氏がジムの切り盛りを一身に背負っている。その右腕として重責を担っているのが“本木トレーナー”なのだ。
 女性を含む沢山の練習生と、20名のプロ選手を抱え、ジムは平日午後2時から10時まで活動。日曜祝日も午後2時から6時まで、試合のある日以外は年中無休のフル稼働である。「戸塚さんと“二人三脚”と言ってはおこがましいですけど、和気あいあいとやっています」
インタビューの合間に、ニコニコと笑顔で近寄ってきたT&Tジム期待のホープ鳥海純平選手(6回戦)は、偶然にも、私の高校の後輩だった。彼の笑顔を見ても、ジムの温かさみたいなものが感じられた。
“本木トレーナー”は、仕事が忙しい時には、週2回くらいしかジムに来られないこともあるというが、朝のロードワークには、「やりたい子がいる時には付き合っています」と、実に情熱的だ。
 
本木氏は、昼間は絶縁材(電気製品の部材)製造の会社で働き、夜は年中無休でトレーナーの仕事に精を出す。「僕は家も仕事場もジムから近いですから、どうってことないです。戸塚さんは、家からジムまで1時間くらいかかりますからね」同業者の立場から、“年中無休・通勤1時間”のジム運営がどれ程大変か、私にはよく理解出来る。50歳半ばを過ぎた戸塚氏にとっては、とてつもないハードワークに違いない。
 「戸塚さんがいなかったら、きっと僕は路頭に迷っていたと思います。体が動く限り、付いていこう、支えていこうと思ってます」本木氏は、横浜文化体育館で出会った“ちょっと恐い雰囲気の男”とは別人のような表情でそう語った。
 
元気に話す本木氏だが、実は数ヶ月前に仕事場で大けがをして入院していた。絶縁材の製造機器に巻き込まれ、顔を何十針も縫ったという。初対面の時には、頬に残るそのキズの為に、“ちょっと恐い”印象を受けたのかもしれない。それにしても“美形”は見事に維持されていて、他人事ながら本当に良かったと思う。

 ひと通り話を聞かせて頂いた後、事前にお願いしておいた恒例の「軽く一杯」に付き合って頂くことになった。私服に着替えた本木氏は“本木トレーナー”から“美形”に変身した。やはりボクシングトレーナーとは思えない・・・?
 週1〜2回は飲みに行くという行き付けの居酒屋に案内してもらい、本木氏の顔で、注文した中ジョッキの生ビールを、大ジョッキでサービスして頂いた。我々は舌も滑らかになり、ますます話がはずんだ。
 
 選手指導のことに話が及ぶと、“本木トレーナー”は、やっぱり情熱的に語ってくれた。
 レナード、ハグラー、ハーンズの全盛時代に育ち、ご自身はアウトボクサーだったこともあり、ジャブ・ワンツーを主体とした基礎重視の指導をしている。「練習では叱ることもありますが、愛情を持って叱るようにしています。叱って伸びる子は叱り、へこむ子には言い方をコントロールするようにしています」―本当に選手思いの良いトレーナーだな・・・。見かけとのギャップのせいか、しつこくそう感じた。
 「ボクシングをやってなかったら、僕は刑務所に入っていたかもしれない。ボクシングを通じて、いろいろな人に出会えた。出会った人達が財産です。こうして腹割って話せる人達に出会えるボクシングって、いいなあって思います・・・」
そう語る本木氏の言葉のひとつひとつに耳を傾けながら、私はこれまでにも感じたことのある不思議なモノに思いをめぐらせた。それは“ボクシングの力”とでも呼んだらよいのだろうか―人を変える力、人を救う力・・・おそらく本木氏やその教え子達を変え、そしてある時は救ってきたモノ。それは、この“ボクシングの力”なのだと思う。
本木氏が最後に語った言葉の中には、その“ボクシングの力”を無意識に熟知しているトレーナーの覚悟がこめられていた。「自分のひと言で選手の一生が決まることもある。選手は人生を賭けてるんだ。背負っているものは大きい・・・」

2軒目は、行き付けの居酒屋を案内してくれたお礼に、私の友人が本厚木駅近くで経営するバーに本木氏を案内した。シャレたムード。シャレた音楽。足を組んでカクテルを傾ける“美形”はとても格好良かったのだが、居酒屋の乗りをそのまま引きずって来た私とフォトグラファ山口と言えば・・・




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