| ろくでなしの蝮 | ||
| 心が折れる瞬間 | 砂原洪一 |
| 地方での六回戦を判定で拾ったあと、眼が回りだす。ネオンがグルグルとグワングワンと音をだして襲ってくる。翌日、落ち着いてくると、やっと視界の右側半分で物が2つに見えることが視界の回る原因だと気付く。 この症状はあれから10年近くたった今も変わらない。正確には、その後右の視力が著しく低下して左眼しか使わないので、今はほとんど一つに見えるようになったが…・。ひどく酒に溺れると私の右眼はどっかに行っちまう。片っぽが白目向いてクダまくんだから周りは迷惑だろが、眼ん玉がどっか行っちまうような時は後で何も憶えていない。ごめんなさい。 東京に戻って、すぐにジムワークは再開したがどうもしっくりこない。如実に現れたのがシングルのパンチングボールだ。華麗にとは言えなくても、2ラウンドぐらいは打ちっぱなしでできたのに、続いて3回、いや、2回連続ですら芯に当てられなくなっちゃった。 「こりゃ、やばいぞ」 ジムの関係者にはなにも言えなくて、デビュー戦から応援してもらっている人に設備の整っている眼医者をきいて、こっそり行ってみた。あまり意味がないのだがジムから遠いところの大きな眼科医に診てもらった。いろんな検査をして、たとえば、右目でヒトの形をしたものを左目で見える家のようなものに入れるような検査などをした結果、眼筋麻痺と診断された。 「治りますか」と尋ねると女医さんは 「横とか縦だけじゃなくて、斜めにずれているんで今の技術では何度か手術をしないと焦点はきっちり合わないと思いますよ」 ボクシングをやっているとは言えなかったが、車の運転などをしなければ、慣れれば日常生活には支障はないでしょうとのことだった。あれから10年の現在だったら一発で治るんじゃろか? 首を傾げると、とりあえずは一つに見えた。現役時代は首を少し傾けることでやりすごそうとした。このままでは終われないんだ。黄昏てしまうわけにはいかないんだ。闘い終わったらオーバーホールしようなどと…・・。 専門誌などで見かける明らかに眼の焦点がずれている現役ボクサーの写真を見ると、 「お前もだろ」 と思わず叫んでしまう。彼らが現役バリバリだったりするから、あえて名指しはしないが…… 「お前だ!」って読まれてないだろうけれども……・ まあ、感覚の問題だから本人しかわからないし、本人が本人の意志で話さなければそれはそれで済むハナシなわけだけれども。 ひょんなことから数週間前、一晩で80キロを歩くというか走ろうと酔狂なことをひとり思い立った。翌日に実際、夜の10時に出発して、80キロ先の目的地に翌昼の1時に到着できるように、国道を走り出した。朝4時、もっとも標高の高い中間地点まで六時間で到達。連日東京では35度のうだるような暑さが続いている中、早朝その地点はせせらぎを聴きながらの17度。外灯もない歩道もない道で、久々に見つけたコンビニでサンドイッチをぱくつき30分の休息と座り込んだら脚が硬直して思うように動かない。目的地が近づくにつれほぼ歩行スピードが落ちてくる。陽も昇りきり、1時間で6キロ、5キロ、4キロ、3キロと落ちていき、逆算しても定刻までは辿り着けない。そう思ったら、もうダメだ。自分に理由付けして心を折る。いろいろと逡巡したあげく、ボキッ。10時40分、あと8キロを残しリタイア。この気持ちの折れ方は、まさに現役時のいや倒れの感覚と同じじゃねぇか。イヤになっちゃうけど、なんにも変わんない。誰だか言ってたっけ。 「弱いボクサーというのは、どこかに人間としての欠陥があるのだろう」ってな。 はぁぁぁ、まったく御意。 それでも、なお、羞恥心をまとってリングに立つんだから……・・。 (以下次号) |