ドロップアウト・パンチ


『Y 乖離(中)』

Text by Katsuya Ohkubo



「けっ、テメエにできねえことを人に教えてるよ」

 悪いものでも見たかのように眉をひそめたジムの主宰者は、そう吐き捨てると声に出して笑った。

 ボクの前で何度か繰り返されたその侮蔑の響きは、同じフロアのそう離れていない当人の背中へも達しているはずだった。しかし、練習の手を一時休め、左フックの軌道や打ち終わりのポジショニングなどを後輩にコーチしている横山の熱心さに、いかほどの変化も見られなかった。

 その4ヵ月ほど前。横山啓介を初めてジムに訪ねたとき、彼が予定を早めて練習を済ませていた本当の理由がわかった気がした。もはや取り繕うこともできぬ、ジム会長との末期的な関係を外にもらすまいとしたのだ。タイトルマッチを目前にしながら、減量苦でろくに動けていないこともあっただろうが、それについては彼が自分から告白している。だが、初対面の取材者に対して厄介な人間関係の顛末を語るまでの余裕は、すっかり枯れて尖っていた彼の心身にあるはずもなかった。 

2002年5月。とある取材の帰りにふたたびジムを訪ねてみると、横山はありのままをなにも隠そうとしなかった。それは彼が日本ライト・フライ級タイトルの防衛に失敗し、無冠となったからではないことはわかっていた。それでもボクは、帰りの車中でまず聞いてみた。

「いつも、ああなの?」

 するとハンドルを握る横山は、それに答えるかわりに力なくこう言った。

「もう、沼田さんのところ(沼田ジム)に行っちゃダメだって言われたんですよ」

□               □

 1996年8月6日、日本ミニマム級タイトルマッチ。

 そもそも、8年前に後楽園ホールで行われたこの一戦の「番狂わせ」から、当事者たちの運命がわかれていったのだった。

下馬評で圧倒的に支持を集めていたのは、2度目の防衛戦となるチャンピオンの横山だった。167センチの恵まれた体躯から繰りだす強打に磨きをかけながら、デビュー4戦目から9連勝(7KO)をマーク。しかも当時まだ20歳とあって、東洋、世界のタイトルを彼に期待する声も高かった。

 対する日本1位のチャレンジャー、星野敬太郎(花形)は26歳で初めてのタイトル戦だった。アマチュア仕込みの技巧にはかねてより定評があったものの、156センチと小柄で非力感が否めない。また5ヵ月前に、比国ノーランカーの左フック一撃で逆転KO負けを喫していたことが、不支持に拍車をかけていた。

ところが、ふたをあけてみると星野がジャブ、右クロスを決めてペースを掌握。中間距離の攻防で横山に大きく水をあけ、6回には左まぶたを切り裂いてみせる。すると横山はペースを奪い返すことよりも、目に流れ込んでくる血を気にするようになり、2度のドクター・チェックを経て、9回が始まる前のインターバルで自ら棄権してしまうのだった。

 周知のとおり、新チャンピオンとなった星野はタイトルを5度防衛したのち、ブランクを経て30歳すぎから世界の頂点に2度輝く。

 一方、王座を追われた横山はというと、師匠との溝を決定的に深め、流浪のボクサー人生を歩んでいくこととなる。

「オマエ、天狗になってるんじゃないのか?」 

それは星野戦の前後、沼田義明会長から横山へ繰り返された言葉だった。そしてそのたびに20歳の無垢な心にキズが生じ、やがてその無数の傷痕によって心の内が師にはまったく見えなくなってしまう。

 横山は戦前、ロードワークができないほどの痛みをヒザに感じていた。そのかわりに自分で自転車漕ぎなどをして不安を除こうとしたが、何よりほしかった師の賛同や助言は得られるどころか、返ってくるのは例の一言だった。


 一方、沼田会長の目には、横山の相次ぐケガが「甘えの証拠」とうつっていた。現役時代に様々なトラブルを抱えながらも、世界チャンピオンにまでなった同会長には「痛い腫れたはいちいち認めない。ボクサーがそういうことを言い出したらきりがない」との確固たる信念がある。だが、横山はV1戦を控えた時期にも左拳を痛め、ほとんどスパーリングをせずにリングに上がっていたのだった。

 そして何より沼田会長を失望させたのは、星野戦のラスト2ラウンズを残したまま、横山が自分から勝負を捨てたことである。

「5ポイントは負けていたので、残り2回で逆転は無理」

 敗者の弁はもっともだったが、師のこの言葉の前ではそれも霞んでしまう。

「ボクは横山が世界チャンピオンになると、ほんとに信じてましたから」


 問題にしているのは結果ではなく資質だった。つまり、たとえ勝利する可能性がわずかになろうと、経験を積むべき段階で自分から白旗を揚げてしまうボクサーが、どうして世界一の座に立つことができよう、というのだ。

 またこれは本来、ボクサーが知らなくてもいい領域のことかもしれず、選手のために手を尽くすのがジム・スタッフの仕事ではある。しかし、横山が頭角を現してからというもの、人付き合いがうまいわけではない沼田会長が、どれだけの人に頭を下げ、また財を投じてきたことか。本人は決してそのあたりを表ざたにしないが、当時関係した人々は同会長の熱意や腐心をいまも覚えているという。それもこれも、愛する弟子を世界奪取へのレールに乗せるためだったということは想像に難くない。

□               □

師の親心を知らずにキズついた20歳の元チャンプは、すっかり孤独となってしまう。再起戦こそ勝利するものの、その後は3試合続けて白星に見放されると異なる国、異なるジムへと活動の拠点を移していった。だが、そこではリングでの成否とは無関係に、ジム会長との折り合いが悪くなるばかり。そしてついに、なつかしいジムの扉をまた押し開くのである。時に彼は26歳。

 まったく離れていた3年あまりの歳月や俗世のシガラミは、親心のなんたるかを弟子に教え、師は過去を語らずにまた愛をもって弟子に環境を与えた。

しかし、それで完全に元の鞘へ収まったのではなかった。もはや師弟の間には、どうにも越えられない壁が存在し、昔日の夢をともに追うことはできなかったのである。

(つづく)



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