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「目標はヨネクラジムの故・松本清司先生ですね。ちょっとおこがましいかも知れないですけど・・・」―14年間の専属トレーナー生活を重ねてきた男は、自信と謙虚さを込めてそう呟いた。
M.Tジム 村野健マネージャーのご紹介で、今月は、不二ボクシングジムチーフトレーナーの種川順司氏を訪ねた。いつものようにフォトグラファー山口氏が同行した。
不二ジムは現在、神奈川県秦野市というところにある。私が中学、高校時代、そして大学に入学して家を出るまでの間過ごした思い出深い土地である。
私がプロボクサーを志して最初に門を叩いたボクシングジムは、この不二ジムだった。当時は「愛甲石田」という、「秦野」から4駅ほど離れた場所にあった。2〜3度通ったものの学校の部活動と両立できずに、その時は挫折してしまった。高校卒業を控えた頃に再度「愛甲石田」を訪れたが、不二ジムは諸事情により一時休業の状態だった。結局、私は東京まで足を伸ばして金子ジムに入門し現在に至るたわけだが、後に不二ジムは栗本正義
新会長によって「秦野」で活動を再開させた。栗本会長には、“同郷の好”で金子ジムでの現役時代も新田ジム開設後もずっと可愛がってもらってきた。
のっけから私事となってしまったが、そんなわけで「秦野」の「不二ジム」は、私にとって非常に縁の深いところなのである。

さて、今回の主役 種川順司氏だが、長崎県出身の39歳で私よりも2つ先輩。小学生の時に神奈川県厚木市に移り住み、17歳の時に「愛甲石田」の不二ジムに入門した。ちょうど私が最初に不二ジムの門を叩いた頃と重なる。
「もしかしたらその時に会っているかもしれないですね」
しかしその後、不二ジムが一時休業となった為、種川氏は近くにオープンした相模原ヨネクラジムに通い始め、1987年に21歳でプロデビューを果たした。しかし、デビュー後に連敗を喫してしまい、心機一転トレーナーへと転向したのだった。
トレーナー修行時代は本店(?)である目白のヨネクラジムまで通い、1日70〜80ラウンドのミットを受けたという。
「松本先生はもっと受けてましたからね。大したことないですよ」
新田ジムの孫トレーナーも1日70〜80ラウンドのミットを受けている。そんなタフなトレーナーは他にはいないだろうと思っていたが、上には上がいるものだ。
種川氏は、長い間相模原ヨネクラジムの専属トレーナーとして活躍してきたが、3年前に古巣の不二ジムに移籍し、現在に至っている。栗本会長の方針で担当制はとっていないが、9人のプロ選手を抱えて忙しい日々を過ごしている。
「昔は、今年で辞めよう、今年で辞めようと思いながらトレーナー業をしていました。当時は家庭を顧みないで仕事をしていましたからね。でも、今は家事も結構やりますよ。共稼ぎですし・・・」二人のお子さんのお父さんでもある種川氏だが、やはり日本では、“ボクシングトレーナー”という職業で食べていくのはなかなか難しい。看護士の奥さんと、今は“共稼ぎ”で頑張っている。
「どうせ、いい加減な仕事なんだろ」と批判的な人間もいるが、「やったことのない人間に何が分かる!」と言い放つそうだ。“ボクシングトレーナー”は、世間からはまだまだ認知されていない職業かもしれないが、種川氏は誇りを持ってこの仕事に取り組んでいることが伝わってくる。「でもね、下の子供が5歳の男の子なんですけど、ボクシングには全然興味ないんですよ・・・」と、ちょっとだけ寂しそうな顔で呟いた。
不二ジムのスタッフがよく利用しているという居酒屋に場所を移して、更にリラックスしてお話しを伺った。M.Tジムの村野マネと同じく、種川トレーナーもなかなかお酒好きのようだ。「枝豆と冷奴ね―」と慣れた口調でつまみを注文した時、「よし、いい感じ・・・」と妙に安心してしまった。
平日15:00〜22:00まで、不二ジムトレーナーとして働く種川氏だが、1年ほど前から毎週木曜日はカルチャーセンターで女性にボクシングを教えている。小学校のPTA行事などでも、ボクシング教室のような活動をおこなっているという。
種川トレーナーには夢が二つある。「一つはやっぱり世界チャンピオンを作ることですね。そしてもう一つは、ボクシングの面白さをもっと一般の人達に知ってもらうことです」この話を聞いて、カルチャーセンターや小学校でボクシングを教えている種川トレーナーの“思い”を理解することが出来た。「ハワイにトレーナーとして2ヶ月ほど滞在したことがありますが、あちらでは小学生がアマチュアの大会に参加しているんですよ」楽しそうにそう話す種川トレーナーに、私もサンフランシスコで生活していた頃のことを話した。「アメリカではボクシングが一般市民に認知されているんですよね。警察や消防署がアマチュア大会の支援をしたり・・・」しばしアメリカの市民ボクシングの話題に花が咲いた。
そして、もう一つの夢である「世界チャンピオンを作ること」についても熱く語ってくれた。種川トレーナーのボクシング哲学は、やはりヨネクラジムでの修行時代がベースになっているようだ。
「そして私の目標はヨネクラジムの故・松本清司先生ですね。ちょっとおこがましいかも知れないですけど・・・」種川トレーナーは、日本王者40人、世界王者5人を育てた巨匠をトレーナー人生の大目標に掲げた。
これだけの実績を上げながら、松本先生は決して自分が表に出ることはなかった。「主役は選手。トレーナーが目立ってはいけない」という信念は常に一貫していた。試合場でもいつも端っこで観戦していた。「お客さんはお金を払って試合を観に来ているんだ。選手やトレーナーが前の席に座るな」と常々言っていたという。そんな松本先生の存在が、デビュー後に連敗を喫してしまった種川氏の心の中で、“トレーナー”という仕事への思いを大きく成長させていった。かくして種川氏のトレーナー人生が始まったのだった。
また修行時代には、大橋秀行を倒して世界王者となったミニマム級の巨人 リカルド・ロペスがヨネクラジムで練習する光景を見る機会があったそうだ。最も印象的だったのは、ディフェンスの反復練習だった。それは今でも選手指導に役立てているという。そんなわけで、種川トレーナーの礎はやはりヨネクラジムということになるようだ。
非常に温和で、物静かな印象だったが、芯は強い人に違いない。縁の深い「秦野」の「不二ジム」で、新しい友人が増えたことがとても嬉しかった。いつか種川氏の二つの夢が叶うことを願いたい。いや、二つ目の「ボクシングの面白さをもっと一般の人達に知ってもらう」という夢は、一緒に叶えてゆきたいと思った。
最後に余談だが、もう一つ面白いことが判明した。種川氏の奥さんの旧姓は“新田”さんとのこと。そして驚いたことに、徳之島出身なのだそうだ。私の祖父も徳之島出身の“新田”である。かつて流罪となった武士の末裔と言われている徳之島の“新田”姓は、間違いなく全員血族であり、何かしらの血縁関係があるはずである。どうやら種川トレーナーと私は、遠い親戚ということになりそうである。今月は縁の多いお話尽くしでした。
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