男たちの行方  By 加茂佳子




父と息子 2

 


家を飛び出し一人暮らしを始めたのは高校二年、17歳だった。きっかけは激昂した父に腕を叩き折られかけたことだったが、ボクサーをやめた自分はもう、熟山家の長男として存在価値がない、竜一にはそう思われた。以後四年間、父と息子は音信不通となる。
竜一が見つけた住まいは、西宮の、プレハブ小屋の二畳間。鉄筋関係の会社の寮で、彼が通う定時制高校からほど近いところにあった。布団を敷くに精一杯。閉塞した空間は、だが竜一には「めっちゃ開放的」に感じられた。
自分に、世界チャンピオンという将来を重ねる周囲の「痛い」視線はそこにはない。


「期待されないことが幸せでした」

当初は金に困ると、(なんで家出たんやろ)と後悔の念がよぎる刹那もあった。
だが、思い出す家、家族は、ボクシングという言葉をすぐ連想させる。
嫌や、俺は絶対帰らん。
肉体労働で汗を流し、夜は学校。その後盛り場へ。ボクシングからは一切目を背けた。


「現場仕事は、しんどいだけで面白くなかったですね。でもお金にはなりましたね。だから頭おかしくなりましたね。日給が1万数千円でしょう。17歳にとったら、これはもうバブルっ。きたきたーって(笑) 金銭感覚は完全に麻痺しましたね。どんどん金のいいところに移って最終的には日給1万8千円。このまま親方なってー大金持っちやなーって」

 ときは阪神淡路大震災の復興のため、関西地区に現場仕事はいくらもあった。 だが、竜一が背を向けたボクシング界は、この元インターハイ王者を放っておいてはくれなかった。東京農大のボクシング部からスカウト話が舞い込んだのは定時制4年のとき。


「行けませんと言いました。もうすでに2年ブランクあるから通用せえへん。ましてや、お金もった生活してたんで、今さらボクシングなんて汗くさいし嫌やーって。でも毎日監督がくるんですよ。そのうちにまわりが、『大学は出とったほうがええで。まして推薦で入れるんや、卒業してから好きなことできるやん』って。先生だけじゃなくて友達まで言い出したんでね、それに押されて泣き泣き行こかーって。

いや、ボクシングはしたくなかったですよ。けどまわりがね、みんながみんな同じこと言ってたらそれが正しいと思うんですよ、僕。1人でも違ってたら自分の意見も通るとこあるかなと思うけど、10人が10人同じなら、あーそれが正しいって。エッ、変ですか?素直、ですか? いやァ、だって10人中10人ですよ。それまでそうやっていい風にこれてるというのがあったんで、人のいうこと聞いてインターハイ優勝したし。
僕ね、本心は嫌やけど、嫌なことでも、みんなが正しいと言う方にいかなければ、それを後悔するタイプなんですよ……」
19歳。現場仕事で貯めた貯金を携え、上京。


「金はある、10代、まして東京。頭の中? 遊ぶことしかないですって!」

夜中、他の寮生が寝静まるのを待ち、寮を抜け出した。新宿で騙され「あいたーっ」となり、知り合いに安全と聞いた池袋を遊び歩いた。


「最初は同級生といってたんですけど、そのうち『……お前とは世界があわへん』と僕から離れていき、最後はずっと一人で飲みにいってました。フハハ。いや一人でも行かな!

朝からボクシングという嫌なことしてたわけで、生き甲斐というか息抜きがなければ行き詰まりますから。明け方5時頃帰ってきて、寝ずに朝練して。睡眠時間は授業中に時間たっぷりあったんで」
今考えると、と竜一は述懐する。


「大学行ったのは、まわりに対してええかっこ、したんですよね。形だけでも期待に応えよう、安心させようと。高校の先生とかね、かなりお世話になりましたから。実際は、やってることも内心も、期待には応えていなかったですけど。残念ながら責任感はなかったですねェ。あったら真面目にボクシングしたと思うし、半年も経たずに逃げ出すようなことしなかったです、はい」

そう、彼の大学在籍期間は数ヶ月であった。退学の契機は「貯金がつきるのと同時」。「結構早かったですね〜。3、4か月かな?」
飲みに行く金がない→ストレスがたまる→ボクシングなんてやっとれん!→大学にはもう居られない。居たくない。という図式。


「監督に辞めたいと言ったらダメだと。でも僕の頭にはもうやりたいことがあったんですよ」

 ホストである。


「ボクシングやめてホストするんや! ひと花咲かせるんやっ!ってことで頭いっぱいになってまして。ほんと僕、ちょっと頭おかしいんですよね。で、とにかくここを脱出しなければならないというのがありまして、友達に頼んで、朝みんなが走りにいってる間に荷物出して逃げたんです」



Top