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ボクシングが、一種の採点競技となってから長い年月が経ちます。しかし今ほど、人々の間で、その基準が議論になったことはないのではないでしょうか。採点する基準、審判の研修の実態、そして世界の傾向とは・・・。たっぷりと安河内氏にお伺いしました。ただし不当判定問題については、この後に別のテーマとして話しますので、ここでは純粋に、技術的な採点基準問題だけを語っています。(林隆治)
「採点問題は、ボクシングの質と量の問題だ」(安河内)
採点基準
林 一昨日のパーラー・坂田戦も人々の間で意見が割れましたね。私はドローとしました。遠くから見ていたので正確なことは分かりませんでしたが。
安河内 パーラー・坂田戦の話が出ましたが、坂田・中沼第2戦というのが、最近では最も議論になりました。これに関してはコミッション内部でも若手を中心として、ビデオを使って採点を行なったんですよ。そうしたら、やはり真っ二つに割れましたね。本当にきれいに分かれるんですよ。坂田の手数を評価した人と、中沼の一発を評価した人で。実はこれは、常に付きまとう問題なのではないかと思うのですが、つまりボクシングの「質」と「量」の問題なんですね。一発のクリーンヒットという「質」、手数という「量」、この比較が、採点基準の議論の中で、かなりのウエートを占めている。
林 というより、それが採点問題のすべてに近いのではないですかね。
安河内 本当にそう思います。林君も採点問題については、ルールブックの文言を、こう変えたほうが良いのではないか、みたいなことを提案してくれて(http://www.tic-box.jp/back/200309/hayashi/h200309.html)とても参考になりました。ただ、このルールブックに書いてあることというのは、採点基準となる項目を挙げたに過ぎないものです。ですから、この4項目をどのような形で評価し、採点に反映させるかは、触れられていないのです。もし、採点基準というものをしっかりルールブックに載せるのであれば、相当いろんなことを書かなければいけないので、おそらく載せ切れないのではないかと思います。では日本の場合、どういう採点基準を取っているんだ、ということですが・・・。
林 そういったものを正式に明文化したものは存在しないんですね?
安河内 審判研修の時に、そういったボクシングの評価するポイントの講義を受けたり、説明はもちろんあります。しかしこればかりは、実際に現場に出て修業しないと、分かりづらく習得が難しい面があるのですよ。
林 新人審判の研修はどのように行われているのですか?
安河内 これはおそらく知らない方も多いと思うんで、ちょうど良い機会ですから説明しましょう。まず医学的講習があります。ここで脳外傷のメカニズムから、実際リング上での選手の異常の見極め方など医事一般を学習します。そして採点基準などルールの講習を行ないます。その後、実地の研修に入るのです。実地というのは、とにかく毎試合リングサイドに座ってもらって、実際に採点を行なってもらう。タイトルマッチの時以外はほとんど来てもらいます。
林 そう言えば、そういう人がたまにいますね!コーナー横とかに。
安河内 そうです。そして採点したものを我々がチェックする。これを一年近く続けてもらいます。
林 そんなにですか。
安河内 ただ最近はもっと長くかかることも多い。それは他の人との整合性などの観点からすると、採点のばらつきなど、まだまだ評価できないということがあるからですね。
林 でも最近では、上の人、つまり現職のジャッジでも、判定が割れることが多いので、整合性を求めるのは難しいでしょう。
安河内 それもありますね。しかし、我々は単なる勝ち負けという整合性だけでなく、厳密に一ラウンド一ラウンドを評価の対象とします。例えば、研修生も含めて10人のジャッジたちが、あるラウンドを採点したとします。その中で10−9とつけた人が5,6人いたとする。そして10−10をつけている人が残り3,4人いる。仮にこの時、一人だけ逆に9−10をつけた場合、我々はこれを厳しくチェックするのです。つまり、10−9を10人中5,6人つける中では、10−10までは許容範囲と見なすことが出来ます。しかし、これをまったく逆につけた人については、謙虚に反省してくれ、と我々は言います。その見方はおかしかったと思ってくれ、と。
林 なるほど。
安河内 割れるラウンドは仕方がないです。ベテランのジャッジが採点していても、難しいラウンドというのは、確かにあります。ただ大方の人が10−9をつけるラウンドを逆にするのは、よほどの根拠がないと抗弁する余地がない。ジャッジをしているとつい「私が出した採点は絶対に正しい」と思い込んでしまうものなのですが、採点というものはそんなに甘いものではありません。だからその時は、謙虚に「自分が間違ったと思いなさい」と言うようにしています。
林 私もよく試合を見ながら採点をしますが、公式のジャッジとまったく同じ採点になると嬉しいものです。
「世界的採点傾向と日本人の意識が乖離しているのではないか」(林)
安河内 誤解を恐れずに言えば、トータルの数字というのは、我々にとってはあまり意味がない。あくまで、ラウンド毎に整合性を追及します。ですから、ファンの方が漠然と試合を見ていて「こっちが勝ったかな」というのとは、若干ずれが出てくることもあるんです。やはり一般の人には、ラウンドの後半や試合の後半優位だった選手のほうが有利に見えたりとか、そういうことは、絶対的にありますから。しかし我々は一ラウンド一ラウンドを独立したものとして見なして、そのラウンドどちらが優勢だったか、だけを見るようにしているのです。
林 でもジャッジも人間ですから、本当にラウンド毎に先入観なく客観的に見ることは、難しいのではないですか?例えば、彼はボクサータイプだ、という先入観が潜在的にあると、その選手が足を使いきれていない時に余計に不利に見えたりとか。前回の試合はすごいいい出来だったのに、今日は動きがあまりよくないな、とか。人間である以上、そういうことは心理的に大きく影響すると思うんですよ。
安河内 私が研修の時に言われたのは、選手の戦績などは見るな、ということですね。この選手はKOが多いなあ、なんていうことを考えたりすると、どうしてもパンチが当たった時に、相手へのダメージを過大評価してしまう可能性がある。だから、選手のスタイル、戦績には頭を使ってはいけない、と我々は教わります。ただ永年やっていると、そういったイメージで判断したりすることが全くないかといわれれば、やはり人間ですから避けられないとは思います。あとはプロの審判員として、毎試合、頭をなるべく真っ白にして、どこまで真剣に採点を出来るか、という個人の意識の問題になると思います。
林 そうですね。
安河内 こうして採点基準の話をしていると、私などは「採点はそんなに簡単なものではないですよ」とよく言ってしまうのですが、しかし逆に考えると、採点が難しくなればなるほど、ファンが離れていってしまうんですよね。「ボクシングってなんか小難しくて、面倒くさいスポーツだな」と思われてしまう。ボクシングは本来もっとも勝敗の分かりやすいスポーツのはずですから。本当は採点が一目瞭然で分かるようになれば、ファンも納得するし、分かりやすいからファンを呼ぶことが出来るのですが。
林 問題はそこなんですよね。しかも採点基準というものは、日本のコミッションだけで決められるものではないですし。WBAがあってWBCがあって、そういうものが築いてきた世界的採点傾向というものがある。今、それと日本の素人のお客さんの意識が乖離してしまっている気がします。
安河内 世界の採点基準とファンとの間に、ギャップが出て来て分かりづらくなった、という部分は確かにあると思います。最初に話に出たパーラー・坂田戦は、坂田が勝っていたという意見もかなり多かったみたいですね。
林 一般のファンは七割くらい、そう思っているのではないですか。
安河内 あれだけ攻めていて、なんで坂田の負けなんだ?ということですね。しかし、公式の採点表を見ると序盤から坂田は一方的に負けているんですよ。中盤までの間に、取り返しのつかないくらいの失点になっている。それを見て、やはり採点は難しいなと思いましたね。1ラウンドには坂田はいい左フックを当てて、パーラはぐらついているんですよ。あれでも坂田が取られているんですから。
「WBCの基準では、積極性が75パーセントを占めている」(安河内)
林 アマチュアに近い感じですよね、採点傾向が。
安河内 実はここにWBCのリングオフィシャルのガイドラインがあります。これはかなり精密なもので、今回、私はレフェリー研修でも使わせてもらったんですよ。林君にもぜひ読んで欲しいですね。
林 へえー!
安河内 例えば、ここにはボクシングで打っていいところと悪いところが図で細かく出ています。これは皆、当然分かっているようで実は分かっていないんですよ。耳は打っていいのか、とか、どこからがローブローになるのか、とか。それから私たちは普段クリーンヒットという言葉を使いますが、いったい何をもってクリーンヒットと言うのか、というのはよくよく考えなければいけない。急所に正確に当たるのがクリーンヒットですよね。このガイドラインでは、そういったパンチの質にまで踏み込んで丁寧に書いているのです。
林 なるほど。
安河内 それでですね。WBCの採点基準ですが、ここで「エフェクティブ・アグレッシブネス(effective aggressiveness)」が75パーセントを占めると言っているんですよ。効果的なパンチを伴った攻撃性・積極性です。日本のルールブックとかだと、クリーンヒットという項目とアグレッシブという項目は分かれていますよね。しかしこのWBCの基準では、評価の対象の七割五分、つまりほとんどの部分が、積極性・攻撃性の伴ったクリーンヒットを評価することになっている。これを見る限りは、ある程度攻撃して前に出ていなければ駄目だよ、と言っているわけなんですよ。下がってただポンポンと当てているだけでは、分かりにくいということですね。
林 だとすると、WBAとWBCでは正反対なのかもしれないですね。Cの方が日本人の心意気に近い気がする。
安河内 そうですね。このガイドラインに従えば、Cは積極性というものを前面に出してきていますね。ある意味、一般のファンには分かりやすい基準です。そして、あとの15パーセントはいわゆるリングジェネラルシップ、戦術ですね。いかに相手をコントロールしたかということです。まあ大体、このあたりで判断していこうと言っているわけなんです。面白いのは、この二つで差がつかなくて同等だとなった場合、「ピュア・アグレッシブネス(pure aggressiveness)」という言葉を使ってるんですよ。純然たる攻撃性ということですね。つまり、当たってなくても、ただ前に出て積極的にボクシングした、というものを評価するということです。
林 またaggressivenessですか(笑)
安河内 そう。攻撃性ということに関しては、現代ボクシングは実はかなり重きを置いているんだな、ということが、ここからはうかがい知れるわけなんですよ。確かに現代ボクシングのオフェンス技術は、一昔前に比べて目を見張るものがあります。
林 ただ、私としては試案に書いたように、「ダメージ」をもっと前面に出したほうが分かりやすいと思いますね。前に安河内さんには「ダメージを判断するのは難しい」と言われましたけれども。「見た目のダメージ」でいいと思うんです。観客あってのボクシングなんですから、「膝が揺れた」とか「あごが上がった」というのはダメージを判断する上で重視するべきだと思いますね。
安河内 「効果的なヒット」の中には、もちろんダメージの有無というものが入ってくるわけで、その見極めはすごく大事ですよ。ただ、林君の言うような「膝が揺れた」「あごが上がった」などの顕著なもの以外は、ダメージというのはとても見えづらい面があります。あまりダメージばかりに目を奪われていると、他の人と違う採点になりやすい。WBCのガイドラインでも、やはりダメージの見極めの困難さから、クリーンヒットにプラスして攻撃性・積極性に重きを置いているのではないかと思われます。急所に的確にパンチをヒットしているか、まずはそれを見極めてもらいたい、と。その上でダメージが見えれば、楽と言えば楽なんですが…。
林 私も最初に表面上のダメージを見ろ、と言っているわけではないんです。あくまでもクリーンヒットをしっかりと見る。その後、そのクリーンヒットによっていかに相手にダメージを与えたか、というダメージの総量を比較するわけです。つまり、ダメージの根拠をクリーンヒットに求める、というのが私の発想です。
安河内 なるほど。林君の基準自体、非常に明確で分かりやすいですね。ただ先ほど出た坂田・中沼の試合に関しても、手数の坂田、一発の中沼で採点が割れたのですが、ダメージについては見極めが難しかった。ダメージの総量の比較自体難しい試合でしたね。こういう試合は年に数回ありますね。結局、この問題は結論が出ないんですよね。だから、この量と質の問題は、ボクシングの永遠の課題なのかもしれません。
林 またそれが、ボクシングというスポーツの奥深い所以なのでしょう。では、次にレフェリング問題についてお伺いします。
(以下次号)
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