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「プロで試合をする人間には“魂”と“ドラマ”がある―」
元駒沢大学ボクシング部専属コーチは遠くを見つめた。
今回は、JBスポーツの篠田トレーナーからのご紹介で、M.Tジムマネージャーの村野健(たけし)氏を訪ねた。JR横浜線の橋本駅を降りて電話をかけると、「そのまま駅前通りを右の方へ歩いて下さい。国道との交差点に緑色の建物が見えますから・・・」と村野マネは、受話器の向こうで教えてくれた。小雨がパラつく駅前通りを、言われた通り右の方へ5分ほど歩くと、交差点のはす向かいに緑色のシャレた小屋が見えてきた。“M.Tボクシングジム”と壁に大きく書かれたその小屋は、1軒まるまるボクシングジムという贅沢な佇まいで、国道の四つ角に誇らしくそびえ立っていた。
M.Tジムの「Mはスポンサーである村野氏のイニシャル、Tは高城会長のイニシャル」と誰かに聞いていたので、村野さんは大成功しているやり手の青年実業家なんだろうなと、私は勝手な想像を膨らませていた。ところが、実際は村野氏の叔父さんがネジの販売業者をしており、その会社名義で資金を借り入れ、自分たちの手で築き上げていったという手作りジムだったのだ。この日はたまたま高城会長が夏休みを取っていて不在だった為、一緒にお話を聞くことは出来なかったが、ふたりのストーリーはなかなか聞き応えのあるドラマチックなものだった。
約50坪の建坪に高い天井、神奈川国体で使われたという公式サイズのリング、広い会長室はもちろん、男女更衣室にシャワールーム、中二階の多目的スペースと、まるでボクシングジムの為に建てられたような間取りだった。それもそのはずである。村野マネと高城会長は、この土地を購入し、更地の上に自分たちで設計したジムを建ててしまったのだ。ジム開設までの経緯を村野マネは少しずつ語ってくれた。
昭和40年生まれ。もうすぐ39歳になる村野マネは、武相高校、駒沢大学を通じて70戦ほどのキャリアを持つ。武相高校3年の時には、国体で優勝している。プロへは転向せず、サラリーマンとしての日々を過ごしていたが、通勤途中にあった笹崎ジムに出入りするようになり、やがて“コーチ”という仕事に目覚めていった。
そして、叔父さんが経営するネジの販売会社に転職し、駒沢大ボクシング部コーチに就任した。帝京大ボクシング部で活躍した現JBスポーツの篠田トレーナーとは、この頃からのお付き合いとなる。
職場近くのスポーツクラブに通っていた村野マネは、そこでマシンインストラクターとして働いていた元日本Sフェザー級チャンピオン高城正宏氏と出会った。ふたりは意気投合し、「いつかボクシングジムをやりたいね」と夢を語り合うようになった。やがて温めてきたお互いの気持ちが固まり、村野、高城の“チームM.T”は、ジム開設に向けて動き出したのだった―
 
まずふたりの前に最初に立ちはだかった壁は、“物件探し”だった。ボクシングジムとしてテナントを貸してくれるような所はなかなか見つからないものだ。私も10件以上の大家に断られた経験を持っているが、“チームM.T”は2年間探し続けて一件も見つからなかったという。都心をはずれた土地柄もあるかもしれないが、さすがにふたりは途方に暮れてしまった。
ある日、全く違う発想がふと頭をよぎった。「そうだ、貸してもらえないなら買ってしまえばいいんだ!」自分の建物なら誰に文句をいわれることもない。“チームM.T”の心に光明が差し込めてきた。
ところが、そう考え始めたふたりの前に立ちはだかった2つ目の壁は、“資金繰り”の問題だった。賃貸とは違い、必要な資金は莫大な額となる。借り入れに必要な担保等は、叔父さんが社長を勤めるネジ販売会社の協力が得られることになったとはいえ、どういうわけだか、ここでもやはり「ボクシングジム運営」という事業に対しての融資獲得は困難を極めた。「スポーツジム運営」と表現を変えても、いくつもの銀行に断られ、最後にやっと地元の信用金庫が首を立てにふってくれた。
こうして融資を獲得するのにまた1年近くの時間を費やし、“チームM.T”はようやく船出をすることが出来たのである。「いやあ、お金持ちが税金対策か何かでパッと出したジムだと思っていました。失礼しました・・・」“チームM.T”も私と同じように(規模は私より大きいが)手作りでジムを作り上げたことを知り、急激に親近感を抱くようになってしまった。
まさにボクシングジムの為に設計された建物は、羨ましいばかりの空間だった。「それでもやっているうちにいろいろ出てきますよ。あそこが使いにくいとか、ここは狭いだとか・・・」そう言って笑う村野マネだったが、やはり何と言ってもすばらしいジムであることは間違いなかった。
ひと通りのお話しを聞くと、我々はジム近くの居酒屋へ(いつも同じパターンだが)場所を移すことになった。
聞けば村野マネはまだ独身とのこと。昼間はネジ販売会社で働き、夕方6時頃からラストの午後10時まで、ジムでマネージャー業、トレーナー業をこなす。「仕事の後は大抵居酒屋へ直行して、調子が良ければもう一軒ってのが日課ですね」クールな顔立ちの村野マネから意外なセリフが飛び出した。我々は良い調子でジョッキを空けていった。
M.Tジムのスタッフは高城会長、村野マネの他、総勢7名。アマチュア出身の指導陣が顔を連ねる。やはり村野マネの経歴が影響しているようだ。「アマチュアボクシング界とプロボクシング界は、もっと交流を深めるべきですよね」村野マネは段々饒舌になり、「アマには、あんないい選手がいた、こんな良い選手がいた」という話で盛り上がった。一方で、そのままプロ転向しなかったり、転向しても活躍しないで消えてゆく選手が多いことを嘆いたりもしていた。
M.Tジムがオープンして、つまり村野マネがプロの指導者となって丸3年が経つ。「アマで10年指導しましたけど、全然違いますね。また1から勉強しています」アマチュアのことを決して悪く言うつもりはないが・・・と前置きした上で、「プロで試合をする人間には“魂”と“ドラマ”がある―」村野マネはそう言って遠くを見つめた。それは今、自分が立っている舞台に誇りを持っていることを意味している―私にはそう感じ取れた・・・。
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