「Cのお腹にいるのは、あなたの子じゃあ、ないんですか?」。Dの疑いを込めた言葉に私は唖然とした。「だってCが帰国して1カ月も経っていないんだろう?。仮にCと関係があったとしても、おかしいじゃないか」。そう答えた私にDが、怪訝な表情で言葉を継いだ。「いえ、Cが帰国したのは、もう4、5カ月前です。僕が彼女と会ったのが去年の9月でしたから」
私は、私がCを打擲した翌日、私とCとDの関係を思い浮かべて、突然、難解なパズルが解けた気がしていた。私が取材を通じて感じたDは、こちらが投げかけた質問にも、じっくりと内容を咀嚼し、的確な言葉を選んで答える青年だった。私は彼に細やかな神経と温厚で温かい人柄を感じていた。そのDが実は粗暴で思いやりのかけらもない人物だと私に訴えたのは無論Cである。
私はDに、Cから聞かされたD自身に関することを、思い切って話してみた。しばらく間があった後、Dが言った。「・・確かに僕の取った態度でCが傷ついたことは色々あったと思います。でも丸山さんがCに聞かされた話って、事実と相当違っているんです」。彼が語った話はこんな内容だった。DがCに好意を抱き恐る恐る食事に誘い、Cが応じたことから二人の恋は始まった。やがて半同棲のような形になり、さらにCは殆どの日をDのアパートで過ごすようになった。「僕にとっても、本当に満たされた日々でした。彼女に変化があったのは、僕がタイトルを取って間もなくしてからです。最初はチャンピオンになった僕を誇らしく思っていてくれていたんですが、初防衛戦が決まり、試合の日まで1カ月ほどになってから様子がおかしくなったんです。僕は相手の選手のビデオを克明に見てボクシングを組み立てるタイプで、そうして元来が臆病な自分はやっと試合に臨むことが出来るんです。ですから試合まで、あと1カ月なんて時はもう毎日が必死。それが防衛戦ともなればなおさらです。そんな僕に彼女が話かけてきても、上の空の時はしゅっちゅう。そうなると、Cは耳元に口を当て大声で自分の言いたい事を主張したりする。ジムワークから帰ってきて、軽い食事を採って体を休めようとすると、今度はまとわりついてくる。布団に入れば体を求めてくる・・。それでもそんな彼女が愛おしかったんです」
Dはそこで一呼吸置いてから、さらに続けた。「減量に入ってからが大変でした。10キロ近く落とす必要があったから、減量態勢に入ると、もう彼女を抱く気にもなれない。口も渇くからキスをせがまれても、うんざりするだけです。ボクシングジムに通っているCのことだから、試合を間近に控えたボクサーの精神状態なんて当然、理解してくれると思っていたんです。でも、彼女は分かろうとしなかった。試合の一週間前のことです。減量が苦しくて、ふらふらしながら帰った僕にCが作った食事は、300グラムもあるようなハンバーグです。”これを食べて元気になって”と言うんです。冗談じゃない、と僕が言葉を荒げると、いきなりハンバーグを皿ごと畳の上に投げ捨てて・・。なんでこんなやり取りしなくてはいけないのか、そう思うと腹が立って、つい彼女の頬を殴ってしまったんです」。そこまで話を聞いて思わず私は笑った。「つまり僕のように殴ったんだ」。私が混ぜっ返すと「いえ、僕は一発だけ。あなたと一緒にしないで下さい」とDも笑いながら応じた。
「でもCは君に犬のように扱われ、その上、同僚まで呼んで、彼女を陵辱しようとした、と言っていた」。私は初めてそのことに触れた。Dは長いこと目を伏せたまま、黙っていた。「それは本当なのか?」。つい詰問口調になった私にDが、顔を歪めて答えた。「本当です。結局、僕はタイトルを防衛できなかったでしょう。その試合の翌日、何かCを無性に侮辱してやりたくなって・・。同僚を呼んで”この女、お前が欲しければやるよ”と言ったんです。その同僚は少し経って出ていきました。何もしないでね。何でそんな事をしたのか。負けたのは僕が弱かったからです。でもCがやったことはまるで僕が負けるのを望んでいるような行為ばかりでした。その彼女に僕が抱いたのは密かな殺意でした。・・彼女を侮辱することで、僕は自分の中に芽生えた殺意を消そうとしたんだと思う。多分・・」
私もDも、その在り方は違ってもCに殺意を抱いたのである。やりきれない話だった。「でも僕はこう思うんです。僕にも丸山さんにも、彼女は処罰されたかったんじゃないか、と」。Dがポツリと言った。「処罰?」「ええ。あなたとCがどれほどの関係だったかは僕にはよく分からない。ただ、愛されたいと思ったのは事実でしょう。でも彼女が求める愛情って、普通とは違うんです。・・底なしというか。僕が試合が間近に迫り減量に入って、Cに今までのように気持ちをさけなくなると、彼女は、恐らく自分が見捨てられたような気分になるんだと思う。僕がその彼女に応えてやれる余裕がないのは、彼女も心のどこかで分かっているんです。でもそんな理性を、見捨てられる、という不安が押しのけてしまう。その結果、さらに執拗に愛情を求めてくる。だから試合が終わり、僕自身の気持ちが安定すると彼女は、逆に冷酷なほど冷たくなる。ただその繰り返しの末、僕はやっと取ったタイトルを一度も防衛出来なかった。それを彼女のせいにするのが卑劣なことは承知してますが、どうしてもその思いが僕の中に残って・・。彼女もまた試合に負けたのは自分のせいだと感じているんです。だから処罰を望むんです。どんな形でも処罰されれば、愛情がつなぎ止められる。そう思うからこそ処罰を望むんです」
−−それは私も朧気ながら感じたことだった。私とCとDを結ぶパズルの答え。それこそ今、Dが語ったことに集約されていた。確かに彼女は処罰を欲していたのだ。処罰することで、私にもDにも深い負い目が生じる。その負い目のために、処罰した男達は、もっと深くCを愛さなくてはならなくなる。・・Cはそうして多くの男に、いや、自分を愛して欲しい対象に罠を仕掛けてきたのだろう。
「でも君はよく彼女と別れることが出来たね」。私がため息混じりに吐いた言葉にDが苦笑しながら反応した。「とんでもない。それから僕とCの地獄の第二ラウンドが始まったんです」
Dは王座を失うと、現役時代のDの後援者の薦めでロスへと旅だった。ボクサー時代も鮨職人として腕を磨いていたDが選択した第二の人生だった。「実を言うと、ロスへ行くことでCとも決別できる、という気持ちもあったんです。その店にCが現れたのは、僕と別れてから1年ほど経った時でした」。こうしてDはCとの「地獄の第二ラウンド」を語り始めたのだった。
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