| 拳闘書感想譚 | ||
| 王者の生き方 『アレクシス・アルゲリョ 流転の半生』雑誌「分」小学館発行より |
Text By 中津川 一路 |

「ボクサーは死ぬまでボクサーだ。」という言葉を折に触れ目にする。同義語以上の意味で、「チャンピオンは死ぬまでチャンピオンだ。」という言葉も存在する。 しかし、チャンピオンでなくなりボクサーでなくなり、実社会に出たとき、ボクシングに縁のない人々にとっては、チャンピオンであったことは肩書きのひとつにしか過ぎなく、リングの中では存在を示せても、現実の社会の方ではままならないことも多い。 実社会では当たり前のようにあるスキャンダルでも、チャンピオンであったということで、コントラストを示してしまう事も多い。自己破産、暴力、警察沙汰・・・。 個人的な思い込みだが、まさしく「チャンピオンは死ぬまでチャンピオン」であって欲しい。あるべきだと思う。チャンピオンであったという誇りは自分の中にいつまでも保っていて欲しい。 この「分」に乗った記事の書き手は、林一道氏。ボクシングマガジンやスポーツ雑誌で知られたL.A在住のカメラマンだ。元日本1位で、日本タイトルに挑戦したこともある元ボクサーでもある。 僕が最初に林さんとお会いしたのはビックベア。バレラがハメドとの試合に備えてのキャンプ中だった。そこに、林さんがバレラを取材に訪れたときのことだ。同じ名前ということで、多少の雑談はしたが、その後、会釈することはあっても特に会話をかわすことはなかった。 初めて会話らしい会話をしたのは、テキサス・サンアントニオのホテル・ラジソンだった。バレラとパッキャオとの試合の直前。取材を兼ねての雑談だった。自分のような人間を取材しても何もならないだろうに、使い込んだメモ用紙に、僕の言葉の端々を書き込む姿は、実直さがにじみ出ていた。 後から、林さんが現役時代に最後に試合をしたのが、サン・アントニオだったことも知った。 林さんの記事が載るということで、この「分」という雑誌を知った。目にしたことも、購入したことも初めてだった。どの程度の発行部数か知らないが、少なくとも田舎暮らしの自分にとっては、初めて目にした雑誌で、何でこの雑誌にボクシングの記事が?と思わせるような本だ。 内容的にはサブカルチャー系の雑誌で、ざっと目次を取り上げると 特集「知られざる権力の向こう側」「秘録・終わらない沖縄戦」「ビック・イッシュー検証」「特別対談、荒川修作×養老孟司」「好評連載、仲代達也、蛭子能収、勝山晋作、なぎら健壱、増井修、いがらしみきお、etc」その中に「伝説のボクサー、アレクシス・アルゲリョ 流転の半生」の見出しが並んでいる。ちなみに鬼塚氏の記事も掲載されている。 この記事が掲載されるまで、林さんは多くの伝手を当たってみたそうだが、中々掲載へは至らなかったそうだ。多分もう、アルゲリョの動く姿を見たこともないボクシングファンも少なくないに違いないから、無理もないかもしれない。 「 『分』と云う名の本にアレクシスの事が載るように成ったのは、小学館で働いている田中美佐雄さんと云うアレクシスの友人が力添えをして呉れたことが始まりでした。田中さんの努力が友清さんと云うスポーツライターの心を動かしてくれたようなのです。お二人のアレクシスへの憧れと尊敬の思いが実を結んでくれました。いちど東京でアレクシスをまじえて田中さんと食事をした時の事を思い出し、文章と一緒に掲載誌を探してくれるようお願いの手紙を差し上げたのが『分』という名の本に掲載される事になったいきさつです。(林一道氏記)」 文中にアルゲリョが、いつも胸に手を合わせて礼をする、という一節がある。彼が、誰にでも誠実に振舞ったことがこの記事の掲載に繋がっているのだろう。リング上の端正なスタイルも尊敬を集めただろうが、リング外の振る舞いが尊敬の念を彼らに残し、彼らを動かした気がする。 記事の内容は、林氏が、ウィニングのボクシング用具を届けた際の出来事を中心としている。アレクシス・アルゲリョは現在、自力でジムを作り、子供らにボクシングを教えている。しかし、ボクシング用具が足りず、旧知の林氏に打診をした。(現在、林氏はアメリカでウイニングの販売を行っている。)ウィニング社から送られたボクシング用具84個を携えて林氏はニカラグアに降り立った。 それに交えて、アルゲリョの半生・・財産没収や、内戦への参加など、激情の人生も綴られている。 記事を読み終えて思ったのは、ボクシングは誰のためにあるのだろう、ということだ。 ボクシング用品を手にし、はしゃぐニカラグアの少年たち。どんなことでも日本の少年たちは、そういうふうに笑えるだろうか、と思った。物がない場所、満たされている場所。どちらが幸せなのだろうか。ラスベガスの華やかなリング。ボクサーを使い捨てのように使うプロモーター、故郷で少年にボクシングを教える偉大な元チャンピオン。同じシンプルなルールのスポーツの世界で起きている出来事と思えないほど対極にある。 生きる以外に何も余分な物のない国で、アルゲリョはかつて自分を救ってくれたボクシングを、子供らに伝えようとしている。稼いだマネーも名声もあまり意味のないことだと彼は言う。 札束のインク臭に微笑む人々と、享楽的なギャンブルシティ、紙面を賑わす「元」「現」チャンピオンのスキャンダル。そんな中、ボクシング史に残るチャンピオンが、身一つで、故郷において『未来』を育てる姿は、いっそう際立つ。きれい事のようだが、人は他人にどう言われても、やっている事でしか自分のことを証明できない。口だけなら何とでも言える。 どちらが良いかは、その人の価値観だが、名声名誉というものはそれほどの物とは、僕には思えない。過去は偉大なチャンピオン。でも、今は・・・・では果たしてその人がボクシングをした意味や価値はあったのだろうか。人間には結局、「今」しかないのだ、とこの記事を読んで思った。 「それはボクサーであったときと同じように何事も決して、あきらめず、自分自身と約束したことは最後までやり遂げることだ。そして伝えたい。私にも出来たのだから、あなたたちにも必ず出来るということを。」アレクシス・アルゲリョ 本文中・抜粋。 チャンピオンは死ぬまでチャンピオンである。 |