こないだの横浜アリーナの世界戦は、ほんとにおったまげた。川嶋の右で徳山の体が泳ぎだして、前のめりにキャンバスに落ちた瞬間、テレビの前で「ぎょぇぇぇぇぇ!」と奇声をあげ、あたまをかかえ、「徳山もうぜんぜんあかんわ……うわぁぁ! 終わった〜」と、大きなひとり言(?)を発している、と、母親がそんな私を不審そうに見ているのに気がついた。
こんな、意思と関係なく全身の血が沸く感覚が、われを忘れる感覚が、とても好きだ。ボクシングってすごいと、素直に思える瞬間でもある。めったにお目にかかれない劇的なシーンは、鮮やかに頭の中に残りもする。
でも、印象的な場面っていうのは、そういうインパクトの強いものばかりではなくて、ボクシングのよさや厳しさを感じさせてくれる風景は、もっとふつうにころがっている。そのたびに、いろんな問題を抱えていても、やっぱりボクシングはいいぞぉ、と思ってしまう。なにしろ、ボクサーにはボクシングしかないのだ。後楽園ホールのそばから、大阪の南の果てに戻って1年。リングに近づける時間が激減してから、よけいにそう思うようになった。
6月26日は、兵庫県明石市で熟山竜一がカムバックした。3月15日、日本バンタム級チャンピオン・サーシャ・バクティンに判定で敗れて以来の再起戦である。
01年9月の東洋太平洋王者ジェス・マーカへの挑戦、日本タイトルは仲宣明に2度(初戦はドロー)、そしてバクティンと計3度、ベルトを逃した。間に挟まるのも、ボクシング界きっての一本気なサムライ、父・熟山進之助会長がたたみかけるように課す厳しいマッチメイク。26歳の若さでも、さすがに疲れきって進退を考えてもおかしくない。だから3月の末、ある試合会場で熟山会長に、まださすがに決まってないだろうと思いながら再起計画を尋ねた時、「6月27日、やりますよ」と即答された時は内心(ほんまかいな!?)と、信じられない気分だった。
そしてまたしても、熟山の前にさしだされたのは、そう簡単に勝たせてくれそうもない相手だったのだ。この父子のアタマには、“調整試合”などという文字はないに違いない。
7戦7勝(4KO)、無敗のフィリピン王者を相手に、熟山は復帰のリングに上がった。今年はじめての地元(正確には少しズレる。)での試合。序盤はワンツーでそのレイナルド・トリボという比国王者を下がらせたり、ボディブローから畳み掛けてみせたりもした。しかし、しだいに相手のイキのよさに押されてくるのである。ボディを狙ってガンガン出てくる19歳のホープに先手をとられ、足を使う26歳のベテランはジャブと時折の右でなんとかポイントを拾うという印象なのだ。クリーンヒットを挙げても深追いせぬまま最終回。最後の最後だけ、激しくやり合って試合終了のゴングを迎えたのだった。
控え室で話を聞く時、勝者の顔が冴えないなんてことは、まったく珍しくない。今日の熟山もそうかもしれないと、勝敗が告げられる前、ちらりと思った。が……それはまったく浅はかな想像だった。なんだかんだと見る側は試合内容を評して、ボクサーにとってただ“勝つ”ことの大きさを忘れがちだということを思い知らされた気がした。
レフェリーに手を上げられた時、リングを降りてからはなおさら、熟山は子供のように無邪気に笑っていた。満面の笑顔で知人友人らに丁寧に挨拶してまわる彼を(この人、こんなふうに笑うんだ……)と、しばらくじーっと見つめてしまった。そんなに大口をあけて笑うイメージがなかったから、新鮮だった。
「ほっとしました、やっと」
ようやく記者の前にやってきた熟山が笑顔のまま大きく息を吐く。
「勝つことを意識しすぎて、最後まで前に出られなかったというのは、たしかにあります。パンチありましたからね、相手。最終ラウンドはね、もう最後やから行きましたけど、途中は、やっぱり選手生命かかってますから、前にいけるのにいかなかったところはあります」
毎度のことですが、再起戦でも容赦なく、強い相手、選ばれてますよね?
「やるからには、強豪とやらんとね。弱いのとやって、はい復帰しました、じゃねえ。今日、強いのとやってなかったら、くさったまんまやったかも。親父やから、どうやったら俺がくさらんとやっていくか、ようわかってますね」
タイトルマッチに負けた後、すぐに再起する気持ちになったのですか?
「いえ、やめようと思ってました。半月、家でなんもせんとね、ひきこもってました(笑)。でもね、まわりの意見、聞いたんです。そしたら10人が10人、おまえはまだいける、って言ってくれたんでね。やらな、後悔するかも、と」
再起して、よかったですか?
「ボクシングはやっぱり、気持ちいい。こんなに応援してもらえること、ほかにないですよ。まわりに、そういうボクシングさせてもらってますからね、ほんま今日は、勝ってほっとしました」
これから目指すところは?
「とにかくタイトル。ベルトを早くね、親に対して答えたいんで。相手とか日本か東洋かは何でもいいけど、東洋はやっぱり金かかります。会長であり親でもあるんで、そういうの考えますよね」
少年時代、父の期待から、ボクシングから、一度逃げた過去をもつ、いくつもの葛藤を越えたであろう息子の、それが今の夢。
そして当然のごとく……これからもこの父子の流儀は変わらない。8月に後楽園ホールでA級トーナメントに出場し、9月23日には、地元のリングが待っている。熟山進之助会長に、ハードスケジュールですね、と言うと、
「そら、ボクサーやもん、あたりまえですわ。仕事やもん。試合せんと、仕事せんと、金稼げませんから。
今日? 今日の出来? 今日は正直、ヒヤヒヤでした。でもね、ちょっとずつでも確実に伸びてるからね」
この父子は……すてきだ。
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